1学期終了。
暦の上では、夏休みに突入。休めるわけがないのだけれど。
この週末は、本業の国体中国ブロック真っ最中。私は、「成年」の監督として参加。
5県対抗の熱い戦いが繰り広げられることでしょう。
今年は地元開催なので、宿泊費節約のため、通いで毎日往復100kmです。
さて、
参院選の争点とは誰も思っていないのでしょうけれど、政権与党のなんとか実行本部やら、中教審やら、経済界の威勢の良い方たちのサークル活動やらが、なぜか公教育でのTOEFLの導入に喧しい昨今、先週末は東京では、
- 大津由紀雄・江利川春雄・斎藤兆史・鳥飼玖美子 『英語教育、迫り来る破綻』 (ひつじ書房)
の緊急出版に合わせて、講演会が行われていました。
私は参加していないので、「後の祭り」ではありませんが、その後の、ネット上でのやりとりなどを追いかけていました。
メディアを眺めると、小学校での英語の教科化も叫ばれ、教員の英語力を保証するTOEFLの高得点義務付けの施策も煽られていますが、その現状に関してまず一言。
現在、毎年採用試験を実施している各地方自治体が、「英語教員」の採用にあたって、TOEFLやTOEICの高得点を誰もがクリアーすべきハードルとして一律に課していないのはなぜか?それを考えられる「良識」がある人たちのことを、教育の「玄人」というべきでしょう。
そんなタイミングで、『ニューズウィーク日本版』7/23号の特集 (pp. 40-51) を知り、読み終えたところなので、ブログを書こうと思い立った次第。
今日のエントリーはとっても長いので、元気のある時にお読み下されば幸せます。ホントに長いので、「支離滅裂」とか「冗漫」とか「的はずれ」とか「揚げ足取り」などという批判は甘受しますが、読んだ後で「長いっ!」て文句だけは勘弁して下さい。
『ニューズウィーク日本版』7/23号の特集は、
- 世界一英語が苦手な日本人へ: TOEFL時代を制する英語術
なる下世話なタイトル。当然のことながら、アジア版はこのような特集は組んでいません。
最近でこれほど読後に憤懣やるかたない記事も稀だな、というのが正直な感想。
署名記事があったのは深田政彦、井口景子の二人なのですが、深田記者の記事の方が「日本の伝統的外国語教授法」を殊更にマイナス評価しているように感じました。
また、有識者、専門家のコメントをかなり沢山載せているのですが、その取り上げ方も恣意的な印象を受けました。
以下、少し冷静に振り返れるといいのですが…。
まずは、表紙。4技能が脳内に配置されたイラストはKen Crane氏とのこと。
どのようなオファーがあり、このカバーイラストになったのか興味が湧きました。というのも、
アジア版の2011年11/7号の表紙
http://www.amazon.co.jp/Newsweek-Asia-Nobember-2011-%E5%8D%98%E5%8F%B7/dp/B005NB71QW/ref=sr_1_18?s=english-books&ie=UTF8&qid=1374226212&sr=1-18&keywords=newsweek
が、脳内スケッチのようなイラストだったから。安易な焼き直し、二番煎じ、柳の下のなんとやらではなく、どのようなオリジナルなアイデアが盛り込まれているのでしょう。特集で使われるイラストも全て、Crane氏の手によるものでした。
で、肝心の記事本編。
特集冒頭を飾るのは、
- 「なぜ日本人は今も英語が下手なのか」(深田政彦)
という記事 (pp. 40-42)。煽れるだけ煽ろうというタイトルで「?」を提示しておいて、その答えは、
- 英語を使えるようにならない「言い訳」を唱え続けているから。
- 時代遅れの学習法に固執しているから。
という二つ。この答えが説得力を持つためには、
- 唱え続けられる「言い訳」に理がないこと。
- 古くからある学習法には効果がないこと。
が示される必要があると思います。前者はできそうですが、後者は難しそうですね。
まず、この記者が取材してきた、唱え続けられる「言い訳」の中身は?といえば、
- 日英の言語間距離が大きいこと。
- 実際に使う機会がないこと。
だというのです。私の生徒が、英語ができない理由として「言語間距離」をあげたことは、この四半世紀で一度たりともないのですけれど…。二つ目の、「実際に使う機会」というのは、何を指しているのかがよく分かりません。「教室で生徒同士が」ということなのか、「学校を離れた日常生活で」なのか「仕事で」なのか、特集を読み進めると明らかになるのでしょうか?
次に、「時代遅れの学習法」は何を指しているのか?というと、
- 「パターン練習」
この学習法がいかに時代遅れかという、「お墨付き」を与えてくれるエキスパート、その筋の専門家として頼りにされているのは、白井恭弘氏。ただ、このページには「」で括られるような、白井先生の直接の引用は全くありませんでした。
この記者が「時代遅れで廃れた手法」である「パターン練習」に取って代わる学習法として纏めたのがこちらの記述。
この反省から研究者は実際に英語が使えるようになった人とそうでない人との違いなど、さまざまなデータを集め、研究し始めた。そうした研究成果から効果的と考えられているのが4技能重視の学習法だ。文法など細かな知識や形式より「知りたい、伝えたい」という意欲を重視し、4技能をフル活用させる。
それでも、日本人は古びた学習法を捨てようとしない。教える側も文法や訳読に没頭し、「主語はこれ、副詞節がこうかかって」と分析することで勉強した気になる。だがいくらやっても話せないのだから、自己満足の極みである。
はっきりと名前を挙げてはいませんが、おそらく、この記者が念頭に置いているのは、
- 斎藤兆史先生
の説く、音読暗唱や英文解釈などの「日本の英語の達人」が用いていた学習法なのだろうと邪推してみました。
確かに、
- 読解のレベルを上げるために、文法や構造、語彙の処理を効率よく行う「方便」として、「訳読」や「英文解釈」などの分析的手法が日本独自の発達を遂げてきた。
という指摘ならよく分かります。ただ、
- 読解ができれば、必要に応じて話せるようになる。
とナイーブに信じている人は、多くないのではないでしょうか。古典の『源氏物語』が読めるのだから、現代の日本社会で自由自在に会話ができる、とは思わないでしょう。「訳読」は文章を理解するための手法であり、理解の確認のための手法なのですから。
ただ、今時の日本の高校生は、といえば、その「訳読」でさえも、授業ではきちんと扱われていないような状況なのです。「和訳先渡し」にしろ「中渡し」にしろ「後渡し」にしろ、
- なぜ、そのような日本語訳になるのか?
というような分析はほとんどされていないでしょう。学習者が日本語に訳すのではなく、与えられた日本語の訳を読んで、まず大まかな意味を掴み、その日本語の理解力に依存した内容理解を「足場」として、ターゲットとなる英語に戻っていくような「学習法」が今では広まっているのではないかと思います。
さらに、この記者は「文法」に関しても「没頭し」などというのですが、高校を受験する中学生や大学を受験する高校生が「没頭」しているのは、文法ではなく「文法問題」の方ではないのでしょうか?学習者のうちから「文法」に没頭していたのであれば、市販教材や教科書にあれほど酷い英文が残ったまま、出版されたり、市場に居座り続けることもないだろうと思います。私が最近目にした、「文法問題」を解き、その答えを「説く」のではなく、「使える英語」のために文法をやるのだ、と謳う教材・指導法でさえ、短文の和文英訳やパタンプラクティス、ディクテーションに依存しています。
- 文法など細かな知識や形式より「知りたい、伝えたい」という意欲を重視し、4技能をフル活用させる。
という言葉づかいには唸りました。何か、こう、「どうですか、私、いいこといってるでしょ?」というオーラが溢れています。
研究者によって明らかになった「4技能重視」の学習法というのは、「知識や形式」よりも「意欲」を重視するものなのでしょうか?4技能というのは、「カバーイラスト」にあるように、
- 聴く
- 話す
- 読む
- 書く
の4つなのだと思います。では、「フル活用する」とは、どういうことなのでしょうか?雰囲気だけは高揚しそうですが、具体的には何も言っていないに等しいように思います。
そもそも、語彙の知識や音の知識がない者が、どのように、知りたいという意欲を重視して「聴いて理解する」ことが可能なのでしょうか?
私が理解している限りにおいて、
- 意味と形式とをどのように結びつけていくのか?
が、外国語学習における大きな課題なのであって、「形式より意欲」ということではないでしょう。
白井先生は本当にそんな話しをしたのでしょうか?
特集記事の二本目 (pp. 43-48) は、
- TOEFL時代を乗り切る英語術 (井口景子)
記事の始めにTOEFLでのスピーキングとライティングの出題例があります。これも、多くの日本人学習者にとって苦手意識の高い事例を示すことで不安を煽る効果抜群でしょう。
ただ、記事の内容と記述には注意が必要です。
確かに「読む」「聞く」という受け身の英語力に加えて「話す」「書く」の発信力も測定されるTOEFLは、多くの日本人にとってかなりの難関だ。
そのTOEFLを大学入試やキャリア官僚の採用試験に導入する計画が進んでいる。政策の是非については議論が分かれており、TOEFLの大規模な導入が英語力向上に直結するかも未知数だ (関連記事48ページ)。それでも英語を学ぶ日本人にとって、TOEFLが無視できない存在になりつつあるのは確かだ。
この、雰囲気だけ煽っておいて、「断定」してみせるのが、この記者達の流儀らしい。
「確かだ」って、いうその根拠が何も示されていないのですよ。
- 英語を学ぶ日本人にとって無視できない「もの」「こと」の優先順位は?
という部分は、白井先生には訊ねなかったということなのでしょう。
この記者は、「第2言語習得や神経科学の研究が進むにつれて」明らかになってきた、「思い込み」を指摘してくれています。その思い込みを正せば、今までの失敗が嘘のように英語が身につくのでしょうか?そこで大事だと取り上げられているのは、なんと、
- 「自動化」
なるキーワードでした。いや、ホントに。だってわざわざ「」でくくられているのだから。
- 「知っている」知識を「使える」知識に格上げする
ことが大事なのだそうです。
むーん。今回の取材では、白井先生にお伺いを立てたんでしょ?だったら、
- 「日本の英語教室で信奉されている、自動化に至らない誤った『自動化モデル』」
の話しを引き出さなきゃダメじゃないですか!そこには踏み込まず、TOEFLの語彙レベルが高いから、語彙の専門家のご意見、ということで、
- ポール・ネーション
にお伺いを立て、「日本人は意識的な学習に偏り過ぎる傾向がある」と戒めてもらったと思いきや、今度は、「大量のインプット」が必要ということで、
多くの専門家が、辞書なしですらすら読めるレベルの英文をたくさん読む「多読」を勧めている。(中略) 単語の意味や文の構造を自動的に理解できるようになるには、読む素材のレベルを下げて、母語のように楽に英語を処理する経験を繰り返すことが大切だ。
といってくれています。この「多読」では専門家の名前は出せないらしいのです。その代わりに、「背景知識」を事前に与えることが効果的だという、岐阜聖徳大教授の大石晴美氏の研究成果を持ち出しています。
これにはちょっとビックリです。だって、「背景知識のおかげで脳にかかる負荷が減り、余力を内容理解に回せるため」に、初級・中級の学習者も上級の学習者のように必要な部位だけ脳が活性化したから、TOEFLの読解や聴解の問題が楽に解けるようになりますか?TOEFLの試験問題の冒頭には、背景知識活性欄があるのでしょうか?
大石教授のコメントはこちら、
TOEFLの問題を解くときも歴史や科学など幅広い知識を蓄えておくことで、余裕を持って英語に向き合える。語彙の数だけでは測れない総合力がものをいう。
というのですが、「?」ですね。「内容スキーマ」とか「活性化」という用語が英語教育で使われるようになって久しいですが、そもそも、その「背景知識」なるものは、「英語」で蓄えられているのでしょうか?それとも「日本語」で蓄えられているのでしょうか?「英←→日」の両方・双方向対応なのでしょうか?
聴解にせよ、読解にせよ、これから理解するべき「背景知識」を対訳の語句のリストのような形で与えておくのであれば、それは「訳読」の肩代わりをしてもらっているのと実質同じことでしょう。
日本の市場に跋扈する速読教材は、ほとんどが「クイックレスポンス」もどきで、事前に語彙のチェックを済ませてから、本文の読解や聴解に進んでいきます。そして、その後で内容理解の設問に答えるのです。当然、理解度は上がりますよね。先に、使われるキーワードを知っているのですから。「学習者に下駄を履かせておく」という見事な演出を経て、
- ほら、これなら分かるでしょ?今までのように、一語一語訳しながら聴いたり読んだりじゃダメなんですよ。
などと「もっともらしさ」をアピールしていることに自覚的である指導者はまだいいでしょう。実際には最後まで聞き取れなかった、読み取れなかったところは、「細かいことは気にしない」「曖昧さに堪えるのです」などという気休めの言葉で誤魔化し、結局は「日本語訳」を与えて、その「日本語」を読み「不十分な理解」を無理やり補うことで、「もう、わかりましたね」という「指導」に溢れています。
批判の対象になるべきは、私が「今風」と呼ぶ、このような「指導」の在り方でしょう。
ここまで読んできて、何が私をいらだたせているのかが分かりました。
この特集では、少しずつ、焦点・争点をずらしながら、次々と別の「専門家」の声を取り上げ、どうです、これまでの日本のやり方は時代遅れですよ、ということを声高にアピールしているのです。対立する専門家の意見を戦わせるのではなく、違う立場の人間を前面に出し、彼らの「思惑」を対比し、記者があらかじめ用意した、語りたい「紋切り型」の話しが、いかにも、専門家の声で裏付けられたかのような演出です。
先程は「大量のインプット」が大事、と論を進めてきながら、今度は「インプット」だけでは不十分ということで、当然のことながら「アウトプット」の話しになりました。
私は、自分自身を「作文の教師」だと思っているので、「アウトプット」の効用はいくら強調してもしたりません。
ここでまた白井先生の登場。
- アウトプットは適切なインプットと一体化して初めて意味がある。
というコメントに続いて、「英語を読んだり聞いたりした後に内容について自分のことばでコメント」してみる癖をつけるために、「毎日10分程度の時間を決めて英文日記を書き、語数を記録する」という取り組みを勧めています。私も、そうでしょう、そうでしょう、と思い読み進めていって、「!」。
- えーっ、せっかく「英文日記」の話しがでたのに、コスモピアの本について一言も触れないの?!
残念です。でも、白井先生は、「大量のインプットと、少量のアウトプット」がキーワードじゃなかったのでしょうか?そのところはなぜ突っ込まないの?
などという私個人の疑問に付き合ってくれる訳もなく、次の「課題」を突きつけられるのでした。
「いざ」というときに英語が出てこない打開策として、「即座に繰り出せる表現をたくさんストックして」おくための学習法へと進みます。ここで取り上げられるのが、
- シャドウイング
だというのです。専門家は誰が出てくるかな?と思って読み進めると、門田修平氏でした。シャドウイングによって、
- 決まり文句がいつの間にか記憶の奥底に定着し、口をついて出てくる効果も大きい。
というのですが、この「いつの間にか」という部分は、説明不足、言葉足らずでしょう。
家を建てるとき、木材を1つずつ組み合わせる代わりに、半ば完成しているプレハブ部材を組み立てるようなものだ。
という部分はよく分かります。しかしながら、この部分で門田先生のことばを引用するのであれば、 “prefabricated chunks” に関して、Nattinger & DeCarricoや、Michael Lewisにでも訊いてくれば良いのに、と思いました。
門田先生といえば「音読」の効能の研究でも有名です。お話を聞いた時に、「音読」の効果、意義、そして限界、などという話しにはならなかったのでしょうか?
というのも、この特集で最も前面に押し出されている「専門家」である白井先生は、日本で今流行っている「音読」に対して、懐疑的なスタンスではなかったかと思っていたからです。「シャドウイング」は「新しい学習法」だから○で、「音読」は「時代遅れの学習法」だから×なのか、という「現場の教員」として私が気になることには、この特集では切り込むどころか、全く触れてもいません。
この特集は、ずっ〜とこの調子です。
- これではまだ不十分
- そう簡単ではないのです
という具合に、ダメ出しが続きます。
だったら、最初から白井先生が言うように、「なぜ日本の英語教室は自動化することのない自動化モデル」から抜け出せないのか?の原因を探れば良いのに、と思います。
英語教育、第二言語習得研究、言語教育の「専門家」の証言がこれだけ使われているので、取材をしたり、著書を読んだりと、記者も努力をしたのだろうとは思います。
でも、現場の英語教員として大きく頷けることがほとんどないのです。
だって、頷くたびに、次では「まだ足りません」とダメ出しですよ。
宮沢賢治ですか?
続いての「課題」は「論理」ときました。母語の日本語の段階で論理的ではないから、英語もできない、という「論理」のようです。
- 論理的に話したいのならまずは日本語で訓練を (p.46)
と小見出しのついた項では、予想通り、
- 三森ゆりか
さんの登場。かねてより三森氏が説き続けている「言語技術」に光を当てています。
日本の小中高の教育現場で「国語」を教えている先生たちはどんな思いで、
このハンディを克服するには、母語の日本語で言語技術を身につけることが先決だ。小手先の知識では間に合わないが、人と話すときに「いつ、誰が」などの5W1Hの情報を意識的に入れたり、根拠を提示する癖を付けることが最初の一歩となる。
という「解決策」を読むのでしょうか?「言語技術」は本当に日本の国語教室ではこれまで扱われてこなかったのでしょうか?大村はまさんや倉澤栄吉先生は何と言うでしょうか?
「母語からの言語技術教育」というカードを切った後、何が残っているかな、と思って覗いたこの第2記事の最後の「課題」は、「プロソディ」。
「個々の発音」よりも「リズム」や「抑揚」、「韻律」なのだとか。で、マザーグースなどのナーサリーライムの暗唱が効果的な学習方法、となりました。
一寸待って下さい。
英詩の暗唱って、明治から戦前まで、日本のエリート達、「英学徒」が必ず通ってきた道じゃないですか!それこそ、斎藤兆史先生とか、日本の英学を深く研究している「専門家」にこそお伺いを立てるところではないのでしょうか?
明治や戦前まで遡らなくても、
- 原岡笙子 『マザーグースで身につける英語の発音とリズム―NHK上級・基礎英語 (CDブック)』 (1994年)
がおおよそ20年前にでていますよね。「TOEFL時代」と全く関係なく、効果的な指導法って、昔から日本の伝統的な英語教授法の中に存在していたじゃないですか。
でも、記者さんは、そうは思っていない模様。
で、結論として綴られるのが、紋切り型極まりないもの。
もちろん、あらゆる努力を積んでも、TOEFLで高得点を取れる英語力に到達するのは容易ではない。それでも、チャレンジする価値は十分にある。冒頭の設問に自信をもって答えられるようになれば、英語の会議などもう怖くない。
その「チャレンジする価値」とは?「英語の会議ができるようになること」ですか?
この第2記事の冒頭で示された設問のうち、「ライティング」のお題は何だったのか、というと、
「教師にとっては教科の知識よりも生徒と良好な人間関係を築く力の方が重要な資質だ」という意見に賛成か反対か。理由と具体例を挙げ、あなたの考えを記述しなさい。回答時間30分。
というもの。
確かに平均的日本人英語学習者にとっては難しい課題でしょう。
ただ、「伝えたい」という意欲で「4技能をフル活用」することで、このお題に答えられるようになるのでしょうか?
- 説得文・意見文のテクストタイプ
- 比較対照の文構成
- 意見の主張とその裏付けの文構成
- 文と文の繋がりと、主題への纏まり
- 的確なテーマ関連語彙
などという「形式」を知っているだけではなく、「身についている」ことが問われるでしょう。
この記者には、『即戦力がつく英文ライティング』と『パラグラフライティング指導入門』をお読みになることをオススメします。私は本気で言っていますよ。
この特集では、「今やTOEFL時代なのだ」と断言したいようです。
では、今より10年前は「何時代」だったのでしょうか?
20年前は?
1990年代の終わり頃、私がまだ公立高校に勤務していた頃の話しですが、高校2年生3年生対象に、「学校設定科目」ではありますが正規の授業でTOEFL対策をしていたことがあります。学校で受験できるのはITPでしたから、こんな「進度」で一年間の授業を進めていました。当然のことですが、ライティングの指導だけではなく、4技能に加え、語彙や文法の対策もしていました。
その後、2000年代には、某私立大のエクステンションセンターで、留学希望の学生対象にTOEFL講座を持っていました。
そこからでも既に10年近くが経とうとしています。TOEFLの中身も形式も随分と変わりました。今、私の授業は、TOEFLへの対応というベクトルとはかなり違った進み方をしています。
でも、今、私たちが本当に「TOEFL時代」に生きていて、
- 「TOEFL時代を乗り切る英語術」
が今、本当に求められているのだとしたら、私は10年の間、足踏みをして待っていた方がよかったんですかね?
FBで、私が尊敬する方が、私の発言に、こうコメントしてくれたことがありました。
「専門家」に任せきりではだめで、理性で語ることができる一般人が必要です。
理性とか良識に溢れた「素人」がもっと声を上げてくれることを期待します。
今回の特集後半の内容に関しては、また日を改めて取り上げるつもりです。
本日のBGM: Who knows where the time goes? (Matthew Sweet & Susanna Hoffs)
※本日の二枚の写真をDLして書名等確認したい方はこちらから。
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