かねてよりあたためていた次期学習指導要領案についての「パブリックコメント」の提出を本日済ませました。
奇しくも忘れられない日の提出になりました。もっとも、前日に提出できていたとしても、それはそれで東京大空襲の日に当たったりしますのでね。
以下、意見提出フォームから送信したものの写しです。
小学校の学習指導要領案について
提出意見1
意見要旨
・小学校における「英語」の教科化は時期尚早であり、現状の「外国語活動」を当面維持すること。
・万が一「教科化」されるとしても、それに伴う時間割編成において、「モジュール」と称して研究指定校などで試行されている「短時間の帯活動」をもって、授業の単位時間に含めるという扱いをやめること。
意見詳細
中教審の答申では小学校の週当たり35時間という時間割が満杯で、「新たな科目や活動を『授業』時間内に入れられないから」、という理由をあげて、「外国語活動」や新設の「英語」という科目でだけ、盛んに「モジュール」化を促していたのであるが、今回の小学校の指導要領案の中に「モジュール」という文字列は一切出てこない。今回の案では次のように書かれている。この(イ)の部分の「短い時間の活用」を「モジュール」と称しているのではないかと推察するものである。
(2) 授業時数等の取扱い
ウ 各学校の時間割については,次の事項を踏まえ適切に編成するものとする。
(ア) 各教科等のそれぞれの授業の1単位時間は,各学校において,各教科等の年間授業時数を確保しつつ,児童の発達の段階及び各教科等や学習活動の特質を考慮して適切に定めること。
(イ) 各教科等の特質に応じ,10分から15分程度の短い時間を活用して特定の教科等の指導を行う場合において,教師が,単元や題材など内容や時間のまとまりを見通した中で,その指導内容の決定や指導の成果の把握と活用等を責任を持って行う体制が整備されているときは,その時間を当該教科等の年間授業時数に含めることができること。
(ウ) 給食,休憩などの時間については,各学校において工夫を加え,適切に定めること。
(エ) 各学校において,児童や学校,地域の実態,各教科等や学習活動の特質等に応じて,創意工夫を生かした時間割を弾力的に編成できること。多くのメディアでは、このウの(イ)の運用で外国語活動や英語を15分の細切れ活動3回分を合わせて1単位時間に当てるかのように取り上げられているが、ここには外国語活動や英語という但し書きは出てこない。つまり、国語であれ、算数であれ、どの教科でも「モジュール化」で弾力的に時間割を編成できるということに他ならない。にもかかわらず、現時点では、教育関係者も含め多くの一般市民が、時間割からはみだすのは「英語」という思い込みでこの時間割編成を語っているように感じられる。
また、「弾力的な時間割編成」が認められているのは、児童や教員集団の実態に応じて、教育現場の可能性を開くためのものであって、「こういうやり方をとらなければ、時間割からあふれた教科を実施するために現実的な解決策が無い」状況を容認・是認するためのものではないはずである。
新設とされる教科であり、これまでの指導実績のない「道徳」や「英語」を考えたときに、上掲の(イ)にある「教師が,単元や題材など内容や時間のまとまりを見通した中で,その指導内容の決定や指導の成果の把握と活用等を責任を持って行う体制が整備されている」と認められる根拠は答申や有識者会議、ワーキンググループの議事録等で充分に示されてきただろうか?DVD教材を週当たり15分3回見せて活動する、とか学校の教師が充分に指導できない中、地域の人材を活用して活動を行うことが「指導の成果の把握」といえるか甚だ疑問である。
このような状況を考えたときに、小学校での「英語」の教科化は時期尚早であり、人材も予算も有識者の支援も潤沢に得られる環境で試行された一部の学校の成功事例を、全国に2万校近くある一般の小学校の全てに当て嵌め、実施することは無謀であるとさえ言える。
小学校英語の教科化は時期尚早であり、それに伴う、下位学年での外国語活動実施の早期化は見直すべきである。
万が一教科化されるとしても、英語のみを「モジュール」と称した短時間帯活動にして実施することは妥当ではない。英語以外の他教科をモジュール化できないのであれば、英語とて同じことであろう。
小学校での「英語の教科化」そのものの見直しを強く望むものである。
小学校の学習指導要領案について
提出意見2
意見要旨
・小学校における「英語」の教科化は時期尚早であり、現状の「外国語活動」を当面維持すること。
・万が一「教科化」されるとしても、指導目標や内容の取り扱いにおいて、現行の「中学校」の指導内容の前倒しにならないようにすること。
・「聞くこと」と「話すこと」という技能での連関について、指導過程と児童の発達段階を踏まえた充分な記述をすること。とりわけ「やりとり」「伝えあい」ということばで想定している言語活動の実態とその発達段階を明確に記述すること。
意見詳細
文科省による英語力調査の技能別の達成状況では、中学段階でも「聞くこと」の力が不充分であるのに、「話すこと」を重視し、小学校の段階でも「やりとり」と称して「伝え合い」が重視されている。
小学校の案では、聞くことの目標設定で「ゆっくりはっきり」という但し書きがあるのだが、肝心の「話すこと」の指導に関して「ゆっくりはっきり」話すことは一切明言されていない。「ゆっくりはっきり」に配慮できるのは、適切な速度や理解の支障となる明瞭さを既に分かっている英語の運用力の高い児童、または教師などの大人であって、これから英語を学ぶ児童には、何をもって「ゆっくり」なのかという相対化は難しいだろう。
既にスクリプトの決まっている発表での「言いっ放し」を嫌って、「やりとり」という項目を新設したかったのだと思われるが、伝え合う対象は「児童同士」を想定していないかのようである。「聞くこと」を試される局面で、聞いていてわからないときに「聞き返す」「質問する」ということが可能なのが「やりとり」の最大の利点のはずであるが、では「もう一度、ゆっくりはっきり言ってもらったのに分からない場合はどうするか?」。更に易しい語句で言い直してもらう他には、ボードや紙に書いてもらったり、textingで対応してもらう、という可能性が残されている。これこそ技能連関の好例と思われるが、では、いつ「文字」を読む指導をするのか、といった「技能の連関」に関わる体系やその裏付けとなる理論がよくわからない。
「話すこと」の指導における、「好ましい」「望ましい」発話速度、明瞭性の記述と、その実現のための指導手順、配慮事項を指導要領の中に加えるべきであろう。
中学校の新指導要領案の「聞くこと」では、小学校にあった「ゆっくり」という文言が消え、「はっきりと話されれば」という目標設定となっている。にもかかわらず、小学校でも中学校でも「話すこと」の項目で、とりわけ「やりとり」「伝え合い」の目標設定に、「はっきりと話す」ことについての言及がなく、中学段階では小学校の「ゆっくり」がなくなったことから推察される、「より速い発話速度」をどのように達成するのか、という記述が見当たらない。どのような指導や学習を経て、小学校から中学校までで「聞くこと」の発達がおこるのか、また、「聞き手」としての児童生徒の発達段階の途上において、「話し手」としての発話速度や明瞭性に関する配慮についての言及が全くない。
速度も明瞭さも、児童生徒それぞれ、思い思いの話し方をされてしまっては、単一技能の「聞くこと」の目標さえ達成されようがないのに、「話すこと」の目標設定や言語活動の取り扱いでも、話す速度や明瞭さについての言及がないのは本当に不自然。そんな状態で何を「伝え合う」のか?過日の「英語力(のフィージビリティ)調査」での四技能ごと、技能連関(統合?)の調査結果を見ても分かることだが、「聞くこと」ではごく大まかにしか理解できないのに、「話すこと」では、まとまりやつながりとか、即興性を求めたりしても、「伝え合い」にはならないのではないかと危惧するものである。
「やりとり」「伝えあい」ということばで想定されている「言語活動」と、その活動を支える「スキル」に関して、もっと明確な記述が求められる。
小学校の学習指導要領案について
提出意見3
意見要旨
・小学校での英語の教科化を見直し、現行の外国語活動を維持すること。
・今後、小学校段階で文字指導を導入するにしても、とりわけ「書くこと」において、今回の指導要領案で示されているものでは、指導者、学習者ともに混乱を深めるだけであるので、抜本的な見直しを求めるものである。
意見詳細
今回の学習指導要領案では「教科」として位置づけられた「英語」の中で文字指導を行い、「読むこと」「書くこと」の指導を可能とするような方向性が見て取れるが、とりわけ「書くこと」の目標設定と、その実現のための方策は甚だ合理性を欠き、実現の可能性が低いと言わざるを得ない。
英国など英語が母語環境にある初等教育段階でさえ「文字指導」に関しては、発達段階に見合った適切な指導を積み重ねているのに、なぜ日本の学校教育環境では、たくさん「やりとり」させたり、「読ませたり」すれば自然と文字が書けるようになるというかのような「指導」が広まろうとしているのか、理解に苦しむ。
英語を母語とする各国での文字指導の知見や先行事例に倣うとき、「実際に手で文字を書く」というhandwriting の有識者、専門家の指導助言を取り入れて、小学校段階での文字指導の体系を明確にすることが求められる。
文字指導に関連して、現在の外国語活動の指導では「音韻意識」の育成にも中途半端で、「手書き文字」の指導の体系が全く示されていない状態で、高学年で「書くこと」を取り入れることは、あまりに拙速で混乱や被害が大きくなることが懸念される。英国の National Handwriting Association で提唱している一連の指導手順、体系、左利きの児童やディスレクシアの児童への配慮など、発達段階を考慮した「文字」の扱いと、視認性が高く、手書き文字とのギャップの少ないフォントの採用や四線の間隔で、baselineとx-heightの間隔が、他の間隔よりも広くなった書式で練習するなど、英語が母語の国の初等教育で効果をあげている指導方法を積極的に取り入れるべきである。
小学校での英語の「教科化」そのものを見直すべきであると考えるが、万が一教科化されるとしても、小学校5年で「文字指導」を行うのであれば、全面実施ではなく、学年進行で、指導を積み重ねていくべきである。5年生で初めて文字指導を受ける児童は、その前年、前々年度に、現行の「外国語活動」のような指導を受けていることが条件となる。前年度までの指導とその成果を充分に踏まえた上で、児童が学年進行で、小学校5年生に進級してきてから文字指導を行うことを強く望むものである。
今回の学習指導要領案では、「書くこと」の具体的な内容のうち、「書き写し」の取り扱いに問題がある。
「書くこと」の「言語活動」の中に、(イ)(ウ)と「相手に伝えるなどの目的を持って(中略)を書き写す活動」というcopyingの活動が2つ取り上げられている。書き写しの一番の目的は「相手に伝えること」だろうか?
寧ろ、ペア活動などで「相手から伝え聞いた内容や概要、キーワードを忘れないように」するために書く方が、実際の教室での言語活動のねらいや実態に即しているのではないだろうか?「やりとり」「伝え合い」の焦点化、前景化が、いろいろなところで歪みを生むのでは、と危惧する。当然、他者から伝え聞いたことだけではなく、「自分が言ったこと」や「言おうとしていること」を忘れないように、記録に残したり、学んだことを確認したりするためにも「書くこと」は有効。「書く」という技能は、「コミュニケーション」のためだけにあるわけではない。「コミュニケーション能力の養成」にだけ目を奪われていては、発達段階に見合った適切な指導の機会を(見)失う可能性がある。
以上、「小学校の学習指導要領案」に関わる3つの意見を提出してきました。
これからweb上で意見を送ろうという方は、3月15日(正午)までに、
「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領,小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について」
からどうぞ。指導要領案のpdfでは、アの(ア)など、階層を表わす記号で一部半角カナが使われていますので、コピペで文言を貼り付ける際には、くれぐれも気をつけて下さい。意見提出フォームでは丸数字や半角カナを受け付けませんから。
本日のBGM: Rock'n Rouge (松田聖子)