夜郎自大

文科省からの指示では「非開示・非公表」を前提で参加しているはずの学力テストの結果を市町村別に公開しようという都道府県が出てきている。首長の教育ビジョンがお粗末な大阪だけでなく、前回同様に好調だった秋田県は墨塗りで開示。全体が良かったのだから、喜んでおけばいいものを。鳥取は、県が情報公開請求の県条例を改正してまで成績の開示に前向きのようだ。メディアは情報開示の是非を報じたがっているのだが、問題はそれ以前の「問題」にあるのではないのか?
英語科ほど、テスティングに関してうるさい教科はないのではないか、とかねてから訝しく思っているが、英語は試験に入っていない今回の学力テストに関して全国の英語教師はどう思っているのだろうか?
TOEFLがIBTになったのは、正答レベルに応じた出題をするIRTの運用が可能となる、信頼性の高い、膨大なitem bankが構築できたからこそ。ハード、インフラの整備とマネジメントがセオリーの実現、ソフトの運用には不可欠なのである。
今回の「学力テスト」はどうか?
各教科の成績が教科学力の何を反映しているかという、構成概念の妥当性、弁別力、得点の信頼性、前回と今回の成績を比べる妥当性、教科を比較したり合算したりする妥当性などなど、「古典的」なフレームワークに照らしても、税金をかけてまで全国一斉に行う価値があったのかどうか怪しくはないのだろうか?大手新聞はどこも、その部分には突っ込まないのだなぁ。少し前のPISA型学力“騒動”でも、誰も翻訳の妥当性や信頼性の検証に関して報じていないし…。スコアだけ見て一喜一憂しているのでは、模試や過去問演習だけやっている受験生と大同小異ではないのか。
ましてや、今回の成績によって自治体の教育政策に変化があるとしたら大問題であろう。テスト結果の評価をどう政策に反映しているのか、という報道もないのだから、住民にとってもブラックボックスのまま税金だけが使われていることに変わりはない。学校選択に利用できるのは、交通事情のいい大都会のみで、地方の山間部や島嶼部では選びようがないのだから、良い結果が出たからといってそこへ越境で通おうとは思わないだろうし、悪い結果が出たから、その学校には行かないという選択肢も難しいだろう。
そもそも、生徒の得点と、中学校の教員の資質、シラバスや授業の質などを数値で比較し、因果関係を特定できるのだろうか?早起きや朝食はもちろん、授業日数の違い、専任比率の違いなど教務的な統計でわかることも含めて、ほとんどが因果関係ではなく、相関関係を推測するだけのデータではないのか?
もし、地域や学校と得点の間に強い相関があったからといって、そこから先、自治体が税金や公的資金を投入する比率を変えていいのだろうか?

  • 良い地域に更に手厚く資金を投入し、より成果を上げる。一方、悪かった地域には、最低限の資金のみとし、生徒とその保護者の自助努力でなんとかしてもらう。

などという政策をとることが許されるだろうか?
レストランなどの外食産業のチェーン店が新たな出店を図る時、地域住民の収入や消費行動、生活水準などを調査して、ターゲットに合わせて出す店を変えていると思うのだが、これは企業が利益を上げることを最優先している、経済活動だから済むことなのだ。

  • この地域は住民の平均年収が400万円台だから、教育の成果はなかなか現れないので、学校のレベルは無理に上げようとしないでおこう。潰れない程度に働いてくれればいい。この地域の住民は平均年収が800万円を超えているから、私立中学へ上位層が抜けて行かないように手厚いサポートの出来るスタッフを揃えたレベルの高い学校を設置しよう。

などということが公立中学で出来るわけがないでしょう。財政や施策の問題ではない。倫理の問題だ。
この論理をそっくり裏返すと、”PF” などといった勝ち組志向お教育雑誌などの特集が見えてくる。こんなメンタリティの人が支えているのだ。

  • 私は年収も1000万を超え、社会的にも正当な評価を得ているばかりか、育児の面でも母親任せにせず、子どもの人格を尊重しつつも、よりよい教育を受けさせるべく日頃から腐心している。学校はこんな私の子どもにふさわしい教育を提供する義務がある。

外部評価と自己評価の齟齬をどう受け入れるかが大人になるということではなかったか?
そうそう、嫌な雑誌といえば “AE” などという新聞社系の英語産業タイアップ雑誌でも、「お宅探訪」のような連載企画がある。

  • 英語ができる人はこんな暮らしをしているんですよ。どうですか、みなさん、英語ができるようになって、こんな暮らしがしたくないですか。

などというメッセージを毎月送っているわけである。ご丁寧に「家賃」などという項目まであるのだが、私がたまたま見た数回はいずれも「持ち家のため家賃なし」としか出ていなかった。持ち家といっても、親の家を受け継いだのか、自分で建てたのかによって全く話は変わってくる。ローンはいくらで組んだのか?その場合の毎月の返済額は?など、「住宅情報誌」の特集にさえ出ているような情報もないのである。いったい、何のための連載なのか全く理解できない。
今日で中間テスト終了。
HRクラスで学級通信を配布し、明日の英語G再試の連絡と来週の「私のアンソロジー」の提出期限の指示。学級文庫に補充する書籍の説明。

  • 北村薫・宮部みゆき編『名短編、ここにあり』『名短編、さらにあり』(ちくま文庫)
  • 佐高信『文学で社会を読む』(岩波現代文庫)
  • 石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)

これで石原氏の受験モノは中学・高校・大学と発達段階に沿って一応の流れが出来た。後は読むべし。
K塾系の進路情報誌の書評で『教科書で覚えた名詩』が文春文庫PLUSに入ったとあったので、教員向けの情報誌で何を今更、という気がしないでもないが、学級文庫にある同書の文藝春秋・ネスコ版を指摘。学級文庫の趣旨は、受験を取っ払っても「高校生のうちにこのくらいは読んでおきなさい」という私のメッセージと、学校も地域も図書館が機能していない環境なので「気になったら、即手にとって読める」というもの。買いたくてもそんなに頻繁に本を買っていられない人がほとんどなのだから。携帯にはカネを使っているのに、などと愚痴っても無駄。携帯よりも本の方がおもしろいと思わせられなかった我々の負けである。

上履きが今ひとつしっくりこないので、Timberlandのアウトドア用のスリッポンを転用することにした。
アーチをサポートするようにインソールで調整。どのくらいで慣れるだろうか。KEENは来月上京した時にでも見てくることにしよう。レジで地元大学のボート部員と遭遇。ランニングに備えて、シューズを新調とのこと。いい心がけです。もりもり漕いで、どんどん走っちゃって下さい。
今夜は『相棒』。初回は2時間スペシャル。薫ちゃん最後のシリーズになるのでしっかりと見ておきたい。
「報道ステーション」で映し出された某知事のあまりのオーラの弱さに愕然。顔が変わってしまっている。誰も突っ込まないのが不思議。

本日のBGM: カオが変わってゆくよ(TOMOVSKY)