週末は作問天国

tmrowing2009-12-06

明けない夜はない、と信じてキーボードに向かいます。
期末テストは高2のいわゆる英語G1科目だけ終了。問題を送らせて頂いた先生から、「tmrowingさんは、本当に歌詞が好きですね。でも、生徒がどんな準備をするのかよくわかりません。」という返事が。山羊さん同士のお手紙でもないので、ここで少し補足をば。
私自身、生徒がどんな準備をするのかはよくわかりません。もともと、公立校勤務時代に全く英語のできないクラスで、どうすれば英語を頭に残せるか、英語を口に出してくれるかという悩みがあり、1年で15曲、高2までに30曲くらい、英語の歌がスラスラ歌えて歌詞がとりあえず頭に残っていてくれれば、その後、いろいろな機会に「ふと歌詞の一節を思い出して、何かに気づく」ことがあるだろう、という思いつきから始まっています。もうすでに、『P単』とは出会っていましたが、どんなにいい教材でも、まずその気になって覚えようという生徒の意欲に依存している点で、英語学習を拒否したり、恨んだりしている生徒には効果は薄いことはわかっていました。テスト漬け以外の選択肢が余りない中、アーチストの背景や社会背景に関わる「蘊蓄」を経て、ひたすら歌い、覚えていくことで一部の生徒は英語好きになるといった程度。当時は定期試験での出題割合も微々たるものでした。その後、教科書からことごとく居場所を奪われていった良質のフィクションに代わる素材としての意味づけが加わり、言語材料だけでなく、テーマ性を前面に出した前任校での一連のタスクへと昇華したように思います。
精読に値するような文章がどんどん教科書から姿を消す中、離乳食をひな鳥の口に流し込むかのような英語教室に、良質の歌詞の英語、置き換えられないことばとしての「その一言」、「そのフレーズ」が、カンフル剤のように、魂を注入してくれることも多々あります。その一方、お腹を壊して下痢をしているときには、お粥を食べることで便が戻ってくるように、食べる人の体調をしっかりと見極め、手当をしていくことも求められます。
テストでは、単純な空所補充、パラフレーズ選択、主題選択、カスタマーレビューなど「その曲やアーチストについて語る」表現完成、主題に関しての自分の意見、などが主ですが、make-believeな作問として、男性が主人公の歌を、歌で描かれている女性の立場で書き換えた英文を空所補充で完成させたり、一人称モノローグを三人称でのナラティブに書き換えた続きを書かせる、というバリエーションもあります。当然、私が自分で英文を書くわけですが、表現の中に意識的に『短単』や『P単』の既習範囲の語句を盛り込んだりもします。
手を変え品を買え、あれこれと試験に出していますが、求めているものは、テストが終わり、受験も終わって、高校の授業などと遠く離れたとしても、上述のように「折に触れふと思い出し、何かに気づく」ことにあるのだと思っています。
以前の教え子で、テスト前の時期で家事を手伝っているときに口ずさんでいた「今月の歌」を耳にしたお母さんが、「あなたいつからそんなに発音うまくなったの?」って驚いてたんですよ、とレポートしてくれた時の嬉しそうな顔を今も覚えています。まずは、そんなところで続けられればいいのではないかと。
選曲に関しては、自分が学生時代から聴き続けてきたアーチスト、そしてそのアーチストにinspireされたアーチストの曲を使うことが多くなっています。生徒からのリスエストは求めません。
歌詞を授業で取り扱う、という視点・立脚点といえば、岐阜大学の寺島隆吉先生の一連の実践がまず思い浮かびますが、最近、研究社から出版された、斎藤兆史・中村哲子編著 『English Through Literature 文学で学ぶリーディング』では、日本英文学会関東支部の方々が執筆にあたっており、Suzanne Vega の “Luka” が取り上げられていて興味を引かれました。これは大学用のテキストなのですが、「ことば遊び」、「笑い」、「戯曲」、「日本文学の英訳」、「自伝」、「短編小説」、「英詩」、「警句・モットー」、「虚構」、「逸話」などなど、とかく作者の顔の見えない英文ばかりと格闘しがちな高校教師が、「英語を読むということ、そのもの」を学ぶのに格好のアンソロジーと言えるのではないかと思い、今、勉強しているところです。
編集者の方とのやりとりの中で、とっても印象的なことばがあったので、引いておきます。

  • 文学教材がありがたいと思うのは、そのテキストの多様性において、最近のリーディング理論では歯が立たないような側面があることを教えてくれる点です。いまもって、文学を読むためには、昔風に、1字1句を丁寧に読んで積み上げていくほかないような側面があることは事実なのであって、トップダウンが大事だなどと言ってばかりいる人には、文学テキストはいつになっても遠くて厄介な存在であり続けるでしょう。
  • ライティングでもリーディングでも、指導をどうするかっていう議論ばかり多いですけど、教師自身がgood reader, good writer であることってやっぱり大事です。かつての山田和男さんとか金子稔さんとかの本が、理論倒れでなく (というか理論めいたものはあまりない)、実質のある感じがするのは、彼らがすぐれたwriterであるからでしょう。

普通に読んで、普通に書ける日が来るのか。志は高く、歩みを緩めず。

フィギュアーはグランプリファイナル閉幕。
アイスダンスのベルビン&アゴスト組は、ベルビンが親知らずを抜いた直後という理由 (?) で欠場。残念。
女子シングルは安藤選手、男子シングルは織田選手がバンクーバー五輪代表内定。今回は代々木第一のリンクだったのだが、男女ともフリーを見ていて、ひょっとすると氷のコンディションそのものが今ひとつだったのではないか、と思うような凡ミスが目についた。
会心のSPで首位発進の高橋選手はフリーでは果敢に4回転に挑戦して転倒、リズムを修正しきれず3+でも失敗で表彰台を逃した。今回は、男子も五輪代表は3枠なので、全日本では織田選手以外に敵はいないという判断での4回転挑戦か。
キム・ヨナ選手は、このファイナルにはピークを合わせていないのだろう。やはりループ系は完全回避。これは、五輪でも入れないのでしょう。ルッツとフリップは表裏一体、一度崩れるといつ綻びてもおかしくはないのだが、無難にこなしていたように思う。加点要素もあまりなく、そこそこの出来という感じだったが、3Sの失敗が響いた安藤選手のスコアが思いの外伸びずに、逆転で優勝。キム・ヨナのファンである私としても後味はあまりよろしくない。
あとは、全日本での浅田選手の出来、中野選手の出来がどうなるか。決戦は25日から、大阪なみはやドームです。その前に、GPFのexhibitionを楽しまないとね。

今日は、朝から、町内会の一斉清掃活動。夏場は全く参加できていないので、今回は妻ではなく私が参加。土曜日は強風だった河川敷も、今日は晴れていて気持ちよく終了。皆さん、お疲れ様でした。

一休みしたら、また作問へと戻ります。

本日のBGM: Horizon (Steve Winwood)