ground zero

先日買ったNatureのチェルノブイリ特集号は驚きの価格だったが、昨日東中野にある映画館で観た『アレクセイと泉』は1500円ナリ。お得感は不思議なもの。上映前にかかっていたBGMの1曲が今日一日ずっと気になっていた。なんのことはない、ジム・オルークのwomen of the worldだった。一安心。
高3ライティングは和文英訳プレテスト第二弾も終了。少し柔軟に手持ちの英語で切り抜ける術は身についてきたかに見えるが、いかんせん品詞、基本文型はボロボロ。解答解説プリントをもとにerror logを作成すれば、2学期中間くらいまでには自分でチェックできるハンドブックのような形で手元に残るでしょう。残った時間でloudspeakerをやってみる。なかなか盛り上がったのだが、肝心の書き取るのを全く忘れて聞き耳を立てている生徒もいて困った。まあ何事も経験です。
高2は5月の歌第一弾。Stephen StillsのLove the one you're with。1970年作品。リズムパターンやゴスペルテイストなど高校2年では初体験の楽曲のようだ。4階のクラスは持ち運びを考え小型のラジカセにしてみたのだが、案の定音質が良くなくて、次のクラスは元に戻した。Sing-along chorusの部分は意味のない繰り返しなので、男子はそこだけ早速口ずさんでいた。私も昔はそうでした。乙武さんの話は、パート1を終え、音読のバリエーションをいくつか。一クラスはサマリーまで終了、もう一クラスはサマリーから次時。
『英語青年』6月号を読んだら、4月号の靜先生の論考に対する批判が掲載されていた。使い古された形容ではあるが「想定の範囲内」の批判。今ひとつ、議論が深まっていかない。この内容に関して『英語教育』(大修館書店)のForumとかで論争すれば面白いのに…。結局、私の持ち出した「これでいいのかライティング問題」に至っては英語教育界では議論が巻き起こるどころか、全く話題にさえなっていないのだなぁ。やれスピーチだ、ディベートだ、自己表現だなどと、授業中の活動でこれだけwritingに依存しているんだから、みんなもう少しまじめに「ライティング」そのものを考えてみたらどうなんだろうかと憤ってみる。同僚のK先生との雑談で、「議論の深み、奥行き、厚み」ということについてあらためて考えられたことは収穫。身内での茶飲み話に終わらせないためにはどうすれよいだろうか。
6月の英授研では、『英語青年』4月号で取り上げた国立大の入試問題と立命館、慶応大・経済の出題を斬り、返す刀でSELHi校の取り組みで対照的な2校の指導方法を料理する予定です。
最近、本業中に思いついたことで「我ながらいいこと言ったなあ」ということが「原点に戻る」。
よく、「原点に戻る」というのだけれど、これって、その前の針路が本来の目標とずれてしまっているから、いったん出発点にもどって、どこを目指していたのかを再確認して再出発するという行為を指しているのだと思う。でも、「原点に戻ろう」という人たちは往々にして「原点に戻る」ことそれ自体に安心してはいないだろうか?なぜ針路がずれてしまったのかの分析も必要だし、原点に戻るのにも時間がかかり、そこから再出発した後、さらに本来の目的地までたどり着くのにも時間がかかるのである。針路がずれていたのなら、それに気が付いた時点で、そこから軌道修正した方が早く目的地にたどり着けるのではないのだろうか?原点を神聖視することには慎重でありたい。