「申されよ」

時代劇専門チャンネル(CS;ケーブル)での視聴者からのお便り紹介で、会社での会議の席上「申されよ」とつい口にしてしまい、失笑を買った話があった。日本文化に造詣の深い人であれば、この会話の場面とか、人間関係がイメージ出来るのだろうが、日本人であっても最近の若い世代ではおそらく無理なのではないかと不安になった。対人コミュニケーション能力の著しく低下した今の世代だからこそ、小学生から英語をやるよりも、時代劇を見たり時代小説を読んだりして、「大人」にもっと出会うべきだと言いたい。
読売新聞の7月18日付けで、日本の英語教師の英語力に関する記事があり、英語教師の間で反響を呼んでいる。
( http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20050718ur02.htm) 一部分抜粋することの危険性を承知の上で抜粋。

「また、ビジネス界で英語力の指標とされる「TOEIC」で730点以上の英語教員は、中学で1割、高校で2割にも 満たず、英語教育のお寒い実態が浮き彫りになった。」という悪意のある形容(「お寒い」などという品のない、民度の低い言葉を新聞が使う時代である。)
これを読んで、何を規準に割合に言及しているのかというと、次のような記述がある。

「さらに、中学の教員約1万9200人と、高校の教員約1万9600人に、TOEICやTOEFL、英語検定などの受験状況を聞いたところ、受験経験がある英語教員は、中学、高校とも半数以下。多くの企業で“英語ができる”目安とされる「TOEICで730点以上」(通常会話が完全に理解でき、応答も早いレベル)だったのは、中学で8・ 3%、高校で16・3%。また、英検の準1級以上も中学で10・1%、高校で19・6%だった。」

中学教員19200人+高校教員19600人に受験させた結果ではないのですよ。念のため。受験状況を聞いただけなのだから、受験していないけれども英語力のある教員はたくさんいるはずである。悪意が感じられるのは、「受験経験」については「半数以下」といっておきながら、TOEICや英検の一定以上スコアや級を持っている教員は数ではなく割合で示している部分。「半数以下」は49.9%でも1%でもいいわけである。例えば、乱暴に、高校教員の40%しか受験経験がなかったとしましょう。そうすると7840人は受験経験があるわけです。しかし、割合で示されているのは19600人に対してのパーセンテージなので、3194.8人がTOEIC730以上、3841.6人が英検の準1級以上という計算になります。そうすると合計は7036.4人。受験経験者のなんと89.75%はTOEICのスコア730以上、英検の準1級以上、ということになりませんか?日本の英語教師は有能ではありませんか?英語ができないのは教師のせいだと一方的に決めつけられたのではたまったものではありません。どこをどう評価して、英語教育の何が「お寒い」といっているのか?お寒いのは文部行政と地方自治体の教育行政ではないのか?文科省の指導者のブロック研修で、文科省側は、「クラスサイズとか入試制度などすぐに変えられないものを云々するのではなくて、今すぐに変えられる自分の授業を考えろ。生徒が英語を使えない言い訳をするな」というようなことを言っているのですね。( http://homepage1.nifty.com/yoshi_2000/20010703.HTM) これには憤りを感じずにはいられないなあ。

自分と世間との戦いでは世間に与する視点を持て、とはわかっているが、やはり言うべきことは言って出なければならないでしょう。私が英語教師を志す契機となった今はなき雑誌『英語教育ジャーナル』(三省堂)の1982年4月号の特集が「やめてしまえ英語教育」でした。若い教員だけでなく、その当時から英語教育に関わっていた人たちこそ、もう一度この雑誌を読み返し、自らの立脚点と視点を確認して欲しいと切に思う。私のこのブログもそのための準備です。次のように言われたときのために。
「そこの英語教師、申されよ」