高校段階で扱う英語表現に、次のような英文があると思われる。
Nothing is as important as time.
文法項目でいえば、「比較」と「否定」とに分類されるのであろう。このような英文を正しく表現することができると「文レベルでの文法的正確性」が身についているというように英語教育の世界では考えている印象を受ける。では、その正答を求める際のprompt, triggerはどうなっているのだろうか?
高校の試験や、入試問題およびそれに準じた市販の教材では以下のような形式が多いのではないだろうか?
- Health is the most precious thing of all. = Nothing [ ] . (原級を用いて書き換えよ)
- Time is the most precious thing. = ( ) is ( ) precious as time. (2つの文がほぼ同じ意味になるように空所に適語を入れよ)
- 朝早く散歩することほど楽しいことはありません。(英語に直せ)
これらに共通しているのは、全て、既に何を書くかが決まっている英文である、ということである。そして、このような条件反射的ドリルを一定のパターンでゴリゴリ繰り返して、「一度みたことがある」「一度やったことがある」問題に対して瞬時に反応することで文法語法問題などの正答率を上げていくと考えているようである。文レベルの正確性を養ったり、評価する際には決まって「一つの文(あるいは短文)」で「答えは既に決まっている文」なのである。
ところが、スピーチやライティングなどでは、急に「自分の考え」を「複数の文」で書くことを要求される。「あなたの宝物について10文程度の英語で書きなさい」とか「地球が人口で一杯になり、あなたはスペースコロニーに移住することになりました。一つだけあなたの大切なものをもっていくことが許されています。あなたは何をもっていきますか。」という指示に従って書いたりするわけである。往々にして、タイトルやテーマが与えられてはいるものの、複数文からなる一定の分量のある英文を書くときには「流暢さ(= fluency)」を重視して、fluency first approachなる指導評価をしている印象を受ける。ではこのようなスピーチ指導やライティング指導のなかで、トピックセンテンスを正確に書く指導はきちんと行われているのだろうか?例示・例証する文を正確に書く指導は段階的に、発達段階を踏まえて行われているのだろうか?
私が英語 I やオーラルコミュニケーションで普段やってきたのは、
- まず、ランキングなどで価値観を問いながら語彙を導入する。といったって、preciousとかimportantなものを考えるときに文法語法問題や英作文の問題に出てくるものといえば、「時間」「健康」「命」「家族」「友人」「友情」「愛情」「お金」「夢」など相場は決まっている。名詞なら名詞、動名詞なら動名詞とコントロールしても良い。
- A is more precious than B.の枠組みに自分のランキングを入れる。1位から最下位まで厳密にではなく、1位と最下位などのように差があればそれで十分である。
- ランキングの同じ人を探すインタビュー活動。
- 同じランキングを持つもの同士のペアまたは小グループで、理由を考える。考えられたところは、教師の所に一人がチェックを受けにくる。出来たら席に戻って伝達。
- 大半の生徒がチェックを受けた時点で2,3グループに発表させる。他の生徒は理由の部分をしっかり聞かせる。必要に応じて板書と説明。
- 次に、大きく差がつかないものに関して、原級での表現 as ノ as を示す。最上級の表現として the most preciousを、その言い換えとして英語的発想で否定主語での原級表現があることを示す。生徒が発表で用いた英文を利用して板書と説明。口頭練習をしてから、copying。
- 1位の項目に関して、スピーチの形式で、導入は最上級で、結論での言い換えを否定主語+原級で書くように指示して個人課題として取り組ませる。
というような流れ。適宜reportingの活動を組み合わせることで、意味を確認させながら、一定のパターンを繰り返させることができる。
枠組みは与えるにせよ、自分のいいたいことを正確に言わせる・書かせる活動をする中で「文レベルの文法的正確性」をチェックしなければ意味がない。「体系的な」文法指導が大好きな英語教師も「自己表現」が大好きな英語教師も意識の変革が必要だろう。文法項目別暗誦例文を眺めて、文構造と直接関わらない語彙を変えることで生徒の実感や実生活を表現できないかを考える。生徒が「自己表現」で用いた表現で、暗誦例文に含まれる文法事項が十分にカバーされているかをチェックする。とりわけ高校の英語 I、英語 IIでの授業実践ではそのどちらも不十分である。そして、そのツケを「ライティング」という科目一人に背負わせるのはあまりに酷である。