principle

霙混じりの朝。
妻は早くに、子ども達を連れて祝島へヒジキ採りのお手伝いへと出かけていきました。
仮入学が終わり、いよいよ新年度を迎える準備、という雰囲気になってきた。分掌は今年度もそのまま。教科の担当ではカリキュラム完成年度ということで、進学クラスの持ち時間が3単位分減り、それ以外の担当が3単位分増えた。3学年、3コースに跨り6種類18時間の担当。高3普通クラスの2単位ものだけ2クラスで、後は全て単独のコマ。以前の公立時代は7種類全て単独のコマだったこともあるが、現任校の進学クラスは1クラスのみなので、大変な感じはしない。
本来は選抜大会が24日から27日まで予定されていた関係で、28日のみ春季課外を入れていたのでその準備。
本業はエルゴ。

いろいろな方面から異動のお知らせがもたらされる。
昇進という言葉も鉛直方向で「上」へ向かう比喩だし、カタカナ語でもキャリアアップなどとよくいうが、何かを上げたら何かを下げておかないとバランスが上手くとれないもの。キャリアダウンという選択肢を歓迎できないのであれば、自分の中で何かを下げておこう。余りに高いところにいたら、下々のことはよく見えないしね。

私個人のスタンスは、「脱原発」であることをこの機会に明言しておきます。
震災はいまだ余波などという言葉で収束に向けて形容できるものではありません。原発のsevere accidentに関しては、レベル認定を云々することよりも、放射性物質の人体等への悪影響を未然に防ぐために設けられた様々な規制値を、「専門家」、「専門機関」と称するところが勝手に改訂していくことに、恐ろしさを感じています。作業員被爆のニュースはまさに愕然とするものでした。誰に対して怒ればよいのでしょうか。私は次の本を5ヵ月ほど前に初めて読んで、自分があまりに作業員被爆の実態を知らなかったことを恥じました。価値や是非の判断は読んだその後で。樋口健二『闇に消される原発被曝者』 (http://amzn.to/gNVaFd)
「原子力安全・保安院」というのは「経済産業省」の一組織であることを忘れてはいけません。その行動規範を示す公式サイトの文言の冒頭にはこうあります。

  • エネルギー施設や産業活動の安全を守り、万一の事態に的確に対応するため、「強い使命感」「科学的・合理的な判断」「業務執行の透明性」「中立性・公正性」の四つを行動規範としています。

このことばのどこに、守られるべき「人」がいるというのでしょう?(http://bit.ly/f3K9pQ)
では、「原子力安全委員会」は機能しているのでしょうか?公式サイトにある資料を読みました。もっと早く読んでおくべきだったかもしれません。別表2にある、「耐震安全性評価特別委員会専門委員」に名を連ねている研究者・技術者は沈黙している場合ではないはず。今こそ識者、専門家がプロとしての仕事をするべき時でしょう。(http://www.nsc.go.jp/info/20091119_D34.pdf)
原子力安全委員長・斑目春樹氏の言を読売新聞のオンライン版で読んでの感想。

  • 「電源の喪失は深刻で予想を超える早さでトラブルが次々発生、技術陣の対処能力を超えた」と指摘。 津波という想定外の自然災害に極めてもろかった原発技術の限界を認め、「震災時にも電源を容易に確保できるなどの耐震機能が必要だ」と、反省をこめて語った。(2011年3月24日06時33分 読売新聞)

この「責任者」が以前言っていたことが、原子力資料情報室のこちらの資料に載っています。(http://t.co/hvnSqqP) 私もあらためて、この人は不適格だと思いますが、不適格と詰ったところで結局、誰も「責任」をとってはくれないわけです。
中部大学の武田邦彦教授のサイトでは、今回の原発事故に関する「緊急情報」が発信され続けています。(http://takedanet.com/cat5621932/) 今は、自分自身で情報を整理し、自分の判断で行動するべきcriticalな段階にいるように思います。
杞憂に終わることを望みます。
夕飯はお留守番をお願いしていたお母さんに作って頂いたパスタ。
妻と子ども達が、大きな袋にひじきを一杯入れて帰ってきました。
何十俵も収穫したお礼にもらってきたとのこと。
お疲れ様でした。
横川和夫『降りていく生き方』(太郎次郎社) を少しだけ読み返して本日はおしまい。

本日のBGM: 毎日はカノン (空気公団)