やりとりとはなばかりでとられぞん?

「高大接続改革」とは名ばかりで、民間業者への利益誘導ありきではないのか、というほどグダグダの「英語外部試験(=民間英語試験)」利用の問題も、問題山積のまま時間が過ぎて行きます。

会場確保の見通しなど現段階で各試験実施母体・業者から、具体的に何も明らかにされていないのに、早晩、高等学校への「アンケート」とかが送られてきますよ。「貴校ではどの試験を利用する受験生が多いと思いますか?」ならまだいいですけど、「どの試験に向けて準備を進めていますか?」とかになったら利益誘導でしょうにね。いや、「お上」からのアンケートの話ですよ。英語科の先生方が検討する、というものではなく、「都道府県市町村の教育委員会」を通じて「所属長」から「進路指導部」などというところに送られてきて、1週間くらいで回答せよ、みたいな。職員会議に諮られるような時間的余裕はないのではないかと危惧しています。そして、その結果をもって「受験生の不利益を生じないように」などという「通達」がまた「お上」から。こんな「やりとり」で2020年度から実施なんかして大丈夫なんですかね?

中国地区では、広島大学が2020年度からの「民間英語試験」利用に関して次のように発表しました。

https://www.hiroshima-u.ac.jp/system/files/99092/%E5%B9%B3%E6%88%9033%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%80%85%E9%81%B8%E6%8A%9C%E3%81%AE%E8%A6%8B%E7%9B%B4%E3%81%97%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E4%BA%88%E5%91%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf

具体的な記述で注目すべきはここ。

(2) 英語科目の取り扱いについては、大学入学共通テストの枠組みにおける5教科7科目の位置づけとしての英語認定試験を「一般選抜」の全受験生に課すとともに、平成35年度に実施する平成36年度入学者選抜までは、大学入試センターの新テストにおいて実施される英語試験を併せて課す。
(3) 英語認定試験結果の活用については、本学が定める要件をすべて満たした場合、本学を受験する年度の新テストの外国語(英語)の得点を満点と見なす。

中国新聞での報道はこちら。

基準クリアで英語は満点扱い 広島大、共通テストの民間試験活用で方針
https://this.kiji.is/371939476702053473

スコアは直接、合否判定に影響しない。「みなし満点」の判断にのみ用いる。基準は、複数の試験のスコアを比較できる語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」の「B2」以上となる見込み。現行の英検では準1級以上に相当するレベルだ。

 広島大は「読む、聞く、話す、書く―の4技能を問う民間試験を全学部の受験生に課すことで、グローバル人材の育成を目指す本学の姿勢や、求める学生像を示した」と説明する。

 共通テストで受験生は、大学入試センターに認定された民間試験8種類のいずれかを各自で受検し、スコアを志望校に提出する仕組み。どの試験のスコアを活用するかは各大学の判断に委ねられており、広島大は全てを対象にするとした。

「無茶苦茶だな」というのが正直な感想です。

因に、広島大学の現在の入試での英語外部検定試験の「活用」はこうなっています。

英語外部検定試験の一般入試等での活用について
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/38253

これって、「活用」を希望する受験生にだけ当てはまるから、成り立っているんですよ。

今回、広島大学が発表した「予告」に従えば、「一般選抜」の志願者はみな、高額の「外部試験」の受験を義務づけられ、しかも、CEFR換算でB2レベルに満たなかったものは、「外部試験」のスコアやランクは合否に全く影響しないわけです。共通テストの英語の点数のみで評価されるということなら、そもそも外部試験受験の必要がない者が殆どではないでしょうか?

スーパーグローバルを謳う総合大学だから「高度な英語力を求める」というのも短絡的な発想だという印象がぬぐえませんが、「総合大学」だからこそ、慎重にハードルの設定をするべきでしょう。全志願者のうちどのくらいの割合が「B2」レベル以上の英語力を備えているでしょうか?確かに、高度な英語力を備え、それが「強み」となるものもいるでしょう。でも、皆が皆、そうではないし、そうである必要はない。入学選抜における「合否」は5教科7科目のテストと個別入試で決められているわけですから。

外部試験の「利用の仕方」は、各大学に任されているから、この「みなし満点」のみでの入試利用を広島大学が独自に採用する、というのであれば、みなし満点での合否判定を希望する受験生だけに外部試験の受験を求める、裏返せば「B2以上のスコアを持つ者だけ、みなし満点出願」の入り口を作れば済むことでしょう?名称は「きらきら入試」でも何でもいいですよ。何故、合否に影響せず「外部試験」の受験料が無駄になる志願者にも一律に外部試験の受験を課すのでしょうか?むざむざ、業者に受験料を流すだけではありませんか。
文科省、DNC、国大協からのガイドラインの段階で問題山積で「高校現場」の混乱必至なのに、この広島大学のように「使い方」が個々の大学で異なるのであれば、民間の「外部試験を使わない」というオプションを保証しないと!

「東京五輪」という以外に何の意味もない、「2020年」という期限を無しにして、2024年の新課程完成年度の卒業生に合わせて、大学入試センターが責任を持ってライティングとスピーキングのオプションを作り、大学が四技能のどれを使うか選択できるようにすれば十分だと思います。民間の試験は、AOや推薦で活用するという今のままでいいでしょう。

そして、2024年を待たずに、「新学習指導要領」の「英語」に関わる、小学校から高等学校までの中身の精査をきちんとすることが重要です。

「シン・ガクシューシドーヨーリョー」と呼びたくなる新課程では、「アクティブラーニング」という用語こそ消えましたが、「伝えあい」や「やりとり」などが前面に出てきて、英語では「即興性」の高い活動がよい活動とされる空気が出てきました。
教科書を読んでも分からず、教師の話を聞いても分からないのに、生徒同士では分かるのか?という疑問が募ります。

「やりとり」では言葉を交わすわけですよ。「意味」とか「話者の意図」とか「お互いの前提」とか「双方の利害とゴール」とかいろいろ絡んでくるわけです。

公立高校入試レベルでの私の危惧はこちらで表明していました。

毎年「ライティング」系の出題に注目している埼玉県の公立高校入試問題ですが、今年はリスニングで「⁈」となりました。
https://twitter.com/tmrowing/status/969317219518697472

センター試験「リスニング」での “xenophobia“の扱いに関しての疑義・違和感の表明はこちらのツイートで。

https://twitter.com/tmrowing/status/972937098587119616

この元になったブログ記事は

What’s the story?
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20160131

「新指導要領」の英語の「聞くこと」「読むこと」では、「必要な情報を聞き取り、話し手の意図が把握できる」「概要や要点を目的に応じて捉えることができる」とあるのですが、「聞くこと」で要点を捉え損なった者は、同じ原稿を「読むこと」で、どこが重要な情報とそうでない情報の分岐点かを確認する必要があるでしょう。

それでいて、「話すこと」の「やりとり」では、「情報や考え、気持ちなどを伝えあうやりとりを続けることができるようにする」という努力目標では飽き足らず、「読んだり聞いたりしたことを基に、〔中略〕論理性に注意して伝えあうことができるようにする」という、大それた努力目標まで掲げているのです。

教科書や教材でプロが書いたものを読んでもよく分かっていないのに、そこで「読んだことを基に」何を伝えあうというのでしょうか?まずは、「論理性に注意して、事実と意見を区別して整理、理解する」というような下位技能をこそ広く求めるべきだろうと思います。そこが担保されていない教室で、いったい何をお互いに伝えあう?

では、「プロが書いたもの」ならAさんは的確に理解できたとしましょう。では、そこから、「論理性に注意して」Aさんが伝えたものが、Bさんには伝わらなかったとしたら、教室ではどうするのでしょうか?

1. Aさんの「伝え方」に問題があった。
2. Bさんの「聞き方」に問題があった。

夫々、次にどうする?
1. Aさんの「伝え方」改善には、伝えるという気持ちを高めれば解決?否。まず理解には問題がない前提で、その理解の伝達における、情報の再構築とその言語化を分析できる「他者」が必要になります。その「他者」はA,B以外の生徒、たとえばCさんで適任ですか?本当に35人学級で、他の33人に適任者がいる保証は?

2. Bさんの「聞き方」不全の解決は更に厄介です。まずBさんの「教材」の理解が的確か、から始めないといけないから。その上で、Aさんの「話し方」が適切であるか否か?適切でなければ、Aさんが、前述の 1. の課題を解決した後で再度、やり直しとなる。そんなまどろっこしい営みを教室は許容できるのでしょうか?

更に悩ましいのは、先程の、2からの流れで、Aさんの伝え方が適切だった、とした場合。Bさんは、Aさんの話の何をどのように聞いて「敢えて、間違った道を辿り、間違ったゴールへと進んだのか?」または「ゴールを見失い、先へと進めなくなったのか?」を明らかにすることはかなり難しいと思います。

この最後の課題を、同じ教室で「即興」で解決することは至難の業。「いや、実はこういうことが言いたかったんだけど、うまく英語で言えなかったんだ」という生徒の中にある意味とのすり合わせとギャップを埋め合わせるフィードバックは誰が与えるのか?それって、母語を排除してできるの?

その昔、大村はま氏は、「三十五人の三十五の書きだし」といって、教室での表現活動に教室でのリアルな読者を設定し、一人一人が異なる作文を書き発表する活動をされていました。英語でのやり取りが「35 人の最大公約数のtext〔テクスト;ことば〕」になるときに、どうやってその公約数を大きくできるか?これって、高校にスタディサプリとかクラッシィとか入れたって解決しないと思いますよ。

ということで、約20年前に、高校3年生の授業で「英語による生徒同士のマイクロティーチング」を、10年程前に、「ディスカッションとサマリー」の授業を通過させてきた古い世代の英語教師の一人として、今以上に「英語を使ってやり取りをしている雰囲気」だけが教室に充満しないことを願っています。

本日のBGM: Suspicious Mind (Carnation)