Modality bites.

桜は散りましたが、緑葉も映え始め、夕方の陽も随分と長くなりました。
本来なら「ウキウキ」していていいはずの季節ですが、SNSにしろ旧来のメディアにしろ、ニュースを見るたびに憂鬱になります。
この土曜日には数万人規模で市民が集まり、国会議事堂周辺〜首相官邸へとデモが行われたとのこと。「モリ&カケでの公文書改竄と隠蔽」「自衛隊〜防衛省での日報の隠蔽」「厚労省〜東京労働局での裁量労働制の違法適用に関する特別指導」などなど、タガが外れ、底が抜けたこの国のありように対しての正当な異議申し立てであり意見の表明だと思っています。

その一方で、

  • 英語の「外部試験」を取り巻く喧伝&喧騒。
  • 「小学校英語」の教科化と前倒しを睨んだ「先行実施」なる取り組み。

などを眺めるたびに、移行措置の「措置のされ具合」を一般市民は理解しているのだろうか、と危惧は募ります。

本来は、新課程への移行措置や先行実施も見据えた、小中、中高、高大の接続を「改善」していくことが最優先のはず。


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教育って、この「12年間」くらいの長期的なスパンで見て、取り組んでかろうじて「成果」の検証ができるかも?というくらいの緩慢な営みなんです。
小学校新学習指導要領に基づく教育課程の正式開始は2020年度。その児童が6年間の新たな教育課程を修めて中学校に上がるのが2026年度。その生徒たちが中学を卒業するのが2029年。高校にそのまま進んだとして、卒業するのは2032年ですよ。それよりも前に、「学習指導要領」の何をどう検証評価するというのか?

2006年度生まれの児童は今年度は小6。この児童は中学校に進んで、中3の時に、いきなり新課程の全面実施にさらされるわけです。中1、中2は移行措置があるとは言え、現行の学習指導要領に基づく教育課程と教科書で学んでいて、中3のたった一年間だけ新課程での授業。それでも、高校に上がれば新課程1期生として扱われます。どのような移行措置を経てきたか、出身の中学校によって学力のプロファイルはバラバラのまま。

この問題は戦後ずっと続いています。「移行措置」と簡単にいうけれど、公教育の教育課程や教材よりも、塾や予備校での教材や指導に重きを置いて「勉強している」人以外は、公教育段階の同じ授業時数で今までよりも豊かな学びを保証されることは稀でしょう。スムーズな接続ができていない学習内容のそこかしこに「穴」ができたまま上級学年上級学校へと進んでいるのです。

2008年度生まれの人からは、中学校は3年間新課程で学べるでしょ⁉という人は、2008年度生まれの子が小学校の新課程で学ぶのは小6だけで中学校に進む、という事実をあえて見ないようにしているのでしょうか?小1〜小5までの5年度分の「ズレ」は、どのように埋め合わせや修正するというのでしょうか?

それに加えて、「小学校英語」の教科化と外国語活動前倒しの見切り発車が関わってきます。変数があまりに多く、学校単位での、また個々の教師での対応は困難でしょう。文化資本&経済力が高い家庭のお子さんがいつも入学してく(れ)る所謂「進学校」の高等学校はまだマシで、公立の小学校、中学校、中堅以下(嫌な言い方ですが)の高校は混乱必至です。

そして、学習指導要領と無関係になし崩しで導入されるかのような、英語の「外部試験」と「新共通テストの記述問題」。
英米で作られた外部試験は学習指導要領を踏まえて作成されていません。そして、新たに示された高等学校(その前の中学校、小学校も含めて)学習指導要領の外国語・英語の記述中のどこにもCEFRとの対応など書いてありません。そりゃそうですよ、日本は欧州じゃないのだから。当然、CEFRが日本の教育課程や学習指導要領を意識したり、参照したり、取り込んだりなどということもありません。つまり、「新学習指導要領」に基づいて組まれる「新課程」の出口でさえ、CEFRとの対応など望むべくもないのです。

そもそもの話に戻して恐縮ですが、2020年度から導入されようとしている「外部試験」を受ける受験生は現行の指導要領で学んできた高校生だということを忘れていませんか?

2019年度の受験生も2020年度の受験生も同じ学習指導要領の下で、同じ教育課程で学んできたのに、何を法的な根拠にして、異なる選別方法を課され、しかも更なる課金までされなければならないのか?理不尽です。

来るべき、「外部試験」導入に備えて、全国数万の英語教師が各種業者の英語試験を受けるようになったら、それこそ特需の助長。でも、そのうち、英語教育における「ほけんの窓口」みたいな仕事ができるのでしょう。商品を売らないのになぜ儲かるのか不思議なのですが、あの相談員たちが全ての保険に加入しているはずがないでしょう?実受験体験を誇るようなマウンティング合戦は不毛です。

こちらの呟きに貼った画像でもお楽しみ下さい。

高校教員しながら受験指導するより、学校の外から受験指南した方が得な時代が来る?高2までにたくさん受けられる人が有利だから、その相談に乗ってあげる?でも高2で受けて本番の参考になるスコアって出る?CEFRの6段階といいつつ各段階の境目は1点刻みのスコアになってる試験が殆どでは?善意の舗装?
https://twitter.com/tmrowing/status/982815155099648000


大学進学希望者以外も根こそぎ抱え込もうというかのような、「学びの基礎診断」まで始まろうとしています。この「基礎診断」って、単位認定とか卒業認定を左右するような法的な根拠がありますか?もし、法的な根拠を持たせるとしたら、民間に丸投げで許されますか?「賛成も反対も試験を受験してから物を言え」などという論は、この試験には全く当てはまりません。システムとしてまだ始まってもいないのだから。

有識者は一体誰の顔を見てシタリガオをしているのでしょうか?
業者は試験作って、採点して儲かれば美味しいだろうけど、現場は複線で複雑な対応を迫られるだけ。現場の「中身」が痩せ細っていけば、システムは早晩に立ち行かなくなることを想定しているのかな?

先日、私の勤務する高校の進路指導部からアナウンスがあって、いよいよ来たか、と思っているのですが、従来の「調査書」の内容が様変わりすることに合わせて、e-ポートフォリオなるシステムを高校現場に取り入れようという動きも出てきました。

入学前には「進研ゼミ」。入学後は「クラッシー」で学習内容を押さえ、ビッグデータを入手。「e-ポートフォリオ」で、学習成績から高校での様々な活動内容、実績や評価、資格を記録・蓄積し、出口では「学びの基礎診断」や「外部試験」を受験。

何も、ベネッセに限らず、リクルートでも同じこと。

生徒一人一人にタブレット端末、コンテンツには各種外部試験対策教材。授業は「外の人」の映像配信。家庭学習での記録などを全てビッグデータとして集約管理。可視化しやすい行動様式が項目として立てられ、全国的に「つまみ出す」「掬いあげる」ことのできる情報が「有益な」指導&学習法としてまた現場へ…。「高校教員なんかもういらないじゃない!」

という現実がどんどん広がっていくのでしょう。

どんなに素晴らしいプラットフォームを構築整備しようとも、コンテンツがお粗末では何も生まれません。そんなことは分かり切っているはずなのに、「分かったつもり」にさせてくれる情報を雛鳥の口に運んでくれるような「商品」が持て囃されるようになる。暗澹たる気持ちになります。

先日、ベネッセと朝日新聞の共同で「保護者の教育に対する意識調査」が報告されていました。
こちらに一部分だけ、引いておきます。

4-1 教育改革や大学入試改革の認知
4-2 英語教育改革の認知
4-3 現在の教育改革への賛否
4-4 今後の教育改革への賛否
https://berd.benesse.jp/up_images/textarea/Hogosya_2018_06.pdf

ここまでくると「調査」ではなくて世論誘導。ベ社はまだしも、朝日新聞はこれ迄に何を報道してきた?
「大学入学共通テスト」に変わることをどれくらい知っているか?に対して変更を知らない&内容を知らないで8割近いのに、今進められている教育改革にはおおむね賛成って…。
ベネッセやナガセ、リクルートなどの「揺篭から墓場まで」系の企業体に情報を握らせることに対する危機感をこそ世論調査するべきだと思うのだけれど、そういった調査を実行し分析ができるだけの基礎体力を持つ独立した機関やメディア体がなくなったということなんだろうな。

この調査では、「格差容認6割」の部分に世間の注目が集まっていたかと思うのですが、その「格差容認」に関して、名城大学の藤原先生が面白い「追試」をしていました。面白いけど、笑えません。

「学校教育に対する保護者の意識調査」(2018)の「教育格差「当然」「やむをえない」6割超」の結果には注意が必要です。
https://twitter.com/yasuhiro008/status/984998480866295809

来週の保護者会では何を話しましょうかね…。

本日のBGM: My Ever Changing Moods (The Style Council)