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tmrowing2013-07-23

『ニューズウィーク日本版』7月23日号特集について、後半の記事についても書いておこうと思います。またしても「長い」ですので、無理をされませんように。

特集記事の3本目は、「政策」に関するもの。

  • TOEFL義務化で英語下手は治る? (井口景子記者、pp. 48-49)

良く取材されていると思しき井口記者のペンでも、扇情的というか情緒的、劇場的な冒頭部分。このあと、色々気になることを書きますが、まずは「英語下手」というのを、「病気・疾病」の比喩で捉えるのか、それとも「下手の横好き」のような、「技能の優劣」の比喩で捉えるのか、が整理できないと「議論」にならないように思います。

政治家は選挙前にインパクトのある公約を打ち出したがるもの。その点、自民党の教育再生実行本部が4月にぶち上げた「全ての大学受験生にTOEFL受験を義務づける」との提言はけんけんごうごうの議論を巻き起こした点で大成功と言っていい。

というのですが、「議論を巻き起こし」たことで、何がどのくらいゴールへと近づいたのでしょうか?
今回の参院選に関わる特番でどの局が、この「TOEFL義務化」を取り上げていたでしょうか?公約にも争点にもなっていないでしょうに。ただ、英語教育現場、とりわけ高校では、この「提言」が政策となってしまえば、影響は大きいことは「確か」です。自公圧勝、捻れ解消という空気で、現実味を帯びてきています。
記事の前1/3あたりで井口記者は、

  • だが、より根本的な問題は、TOEFLの目的と難易度が教育現場の実情と懸け離れている点にある。

と真っ当な指摘をしてくれています。
さらに、p. 49では、日本の大学入試との比較で、

一方でTOEFLは本来、留学先で通用しない学生をふるいにかける試験で、高校での学習の定着度を測る物差しではない。しかも難易度が高く、多くの高校生は手も足も出ない。
学習指導要領が定める語彙数は中高合わせて約3000語だが、TOEFLでは歴史から生物まで幅広い語彙が1万語以上必要だという。長文読解の内容もリスニングの速さもセンター試験とは桁違いに難しい。

と「政策の妥当性・実現性」への疑義が続きます。
ただ、ここで気になる「語彙」について苦言。英語ではvocabularyですが、「語彙」は数えられません。かつて宮田幸一氏は「語囲」という字を当てていましたが、sizeで測るものですので、「語彙数」というのは「?」という感じがします。
で、その「語囲」のサイズですが、指導要領で記述されている新語の目安を合計して約3000語、というのは間違ってはいませんが、そのサイズを何かの外部試験で問われる語彙の難易度水準と比較するのは難しい気がします。
まず、指導要領には何をもって1語とするのかという基準については何も示されていませんし、何をもって「基本語」とするのかに関する学術的根拠は何一つ書かれていません。かつてMichael Westが作り上げた所謂 “General Service List” や、そのupdated版を目論み、Roland Hindmarshが1980年に編んだ “Cambridge English Lexicon” などの「語彙リスト」が示されていて、それに準じて「何語レベル」という話しをしているわけではないのですから、比較することがそもそも適切ではないように思います。比べる「物差し」がないことに加え、「単位」の意味づけが違うわけです。
JACET8000という、1000語レベルから8000語レベルまで、基本から発展までの難易度・重要度で分類された日本独自の「学術的語彙リスト」があることにはあります。そのJACET8000からはこんなスピンオフ教材も出ています。

  • 『JACET8000英単語 「大学英語教育学会基本語リスト」に基づく』 (桐原書店、2005年)

この教材の宣伝文句にはこう謳われています。(http://www.amazon.co.jp/dp/434278873X/ref=cm_sw_r_tw_dp_t6z7rb15Z90T0)

 ・Level 1 〔順位1000位まで〕<以下に対象と語彙内容・各種試験レベル>
  中学校英語教科書に頻出する基本語。一般英文の70%をカバー。
 ・Level 2 〔順位1001~2000位〕
  高校初級。英字新聞の75%をカバー。英検準2級に相当。
 ・Level 3 〔順位2001~3000位〕
  高等学校英語教科書・大学入試センター試験は、ほぼこのレベルの単語で作成。
 英検2級に相当。社会人は教養として必要なレベル。
 ・Level 4 〔順位3001~4000位〕
  大学受験、大学一般教養初級。日本人が単語力の有無を問われるレベル。英検2級に相当。
 ・Level 5 〔順位4001~5000位〕
  難関大学受験、大学一般教養。英検準1級のレベル。TOEICでは、おおよそ400点から500点前後に相当。
 ・Level 6 〔順位5001~6000位〕
  英語専門外の大学生やビジネスマンが目標とするレベル。英検準1級、TOEICでは600点に相当。
 ・Level 7 〔順位6001~7000位〕
  英語専門の大学生、英語教師、仕事で英語を使うビジネスマンの到達目標。英検1級やTOEICでは95%以上の単語をカバー。
 ・Level 8 〔順位7001~8000位〕
  日本人英語学習者の最終目標。英語を仕事して使う場合、95%の単語を知っていることに。英検1級やTOEICでは95%以上の単語をカバー。

とあります。JACETの作ったものなのですが、ここでは、英検やTOEICとの比較はあるものの、TOEFLとの比較の文言は出てきません。高校教科書レベル、などと言われる「センター試験」で出題された英文には、JACET8000で、レベル5 (4000語レベル) の語などが注なしで用いられたりもしていますので、「現場教師の実感」ともなかなか一致してくれませんが、それでも「基準」として活用可能な語彙リストだと思いますから、まずは、このような「物差し」を統一した上で、TOEFLとの比較をしてもらえると有り難いというのが正直な感想です。

  • 多くの高校生には手も足も出ない。

という「評価」は冷静に分析・解釈して欲しいところです。
というのは、旧式のPBT時代のTOEFLから、今日のiBTまで、留学を希望する高校生はかなりの数が受験し「それなり」のスコアを出していたのではないかな、と思うからです。
先日の私のエントリーでは、1990年代終わりから2000年代での<TOEFL対策講座>を示しました。その頃既に、ライティングの授業で生徒に提出してもらった作品を私がCriterionに入れてフィードバックを生徒に返すなどといった、まどろっこしい対応で、「時代」と格闘してはいましたが、高校の英語教室で取り組み可能なTOEFLのテスト対策としては、 “ITP” と呼ばれる、PBT (677点満点) に準ずる試験対策でした。今回の、特集記事では、p. 47に「噂の…」と題して、テストの新旧比較がなされていますので、大まかな違いは分かろうかと思います。現行のiBT (120点満点) へと移行する前に、CBTと呼ばれた300点満点のテストがありました。
私が指導していた高校生だと、英検2級に合格した人だと、ITPで480から520点くらい、乱暴に「平均」すれば500点くらいの得点となるのでしょうか。これだと、「足」はともかく、手の「指」くらいは出せたかなとは思いますが、このITPでは「スピーキング」も「ライティング」もありませんから、これを単純にiBTに換算することは難しいと思っています。
「手」を出そうと思っていたら「足」が付いていった、というような印象的な事例もありました。高2で、英語圏からの1年間の留学から帰ってきて、CBTで210点くらいだった生徒が、私の担当する高3での「リーディング演習」を半年受講して受験したCBTで254にまでスコアアップしたのです。この生徒は、高校卒業後は英語圏の大学に進学したいという希望を持っていたわけですが、印象的だったのは、その生徒のスコアの伸びで一番大きかったのが「ライティング」だったことです。私は、当時「ライティング演習」という講座も担当していましたが、その生徒は受講していませんでした。「ライティング」のテスト対策をするのではなく、ひたすら「リーディング」に徹し、「本当に読めていますか?」ということを突き詰めていくような授業に参加してくれたのですが、その結果「ライティング」が最も伸びたのです。4技能統合、4技能連関と「バナー」だけ高く掲げても意味がない、と私が思うきっかけとなった事例でした。

さて、この3本目の記事では、二人の大学関係者がコメントしています。

  • 和歌山大学教授・江利川春雄氏。
  • 元東京学芸大学教授・金谷憲氏。

江利川氏のコメントは「比喩」の部分を中心に引用符で括られていますが、その間のところで本当になんと言っていたのかが気になるところです。

  • 「生徒のやる気を高めるどころか英語嫌いをいま以上に増やすだけだ」
  • 「難しい試験を課せば英語ができるようになると考えるのは、風邪薬を10倍飲めば病気が早く治るというのと同じくらい危険な妄想だ。そんな劇薬に耐えられるのは、ごく一部の優秀な生徒だけだ」
  • 「音楽の授業だけでプロのピアニストになれると思う人はいないのに、英語に関しては学校だけで『プロ』を育てろと要求される」

という部分です。扇情的な文言で後押しする政策の不備・不見識を指摘して押し返すべく、比喩を大胆に用いて反論されているのですが、

  • 現在の英語嫌いの原因と、それがさらに増える原因の分析
  • 外部であれ、内部であれ試験に依存した成果主義の問題点
  • 医療での治療効果や芸術の技能と比較することの妥当性

については、もう少し説明が必要だと感じました。取材では、どの程度裏付けられていて、それが誌面ではどの程度削られているのか、一読者には分かりません。「風邪薬」の比喩は、タイトルにある「英語下手は治る?」の答えとして、「適切な処方箋か否か?」という問いかけにはなっているのかも知れませんが、ここでの主題となる「評価に使われる英語問題の難易度と受験生の英語力の不適応」を語る際には不適切だと思いました。ここではむしろ「技能の優劣」の比喩で、インターハイと世界選手権とか、高校野球と大リーグとかのスポーツの技能が「試される場面」に置き換える方がまだ近いのかなという気がします。「一部のエリート」高校生は、インターハイ優勝で、世界選手権でも入賞などという適応・対応をしてしまうことが現実にありますから。
ただ、「スポーツ」であれば、その快挙や偉業を周囲が讃えるくらいで済みますが、「学校教育」に当て嵌めて、「全ての高校生に一律に課す」とするといろいろ無理が来るように思います。
記事にもありましたが、もし「高校生全員に一律TOEFLを課す」としても、

  • 受験生の多くが低いスコアに集中し、結果を合否判定に使えない事態も予想される。

という部分で、頷いていられないのが、高校現場で四半世紀以上働いてきた者の実感なのです。
そもそも、試験による「合否判定」と縁のない高校生が存在するからです。
高校生の18歳人口を約100万人という乱暴な概数で捉えたとして、その約半数の50万人がセンター試験を受験するというのが現状です。ですからセンター試験の改善では、「全ての高校生の到達度」を向上させることが難しい、という理屈には一応の「理」があるように見えます。さらには、AO入試や推薦入試など、「学科試験」を課さない入学者選抜で大学に進学している生徒が一定数いますから、「学力低下」を懸念する声があることも理解できます。
では、高校卒業時に、「一律にTOEFLを課す」ことでそれらの問題は改善でき、英語の運用能力が飛躍的に高まるという根拠は何なのでしょうか?

日本の大学進学希望者で、AOや推薦での「学科試験」に依らない進路実現を希望している者に対しても、主として北米の大学・大学院進学への英語の適性を見るTOEFLを課して「一定の英語力の到達度」を求めるというのは、そもそも、AOや推薦という制度そのものの存在意義を否定することになるでしょうし、「第一志望」「大学とのマッチング」などといった要素で、大学にも受験生にとってもwin-winな制度であったかもしれないAOや推薦で、TOEFLが課されたとして、「受験生離れ」を懸念する大学関係者はいないのでしょうか?

そして、大学進学希望者でさえ、そのような反応が予想されるのに、センター試験を受験しない、残りの50万人の高校生 (に) は、どう対処すればいいのでしょうか?この人たちは、なぜ高い受験料を払ってまで、「わざわざ英語の試験」を受けなければならないのでしょうか?

取材で浮かび上がらせて欲しかったのは、「高校生に一律にTOEFL」というのは、全く現実を理解せず、現状を把握していない方たちが立案しているのか、そうではなく、よく分かった上で、江利川氏が指摘するように、「一部の優秀な生徒だけ」に達成度を要求する政策なのか、という点です。

大学関係者のもうお一方、金谷氏の、

口は出すが金は出さない」では状況は変えられない。国家戦略として本気で英語のできる人材を育てたいなら、政府にも納税者にも相応の覚悟が必要だ。

という言葉は、英語教育関係者以外には補足が必要だと思います。金谷氏が中心となった、ELEC (英語教育協議会) のプロジェクトチームが出した「政策提言」 (2000年)

日本語版: http://www.elec.or.jp/teacher/crossroad_jp.html
英語版: http://www.elec.or.jp/teacher/crossroad_en.html

は、メディアではどのように扱われ、どのような議論に繋がったのでしょうか?
そもそも、今、それを覚えている方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?
私は、このELECの「政策提言」に諸手をあげて賛同するわけではありませんが、今回騒がれている「TOEFL義務化」よりは、「政策提言」という名に値するものであったと評価しています。
ただ、この政策提言からは、

  • 英語が使える日本人の育成のための戦略構想 (2002年)

が生み出され、5年に及ぶ英語教員の悉皆研修、SELHiなどの事業に繋がりました。
悉皆研修の総括、評価、反省、責任はどうなっているのでしょう?

過去ログ参照
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060908
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20120309

SELHiの取り組みに関しては、このブログでも幾度となく取り上げてきました。

で取り上げた、「オーラルサマリー」を重視した高校のGTEC for Studentsの3技能 (聴く、読む、書く) のスコアを眺めた時の「?」というのは、私にとってはとても大きなものでした。口頭での要約スキルが上がっているのに、ミニエッセイなどで測られる「ライティング」のスコアがほとんど伸びないというのはどういうことなのか?今もまだ「?」は解消されていません。そういうジレンマ、自己嫌悪を経て、現在の文科省が推し進める「技能統合」「技能連関」というものが出てきているのだろうか、とも思っています。

これらの政策を実施し、具体的な事業を展開しても尚、「一向に成果を挙げられない教育界への政財界のいら立ちの表れ」が、今回の「TOEFL義務化」なのだとしたら、現場に生きるひとりとして、言っておきたいことがあります。

井口記者の記事の最後の列 (p. 49) にはこうあります。

もっとも、ビジネス界が英語のできる人材を本気で欲しいなら、新卒採用や昇進の際に英語のスピーキング試験を義務付ければ手っ取り早いのに、と皮肉る声もある。

皮肉で済ませるのではなく、なぜ、そうしないのか?本音はどこにあるのか?を引き出すべきところでしょう。

  • 真に「優秀な」人材に逃げられたり、逃したりすると困るから

ではないのでしょうか?

私が、先日呟いた、

中教審 大学国際化具体策検討 NHKニュース http://nhk.jp/N48W5V5l  そんなに語学力がこれからの社会に必要なんだったら、全ての大学を「外語大」にすればいいのに…。

という「揶揄」が届くでしょうか?

  • 語学ができる、英語力があるだけでは「グローバル人材」とは言えない。

という部分が本音なのでしょう。

  • だけじゃない○○○○!

というコマーシャルを思い出しました。
新卒採用の時点で、「英語力」という篩にかけることで、真に求められる「資質」「能力」または「伸びしろ」のある人材が落ちてしまう、または逃げてしまうことを嫌っているのではないでしょうか?
だったら、そのような「真の資質」を備えた人材を採用して、企業で責任を持って英語力を伸ばせばいいでしょうに。なぜ、それをやらないか?

  • お金と時間のムダ

というところに行き着くのではないでしょうか?
もし、そうだとしたら、大学が入試科目を減らしたり、学科試験を課さずにAOや推薦で「志願者」「合格者」「入学者」を確保している努力を批判することなどできないでしょう。

企業側でのムダを省けるだけ省き、投資の効率の良くなる人材育成をするためには、大学卒業時、さらにはその前の高校卒業時から、一定の英語力を備えておいてくれないと困る。

という「企業の論理」に、もし「理」があるのだとすれば、その企業が受け入れる前段階での大いなるムダをムダと承知で引き受けてくれるはずの大学や高校の現場を預かる人たちへの、「リスペクト」や「感謝」はどこに表されているのでしょう?

現場教師である私の物語は、雑誌の編集後記の最後のピリオドの後から始まっているのです。


本日のBGM: Call it a loan (Jackson Browne & David Lindley)

※ 歌詞はこちらなどからご覧下さい。