The innocent age is gone.

期末テストスタート。
まずは、高1、高2の授業がなくなった分、余裕を持って作問の仕上げ。この学校に来て、3年目で、ようやく自分の狙いをしっかりと出して、なおかつ、この学校の生徒の英語力を鍛えられる作問になってきたように思う。ブログで告知し、定期試験の問題をメール送付した先生方の中には、定期試験の問題を送ってくれる人も出てきたので、そのテストの向こうにいる先生と生徒のダイナミズムに思いを馳せてみる。
高3のみ授業があったのだが、試験範囲の自習。グラフの問題は新作にも対応できるように、文法語法は和文英訳に対応できるように、と指示というより予告ですね。
放課後は定例の職員会議。
その後、職員室で野球部の監督と、”sweet spot” について議論。異種格闘技戦じゃないのですが、他のスポーツを極めた人と話をするのは大変刺激的。自分が当たり前と思っていることの定義のし直しを余儀なくされるから。まさに、「ありがたい」話しである。

北烏山さんのブログで読んで気になっていた、『yom yom』の12月号が届く。
お目当ての文章を読み始めて、涙腺をコントロールする自信が全くなかったので、中断。週末にとっておこうと思う。その代わりといっては何だが、綿谷りさの「ヨムことカクこと」 (pp.182-186) というエッセイが印象に残った。この作家の小説には今まで食指が動いたことがまったくないのだが、このエッセイでは彼女の声が聞こえてきた気がした。初め、「この感覚は、自分にとって、彼女の小説にアクセスする契機となるかもしれないので喜ばしいことだろう」、という思いが自分の中に潮のように満ちてきたのだが、次の瞬間、ふと、

  • でも、本来は、小説そのもので、振り向かせなきゃだよな。

という大きな返し波が…。

10月に神戸であった、「ナラティブシンポ」。得難い体験であったことは紛れもないのだろうが、終わってから早2ヶ月が経とうというのに、その実態が私自身、未だ掴めずにいたのだが、それに対峙する自分のスタンスを再確認するヒントを得たように思う。と、同時に、年末の語研の講習でさらけ出す予定だった己の舞台裏に対しての自戒も。
作品の解説ではなく、作品そのもので、実作そのもので語らなければ、語りの力は痩せてしまうのではないのか。では、生の授業を見せればそれで良いのか、というと、英語教育の研究会で多く見られる、指導助言者のまとめによって、実践者の「実作」そのものは、矮小化される危機と常に隣り合わせである。「実作」そのものが強く生きることなしに、語りの復権はなされないのではないか、その「実作」をしっかりと並べ、繋げて、その存在意義を感じ取るにはどうすればいいのか、そんなことを感じて家路についた。

さて、第2回山口県英語教育フォーラムの総括。最後は、「新指導要領を越えて」である。
午後のプログラムの時間がやや押したこともあり、実質40分程度の「登壇者からの声」を届けるだけで、議論の深まりは生み出せず、紋切り型から脱するまでには至らなかった。司会者として、不手際をお詫びしたい。
以下、私の記憶を頼りにまとめているので、字句・文言は、講師の方々が使われたものとは一致しない可能性があることをお断りしておく。

小学校の英語活動は今年度から「先取り」で実施しているところも多いが、それを受けて、一番初めの接点である中学校として、久保野先生からは、

  • 指導要領なるものができる前から、パーマーのメソッドで音声中心で英語教授をしてきた学校であっても、附属の小学校では担任が指導の中心であり、これまでは体系的な指導にはなっていなかった。その意味では、「バラツキ」は昔も今も変わらずにあるのだと、覚悟している。今は、専科教員による指導が始まっているので、この取り組みが新指導要領の先行実施の事例となっていくのだと思う。中学校としては、小学校でのバラツキを踏まえた上で、正確なproductionに向けてのリセットという側面が出てくるだろう。3時間が4時間になり、1時間増える、ということは「書けるようにする」など、基礎基本の指導において重要な意味を持つ。

その中学校を4年後に卒業した生徒を迎える高校側として、永末先生、今井先生から、

  • マスコミ報道での取り上げ方に惑わされないことが大切。「英語で授業」、「3000語」が一人歩きしている感があり、教科書の作成一つとってみても、間に合うのか、という危惧はある。
  • 「オーラルG」の排除、和訳一辺倒の授業の改革、という狙いが「総合」というキーワードとなったのだろうが、4技能の統合、プラス語彙のサイズが大きくなったにもかかわらず、依然として新指導要領で、英語力の到達度指標を示していないのは問題である。
  • 急激な授業改革は難しいだろう。少しずつ変えるべき所を変えていくことができる、授業・シラバスの「デザイン力」と、英語力の「可視化」の方略や指標を持つ学校と持たない学校での「格差」が拡がる懸念がある。
  • 大学入試センター試験 (の変化) が新たな方向のガイドライン、通過点として大きな意味を持つようになるのではないか。必要悪ではないと考える。
  • 不安なのは「ライティング能力」。英語表現を伸ばす指導で、イベント系のスピーチコンテストやディベート大会ではない、普段の授業で、「ライティング能力」をどの時期に、どのように伸ばしていくのか、進学校ではとりわけ重要となるだろう。

という声を受けて、司会からは、フォーラムに先立ってメールで新課程への提言をしてくれていた、U先生のことばを引き、

  • 英語教育が上手くいかないのを、中学校から見た小学校、高校から見た中学校など、自分のところではない学校のせいにしないこと。そのためには、他の学校種をよく知ることから。このようなフォーラムを機に、他の学校の授業を見たり、見せ合ったりするためにも、「こんな授業実践をしているのです」、と現場から声を上げることが大切。

という強引な締めくくり。喰い足りなさが残ったのは確か。
私の持論は以前から「指導要領の法的拘束力をなくしましょう」というもの。これを極論として、突っ込み合う余裕は当然なかったし、高校英語に限って言えば、「何故、総合科目の方が、単一技能の科目よりも有効なのか?」という根拠が指導要領では示されていないことを、参加者で考える時間的余裕もなかった。今回の永末先生の講演で示された資料のように、「4技能統合を図った指導の結果によって、各技能とも以前よりも伸びている」という成功事例が、新指導要領に活かされているわけではない。いってみれば、現場の、臨床の知の方が、一歩どころか、数歩先を行っているのである。この点は、次回以降に扱えたらと思う。
「オーラルG」の排除だけでなく、「英語I」という科目の中で扱っていた文法指導さえも、今後は「コミュニケーション英語」の中で扱い切ることになるのだが、シラバスをどうするのかはすべて個々の学校任せである。「タスク型」への移行も不十分な現場が、FonFでのシラバス開発まで一足飛びに移行できるわけもなく、いくら英語教育学者が最新の理論を取り入れた提言をしても、文科省から出来上がってくる要領は、「いろいろなところから満遍なく不満が残るように」、という落としどころになるのでは、現場は良い迷惑である。

先日紹介した、『ユニコンジャーナル』(http://www.bun-eido.co.jp/school/highEnglish/ujournal/uj69/uj690207.pdf)で、和田稔氏が指摘しているように、

  • 現行学習指導要領の英語Iが「4つの領域の言語活動を総合的・有機的に関連させて指導する科目」であるにもかかわらず、「文法・訳読が中心となっている」現状を改善する、という発想によるものであると思われる。しかし、このような解釈は「コミュニケーション英語I・II・III」には当てはまるが、「英語表現I・II」がスピーキングとライティングを「総合」した科目であることを説明することはできない。現状の課題として「内容的にまとまりのある一貫した文章を書く力が十分身に付いていない」「オーラルコミュニケーションIにおいて、聞くこと・話すことを中心とした指導が十分になされていない実態がある」ことがスピーキングとライティングを「総合」する根拠にはなり得ないからである。 (p. 4)
  • 新学習指導要領では、「聞くこと」に加えて、「読むこと」と「書くこと」に焦点化した科目が消滅した。高等学校の学習指導要領の歴史上画期的な出来事である。新学習指導要領が学校現場に受け入れられるかどうかは、このような大胆な改訂の理論的かつ現実的理由を詳しく説明し、納得できるようにすることにかかっている。(p.5)

新指導要領そのものには、科目を「総合」した理論的根拠や実践していく上での拠り所の説明が何もないことを今一度確認しておきたい。和田氏の次の指摘に、現場教師はどのように声を上げるのか、今回のフォーラムの参加者だけでなく、全ての高校英語教師にマイクは向けられているのだと思う。

  • もし「総合」という新しい理念を強力に押し出すのであれば、「コミュニケーション英語I」の言語活動は4技能が「総合」された活動が提示されるべきであるが、そのようになっていないのは何故であろうか。つまり、「4つの領域の言語活動を有機的に関連付けつつ総合的に指導する」ことは、学習指導要領にその具体的方法を求めるのではなく、英語教師の創意工夫に委ねられているのである。「総合」が具体化するかしないかは英語教師次第であり、英語教師の責任は重い。(p.5)

本日のBGM: Same Old Lang Syne (Dan Forgelberg)