「流れ星か 路傍の石か」

『新英語教育』2月号(三友社出版)を読む。特集は英文法。非常に気になる論考があった。
諫山和可氏の小論は、次のような言葉で結ばれている。

  • 「実用」英語は、かつてはSPEAKINGを指すことが多かった。今は、インターネットから英文を検索して読み、それを英文で発信していくことのほうが日常的な実用の実態に近い。これはREADINGとWRITINGの授業に対応するものである。それを下から支えるのは文法ではないだろうか。(「文法はスパイラルに ―まず全体像をー」、p. 16)

ところが、その結びに至るまでに語られる諫山氏の勤務校での実践は次のようなものとなっている。ここが何とも首肯しかねるのである。

  • 文法の体系は1年次で教えたが、単位数が全体で6単位と比較的余裕があったのでまるまる2単位を文法指導に使えた。2年次はWRITINGでCROWNを使用したが、文法立てのPART1を作文の観点から深めた。他のPARTはカットし、残りの時間は副教材で「システム英作文」(桐原書店)を使い、文法を構文の観点から作文に応用していくものとして利用した。(中略)3年次はWRITING(2単位)の中で文法を扱ったが、2年次にテキストは終了していたので、副教材を使い、1,2年次で学んだことを「構文や語法」の観点を軸に再整理し、理解を深めさせた。

一体この学校ではいつ”writing”をやっているのだろうか?昨年の3月の語研、6月の英授研、8月のELEC協議会、そして11月のELEC同友会と一貫して、このような公立進学校特有の「いつまでも文法指導・文法演習を続ける」シラバス、カリキュラムの問題点を指摘してきたのだが、まだまだ私の主張は浸透していないようだ。文法観の転換こそが必要だと云いたい。文法が必要なのは勿論だが、このような教え方をいくら続けても「自分の頭に浮かんだ考えや感想を英語で書く」力には繋がらない。奇しくも諫山氏が「実用」に関して言うように、読んだ英文をもとにして、英文で発信していくことを学習活動の中心として据える中で、定期的に集中講義をした方が余程効果的なのではないだろうか。英語教師は本当に「体系的」という言葉が好きなようだが、自らが学習者として文法体系が完成した時期、文法の全体像が自分の中にできあがった時期を自問自答する必要があろう。私の学習者歴を振り返れば、少なくとも大学2年生の時である。教える方に至っては、いまだに自信はない。結局、「自分ではこういうものとしてとらえていますよ」「こんな風に英語にアプローチしたら意外と自分にしっくりきたんですよ」ということを伝えることくらいしかできないだろう。
文法研究、文法指導法研究の大好きな教師は、いったん文法から離れて、その自分の得意技を封印して英語授業をとらえ直して見ることも必要である。高校現場への「オーラルコミュニケーション」導入以降の10年間はそのための時間だったと私は思っている。「ライティング」という科目ではなぜ、ライティングを教えなければならないのか?次の英文をよく読んで欲しい。
『集中マスター自由英作文問題集』(旺文社)
2005年に出版された比較的新しい問題集である。その中にこんな解答例が載っている。これは、「人間のクローンを作る研究は禁止されるべきか」という設問に対するもの。

  • I believe cloning should be forbidden. While it may help some people, I’m afraid cloning would be abused. We can easily imagine the great confusion it would bring about. Some people may use cloning to make copies of themselves so that they can “live forever.” Others may use it to get the brain of a genius. I think this is immoral. People should enjoy the one life that they are given.
  • ※some, mayの曖昧さが全く具体化されずに漠然とした一般論だけで終始してしまっている。結論の最後の文の理由こそがこの英文を書いた者の価値観が問われるところなのに、説明責任を果たさずに終わってしまっている。

『減点されない英作文』(河村一誠、学研)
こちらは2006年に出版。参考書としては今のところ最も新しい部類に入る。腰帯には「添削数3万件の著者がおくる合格するための英作文テク!!」とある。自由英作文対策の解答例は10例ほどしかないのだが、そのうちの一つ。「小学校で英語を教えるべきか」。

  • I think English should be taught at elementary school. This is the age of globalization, and it is becoming more and more necessary to learn English, the most widely used language. The earlier you begin to learn it, the more likely you are to become proficient in it. There are several reasons for this, but the most important one is that young children have more fun learning English than older children and adults. In addition, it has been scientifically proved that a person’s language ability usually peaks at a rather early age. Furthermore, little children can learn to pronounce English much more correctly than older children and adults. Once Japanese children learn the Romaji system of pronunciation in the 5th and 6th grades, they start to change the natural sounds of English words into unnatural Romaji sounds.
  • ※主題が曖昧で、さらにはnecessary, most widely used, more fun, more correctlyなど主観的形容の部分にサポートが希薄であるだけでなく、最後の一文に飛躍があり、「だから、早く始めなければならないのだ」という主題への収束が弱い。英語ネイティブの英文校閲が入っているはずなのだが…。

以前のブログでも、模擬試験の解答例不備を指摘した(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061111 )が、問題集や参考書の多くには問題が大ありだろう。「自由英作文」や「ライティング」の前に、きちんと文法を押さえて、単文・短文を書けるように、と主張する英語教師は、このような英語の文章を「解答例」として生徒が学ぶのに任せておけばよいとお考えなのだろうか?全国で「ライティング」の担当をしている高校教師の率直な意見を聞いてみたい。
さて、先日、『英語基本語彙辞典』を探したおかげで、物置から色々な本が出て来てくれた。
『giveとget 発想から学ぶ英語』(松本道弘著、1975年、朝日出版社)
『続・英語を掴む Time Essay 読破術』(松本道弘著、1981年、朝日イブニングニュース社)

  • ※これは、某TV英会話のIIIに影響されて、松本「英語道」にどっぷりはまっていた頃(高1から高3にかけて)に購入したもの。Time Essayは、Lance Morrow, Roger Rosenblattなどが多く収録されている。私が好きだった、Frank Trippettは1編だけだった。

『現代英語教育』1993年9月号(研究社)

  • ※特集は「オーラル」Bとリスニング。なぜこの号を取ってあったのかと言えば、当時の連載「私のリソース・ブック」で拙稿が掲載されたからである。Gertrude F. Orion, Pronouncing American English: Sounds, Stress, and Intonation (International Thomson Publishing Japan) を利用した実践の紹介。

『早稲田文学』1985年2月号

  • ※「第一回早稲田文学新人賞」の受賞作である、安久昭男「悲しいことなどないけれど さもしいことならどっこいあるさ」が収録されていて、ずっと探していたのであった。学生時代、何回読み返したか分からないくらいに好きな作品だったのでうれしい。以前、ブログのタイトルに使ったこともある。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060924)74ページくらいある長い作品だが、一節だけ紹介。
  • 我々は砂田直夫君のなった星を決めた。オリオン座のリゲル。それは見え隠れするうさぎ座の上にあってうさぎの耳を縛りたそうにしているのである。そしてそれは死なないと行けないくらい遠い。
  • 当時の編集委員は、荒川洋治、鈴木貞美、立松和平、中上健次、福島泰樹、三田誠広、山川健一、編集長は平岡篤頼。

本日のBGM: 十四才(The High-Lows)