『悲しいほどお天気』

あっという間に6月も下旬。前回のエントリーから一月経ちました。
梅雨5号も去り、今6号が近づいているという感じでしょうか?

現任校には「進学に特化したクラス」が学年に一つ設置され、今年はその高3年の担任なので、大学の入試結果の業者によるデータ分析や各大学の入試要項が確定するこの時期は「入試説明会」での出張が増えてきます。6月だけで大学と業者と合わせて8回あります。うち一つは県外へ。

授業を午前中に繰り上げて、午後に出るわけですが、週に2回とか午前を4コマ連続で詰めて午後出張とかになると、結局、多読のノートチェックとか、ワークシートのカスタマイズや印刷などをする時間がなく、翌朝勤務時間よりかなり早く出校しなければならなくなります。ダメージがボディブローのように蓄積されてきます。行き先では、ホテルの会場などが多いので、2時間座りっぱなしで、エアコンの冷気で頭からやられたりもします。当然、そのダメージの影響は、日々の授業にしみ出てきます。私が一番嫌いな授業の精度の劣化です。土曜日には午前中に課外講座が入っていますが、そこでは本来課外の狙いである、「更なる高みへ」「更なる豊かさを」という講座よりは、平常の授業のひび割れ、水漏れの修繕補修に近い内容になります。本末転倒ですね。

来週は期末テストで、その作問もありますが、今年は、英語の授業(と総合的学習の時間)が3学年にまたがり8種類18時間を担当しているので、まさに「祭り」となります。で、その期末テスト中に2つの大学の入試説明会があり、一つは県外へ。午前中に試験監督、昼前には出発という感じでしょうか。テスト週の週末土曜日には私学協会主催の民間英語試験勢揃いのデモで大阪へ日帰りで、翌日曜は終日で模擬試験監督。翌週には、センター試験のブロック説明会が岡山でありますから、それにも行くことになります。こんな環境で働きたいという奇特な方、どこかにいらっしゃいますか?

このブログも含めて、SNSでも英語学習や授業に関わる「教材」「学習材」を貼り付けて公開したり、英語ということばの「生息域」や「スキル」に関わる情報や指導法を発信していますが、そろそろ私の心身も限界に近いので、今のうちに、ダウンロードできるものはダウンロードしておいた方がいいですよ。いつなくなるかわかりませんから。

ということで実作の記録をば。
今年の高1再入門での「不規則動詞活用表」です。

不規則動詞活用2018.pdf 直
不規則動詞活用2018.ABB_bxls.pdf 直

不規則とは言え、規則変化に似た活用となる ABB型です。
昨年度のものから、配列を少しだけ変えました。
所謂「現在完了」、私の授業では助動詞の番付表の「大関」の用法で個々の用例、動詞を扱ったあとで、この表を提示しています。

現在完了の単元での印象的なエピソードから。

「期間」や「起源・起点」のない、大関単独の場合は、その付き人になってる動詞と、その次に続く「どどいつ」の要素との組み合わせで、「成果・達成感」を表すことが多い。

として示した用例で、

  • Mr. Matsui has live in Yamaguchi since 2007.
  • Mr. Matsui has lived in Yamaguchi.

では、後者は「成果・達成感」の読みをしようにも、「山口に」という副詞句が不自然で、「山口に暮らすことが普通の人には高いハードルである」かのような印象を与える、という補足をしています。この段階ではまだ、関脇との合体ロボ、所謂「現在完了進行形」は取り上げていません。

そこから、

  • I have learned 1000 English words. 英単語を千語覚えました。

という例を示したところ、「英単語1000語覚えたくらいで何をドヤ顔してるのかしら」というような顔で私を見た生徒がいたのが意外でした。その生徒にとっては何千語レベルが「ドヤ顔」対象なのか、聞いておけばよかった。

もう一つのエピソードは、発音と綴り字。
往々にして「ドヤ顔」を示すような場面、

  • I have lost my smartphone.

のように、「成果」「達成感」の逆で、「失敗」「喪失感」を表すにも使えますからね、と確認したあと、「lostは-ed/en形で形合わせ、では元の形は?」という問いに "lose" はだいたい皆言えるんです。口頭でなら。
で「loseの綴り字は?」となると怪しい者がチラホラ。
その場で取り繕うことができるのは、せいぜい、

chooseはooと二つ並んでたけど、loseは o が一つ。あれ?oを一つ失っちゃたのかな?

ということくらいでした。このloseの -o- の類例で直ぐ思いつくのは do / move / twoくらいですからね。(cf. 成田圭市『英語の綴りと発音』)

綴り字と発音に関しては、入門期に限らず、何処かの段階で「きちんと」学習しなければならないだろうと思っています。「それぞれ・それなり」を受け入れられれば、あまり悩まなくても「そのうち」なんとかなりますが、「どのうち」にも「お家事情」があり、単純に急いだり、他に先んじようとしたりすることから不幸が始まります。小学校くらいで所謂「フォニックス」を教わっているからといって、本当に身に付いているかどうかは一人一人確かめてみないとわからないもの。本当ですよ。「礼儀正しい母音」とか覚えてきちゃったりしますから。

高2は、所謂「仮定法」を学んでいます。
かつての名プログラムだった大田洋先生の『レベルアップ英文法』の2007年3月号から、スキットを取り上げて導入しています。
そこからの流れで、今週はI wish を。
私の授業では、

仮定法過去
仮定法過去完了

という用語ではなく、それぞれ

タイプ 2
タイプ 3

と、その「ラベル」自体に意味を持たせない分類をしているが助動詞の過去形の用法→助動詞+完了形を十分に扱ってから指導するようにシラバスを組んでいます。
私自身が高校1年生のときに長崎玄弥氏の本で行った練習方法を高2の生徒相手に再現しています。
教材にありがちな、

  • I wish I knew her address.

の文で願望や妄想を確認し
で、「そのココロは?」と自問して、

  • Then, I could send her a gift on her birthday.

とでもいうような、オチをつける所から。

願望や妄想はいろいろあるだろうから、それを日本語でいいから20個くらい吐き出して、I wish に続けて、それに対応したThen, ....の結びも、日本語でいいから書き出して見る。まずは、タイプ2から。

と指示して、個人で吐き出し→少人数でのシェアリングへという流れで。
この作業を観察して分かるのは、母語である日本語で考え、書き出しているのに、タイプ2ではなくタイプ3の内容を願望・妄想し、結びに四苦八苦している者がいることです。
「高所恐怖症じゃなかったらなぁ…」と「あのハンドがなかったらなぁ…」の「なかったらなぁ」の違いに無自覚ということでもあります。

こういうことを言うと、「だから日本語を介在させないで『英語は英語で』!」というXXXな人もいるかもしれませんが、そもそも、その英文を見聞きしたり口にしたり書いたりしている者の頭の中、心の中に、本当に「そういう意味」がある保証は?という「?」が教える者の側にあることこそが大事だという話をしているんですよ。
指導手順としては、

  • I wish [A=タイプ2]. Then, [B=タイプ2]. の日本語版20セットが出来たら、その中から1つでも、2つでも、英語でも言えそうとか、言いたいというものを選んで英語にする。
  • 次に、そのA, B を、If A, B.の型に移し替え、所謂「仮定法過去」の文例にする。

というのが長崎氏の教えの私流味付けです。これで、だいたいの生徒が「発想」に馴染んで、では英語という「言語」の問題へ、と順調に進めていたのは数年前まで。最近は、なかなかうまく行きません。白板に各自のベスト願望・妄想のセットを日本語のまま転記させると先程のAとBを全く逆に書く者が出てきます。
また、当然、タイプ3では、過去の出来事や行為の「やってまった」後悔、または、できなかった、しなかったことの卓袱台返しを扱うのですが、タイプ2の例を日本語で考える段階で、それがタイプ2ではなくタイプ3だ、ということが分からないものも出てきます。
自分の願望・妄想ランキングの上位というかワースト例は、できれば人に言いたくないなぁ、とは思っても、20セットも作れば一つくらいは他人に言えるものが残るものです。そもそも、教科書や市販の教材、模試での出題例などで扱われる例文の無味乾燥さ、リアリティのなさ(単元が「仮定法」ということを抜きにしてもの話です)を克服し、英語の世界を「生き直す」ことを狙いとして始めた活動・作業ですが、総じて、当たり障りのない、「…ならなぁ」が白版に並ぶことになると、「今、リセットしてやり直せたらなぁ」とか「…嗚呼、こんな課題与えるんじゃなかった」ということになってしまいます。

これは本当に英語以前&興味関心以前の問題で、「どうすりゃいいぜ」案件です。

ちなみに、「仮定法」の導入に際して、ピックアップした例文は、

  • If I were you, I would ….

ですが、これをFree substitutionのドリルにしていました。

このときにも、市販教材にありがちな、

  • If I were you, I wouldn’t do such a thing.

などという用例で「そんなことって、どんなこと?」という問いからスタートです。

道路交通法で示されている、自転車の運転に関する「違反」をプリントアウトしたものを見せたり、国会で話題の公文書の改竄や、国会での虚偽答弁などを取り上げ、「日本語」でなら想起できる、実感できるものを取り上げています。

それにしても、日本のものに限らず、重要例文、基本例文として用いる語句として、”such a thing” などを入れても平気な神経が私には理解しがたいです。少なくとも、その前の一文が場面や対人関係をより明らかにし、意味を一定の枠に収めるような配慮がなければダメでしょう。教材作成者や編集者には猛省を促したいと思います。

高3では、折りに触れ「覚えるべきことは覚えなければダメですよ」と言っています。
いくら、四角化ドリルやP単のフレーズなど、チャンクごとに「プレハブ」を作って仕込んでも、それを組み立てる基準となる設計図や現場監督は必要となるもの。でも、そこは気にしないで、自分の慣れ親しんだ味だけつまみ食いしてきて学年が進むと悲劇しかないです。いや、ホントに笑えないですから。

15年程前の中学校の検定教科書数社から選んで編んだ『ぜったい音読』(講談社)を高1の再入門教材として、意味順英作文をテキストとし、私の授業の定番でもある「名詞は四角化で視覚化」のドリルと助動詞の番付表というメニューをもってしても救えない段階まできてしまったなぁ、という今日此の頃です。
語彙にしろ、文法にしろ、用法にしろ、「もの」として保持しようとしたり、貯めようとしたりするから、肝心な「こと」が逃げていくんだと思います。
光岡導師のおっしゃることと重なります。次のリンク先のスレッドを最後までお読み下さい。

心にせよ、身体にせよ、それは“こと”であり「もの」ではない。
https://twitter.com/McLaird44/status/1009276125229432832

本日はこの辺で。

本日のBGM: Destiny (松任谷由実)