「指で描ける未来」

雪交じりで今季一番の冷え込みの中、勤務校の推薦入試。
受験生は廊下での待機など寒かったことでしょう。実施内容等については一切触れませんので悪しからず。

さて、
パブリックコメントのための覚え書きなぞを準備。
来週に迫ったパブリックコメントの受付締切を前に、今のところ考えていることを書き出してみた。当局の意志決定に影響力のある方たちに読んでもらうためには、ここからさらに絞り込んで簡潔なアピールをする必要があるだろうが、まずは、自分のための覚え書きである。

1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をすべし

 「外国語を通じて」という文言が第1款の「目標」に見られるのだが、実際の使用場面を演出し「言語活動」を行うことで身につけるものは「コミュニケーション能力」なのか?必修科目の「コミュニケーション英語」で示される「目標」も、「情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりする基礎的な能力を養う」ことであるが、この能力は高校卒業段階で求められる「英語力」全体とどのように関わっているのか?新たな科目名で「コミュニケーション英語」といいながら、その実態が科目の「内容」を見ただけではよく分からない。何故、「英語」だけではダメなのか?現行課程での必修科目である、「オーラルコミュニケーション I」と「英語 I」を併せたものであるなら、「英語会話」という科目を設定し「オーラルコミュニケーション」を発展解消する必要はないわけであるから、現行の「英語 I」が養成してきた英語力の何処に不備があり、新たな科目ではどのような英語力を養成するのかを示す必要があろう。
 必修科目として「コミュニケーション英語 I」を設定しているのであるから、まずこの科目のみを履修した生徒がどのような英語力を身につけるのかについて、個々の技能別にせよ、技能統合の観点にせよ、「内容」「内容の取り扱い」のどちらかで記述しておくべきだろう。
 「英語を通じて」という灰色の文言にすべてを語らせようとすると、多種多様の解釈と疑義を生じるのではないか。英国のナショナルカリキュラムの外国語(Modern Foreign Languages, Key Stage 3)も2007年に改訂されているが、そこで示されている技能別の8段階の到達度指標 (attainment targets) 程精密でなくとも、ある程度の到達度の幅を「許容」することが、多種多様な学校種での授業実践に対するガイドラインとしての必要条件であろうと思う。

2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直すべし

 1.で示した「英語力」の記述や発達段階に関わる疑義のうち、もっとも大きいのが、「読むこと」の技能に関わる記述である。単独で「読むこと」を扱う科目の廃止に伴い、「読むこと」の技能が、高校卒業までにどのように発達していくのかという道筋が見えない。「コミュニケーション英語 I」の内容記述から「英語表現 II」の内容記述まで通してみられるのは、「読んで何かをする」という記述のみであり、まず「読めること」がその前提にある。「精読」「速読」という記述が「コミュニケーション英語 II」で出てくるが、そもそも「精読」とはどのような技能なのか、という定義や説明がないだけでなく、「どのようにしたら読めるようになるのか」という記述がない。さらには「読むことにより何が身につくのか」という観点の記述も皆無である。これでは、学習指導要領としての必要条件を満たしていないと感ずる。Learn to read vs. Read to learnのバランスをとるどころか、これまで以上に曖昧となってしまったのではないか。この背景には、「訳読」を排除しようという意図があるのかも知れないが、これではシラバスの中でいつまで経っても、英語のままで理解できる水準・難易度の英文しか扱わないことになりかねない。
 これまでの指導要領で何度もかたちを変えながら「読むこと」が取り上げられてきたのは、「教科書」が「読むこと」をその基本として作られてきたからである。とりわけ、語彙と文法の習得に関して「教科書」を「読むこと」の果たしてきた役割は大きい。
 語彙のみを取り上げても、戦前・戦後直後の教科書と比較して現行の高校課程の教科書では「新語」の出現する割合が著しく高いため、学習者は常に未知語との格闘を強いられている。中学校の指導要領でも「別表」が消え、「必修語」の実態は不明となった。高校でも同様である。では、何をもって「3000語」と言っているのか、実態のない議論が現場を混乱させることとなる。「語彙指導」「語彙習得」に関しては、高校段階の方が学習者にとっての負荷が高いと思われるのに、指導要領で具体的な記述がない。
 英語会話を除くすべての科目を履修した場合に、新語を高校卒業までに3000語示すことになるわけだが、まがりなりにも「読み」が潜在的に意図される教科書を使用していながら、新語の出現する割合が著しく高い現行の教科書よりも多い新語数を、「読み」を意図しない科目でコミュニケーション活動を通じて習得することが可能であると想定している根拠を知りたい。

3.母語の積極的な活用こそを明示すべし

 「英語は英語で」という基本の明示と「母語の活用」は矛盾するものではない。
 「学習指導要領」といいながらも、「英語を学ぶ」「言葉を学ぶ」「日本語と異なる言語を学ぶ」という具体的な記述が何処にも表されていない。「学習活動」という用語が指導要領から消えて久しいが、必修科目の「コミュニケーション英語I」週3単位の授業中の指示を英語で行う程度では、学習者の内部で学習を司る「メタ言語」は日本語が主となることは想像に難くない。一人一人の学習者の学習を保証する意味でも、「母語の知識、母語の技能」を積極的に活かすことを指導要領に明示すべきであろう。中学校編では日本語との対比に該当する記述があるものの、高校編では「授業は英語で行うことを基本とする」という文言がメディアに取り上げられることで世間が過剰反応している印象を受ける。
 英語の運用力が低い教師に逃げ道や口実を与えるためではなく、「新しい言語を学ぶ」という学習のモデルとして「自分の用いていることばへの気づき」を促し、その気づきと比較対照することは極めて有意義かつ効果的であると信ずる。
 上述の英国ナショナルカリキュラムのKey Stage 3の記述には、以下のように明記されている。

  • Learning languages gives pupils opportunities to develop their listening, speaking, reading and writing skills and to express themselves with increasing confidence, independence and creativity. They explore the similarities and differences between other languages and English and learn how language can be manipulated and applied in different ways. The development of communication skills, together with understanding of the structure of language, lay the foundations for future study of other languages and support the development of literacy skills in a pupil’s own language. (p. 165, The importance of languages)
  • During the key stage pupils should be offered the following opportunities that are integral to their learning and enhance their engagement with the concepts, processes and content of the subject. (a.-c.略) d. make links with English at word, sentence and text level (p. 169, Curriculum opportunities)

CEFRにおいても、自律学習、学習者の自立の側面が取り入れられている昨今、「学習の支援」「学習の学習」に関わる内容の取り扱いを再考し、「母語の積極的な活用」こそを明示するべきと信ずる。

4.「文構造」の定義を明示すべし
 
 総じて、今回の改訂案の記述からは、言語材料は「扱う」もの、「用いる」ものであって、「学ぶ」ものではない、とでもいうような理念・哲学を感じる。
 すでに公示されている中学校編で「文型」という用語が消え、「文構造」という用語に取って代わっている。今回、これが高校でも踏襲された。第3款の3.で示される、

  • ィ. 文法については、コミュニケーションを支えるものであることを踏まえ、言語活動と効果的に関連づけて指導すること。
  • ゥ. コミュニケーションを行うために必要となる語句や文構造、文法事項などの取り扱いについては、用語や用法の区別などの指導が中心とならないよう配慮し、実際に活用できるよう指導すること。

というような文言を読む限り、いわゆる五文型の指導が重箱の隅をつつくようなものとなり弊害があるという評価がされたのかと推測する。しかしながら、ここでいう「文構造」というものが、動詞型だけでなく、名詞型や形容詞型も含めた構成概念なのか、「文法事項」で示されるものは全て「文構造」を持たないものなのか、など詳細が全く持って不明である。どのようなものを文構造というラベルを貼り、整合性をもって説明しようというのか、中学編を踏まえた上で高校編での発展的な記述は必要不可欠であろう。


むーん。
人の言葉に乗っからず、もたれ掛からずにモノを言うのはやっぱり大変。
もう少し自分の頭で汗をかかないとダメですな。
元日のスペシャルに続いて『相棒』。
右京さん孤軍奮闘。
でも、彼らしい。
本日のBGM: 国境のジェントルマン(HARCO)