朝モーションで遠くの湖まで。
週末の強化合宿に備え、2Xの足回りもセッティング完了。あとは浮かべて見て微調整。
途中、雨に降られましたが、18kmの高強度UTで練り練り。「練習」っていうのは、第二の天性である良い習慣が身につくまで練り続けることとも読めるのだろう。15kmを過ぎたあたりから艇速がじりじりと落ち始める。出力は当然目減りするけれど、加速の途中で小細工はダメ。緩ませずにリリースまで。ここが踏ん張りどころ。
揚艇後、選手がクールダウンしている間にカタマランのガソリンを仕入れに。
蒸し暑さと、俄雨が気になるので、明日は、早朝と午前の二部練に。
家を出るのは5:30くらいか。午後1時には撤収できるといいなぁ。
帰宅後は、9月の慶應大シンポに向け、自分の知識、理解の確認と整理。
登壇者の原稿の背景にあると思われる、これまでの各所での発言などをチェック。これで深まった理解で、当日の討論を実りのあるものにしたいと思う。
その他、学習英文法に関わる、これまでの先行研究をあれこれ概括。
まずは、
- 『学習文法論 現代の英語教育7』 (研究社、1978年)
巻頭論文、荒木一雄「学習文法論」 (pp.2-32) のうち、当時の「文法」検定教科書8社の比較検討による言語事実 (文法項目といってもいいだろう) の配列取り扱いを今一度頭に入れておきたい。旧来型・伝統的な文法指導、と十把一絡げで批判する向きがあるが、まずは正しく知ることから。
宮田幸一 「”Question Box” と英文法」 (pp. 34-60) までは、エピソードも交え、読み物としても面白い。 体系としての英文法を探る、というよりも、教壇に立つ英語教師として、どのように英語という言葉を捉え、英語に関する疑問というものに対峙していくのか、というヒントが得られると思う。最近、巷を賑わす「文法教材」では細かな用法分類を排し、項目全体を単に統合したり、その逆に精選とは名ばかりな乱暴な簡略化という方向に進みがちなのだが、宮田はある項目を正しく捉えるために、それまでの分類とは異なる分類の方法を提示したり、二項対立ではなく、第三の視点を持ち出したり、一見、関連性が薄いと思われる項目同士の共通点を指摘したりしている。
空西哲郎 「中学・高校における英文法の扱い方」 (pp. 170-198) は、巻頭の荒木論文、そして宮田の論考と照らしてみると、学校文法の何が難しいのか、教室で、または対学習者で教師が文法を扱う際の注意事項のようなものが見えてくる。
30年以上前の「学習英文法論」ではあるが、学ぶことは多い。
そこから20年ほど経って世に問われた学習文法論に、
- 早坂高則・戸田征男 『リストラ学習英文法』 (松柏社、1999年)
がある。項目の精選、体系の捉え直しなど長年にわたる精力的な取り組みの結実なのであろうが、「英語理解の基礎---新しい学校文法の枠組---」 (pp. 13-44) で示された体系とその解説は、高校の教師としての私の率直な感想としては、「教室での指導ではとても使えない」ものである。文法研究者が体系化を目指す時の陥穽の一つがここにあるように思う。
鳥の目・ヘリコプターからの映像を学習者が持つことは難しいのだ。
本日のBGM: I should know better (Don Dixon)