What flows when it comes to fluency in EFL writing?

Error free T-unitの数などを計量して、ライティングの質を数値化しようという試みは古くから行われている。(日本でも、英検の助成研究など誰でもpdfファイルを入手できる論文で使われているので実例にもすぐに触れることが出来るだろう。)
このような手法で問題にしたいのは、error freeというのだが、そのユニットを「文法的に正確に」書く指導は普段行われているのだろうか?ということである。
たとえば、全ての誤りを教師が訂正し、それを生徒が書き直しした後の英文をもとにerror freeである、とは言えないのは明白である。では、さまざまな種類のフィードバックを与えて、生徒が誤りに気づいた後で自己訂正した英文をもとにした場合にはerror freeといってよいだろうか?事前活動を行ったり、一次資料は与えるにせよ、やはり生徒が書いたものに教師が手を入れる前の段階で分析する必要があるだろう。とすれば、そのまとまった英文を書く指導において、常に「文法的正確さ」の指導は後手後手に回っていることになる。では、fluency「流暢さ」は何で測っているのだろうか?いったい、その英文において何がfluentなのか?何がflowしているのか?総語数?異なり語数?直観や印象でそれだけでは不十分だということは素人の目にも明らかであろう。訳の分からない単文の羅列でも十分に総語数はふやせるし、品詞や語法のミスを無視すれば異なり語数を増やすことは比較的容易である。我々はfluencyという概念が独立したものとして存在すると思いこんではいないだろうか?EFL writingにおけるfluencyの実態は、常にaccuracyに依存しているのではないだろうか?「まちがってもいいからどんどん書きなさい」という指導が早晩頭打ちになるのは、「どんどん」の正体がよくわからないからではないのか?「どんどん書いた後はどうすればいいのか?」を指導していないことに原因があるのではないのか?確かに添削指導の効果に特化した研究もあるが、書き直しやerror logの指導までセットにした研究は変数が増えるためか、ほとんど行われていない。結局の所、生徒が自分で書いたものに責任を持てるような指導の中でしか、accuracyは定着しない。とすれば、現在多くの高校で実践されている「自由英作文」の指導でも、文法シラバスに則って、予め決められた単文(短文)の完成を要求する指導でも効果が薄いということになる。
「文法をしっかり身につけさせたいから、短文であれ長文であれ自分で英文を書く指導を段階的に行っていくのだ」という教師が一人でも多く増えてくれることを望む。