「学習英文法シンポジウム」終了。
いやあ、終わりましたよ。
何はともあれ、登壇者の皆様、討論者、司会者の皆様、大津研のスタッフ、慶應義塾大学出版会のスタッフなどなど企画運営を支えて下さった人たち、そして、フロアに会した350名余の参加者のみなさんに感謝です。
行きは羽田から日吉に向かう途中というか振り出しで、京急の電車を間違え、気づいたら浅草。急いで都営浅草線で戻って、JR田町で乗り換え、品川から武蔵小杉、東横線。走りました。結局、慶應大の三田キャンパスに間違って行ってしまったのと同じ経過を辿ったことになりました。30分ほど遅れて会場到着、昼食中の関係者にご挨拶。タイムテーブルなど事前打ち合わせを経て無事スタートしました。
既に、各所でこのシンポジウムの感想・評価が鳴り響いています。登壇者の江利川さんや、mastermindの大津さんのブログだけでなく、参加者である亘理陽一さんのブログ「教育方法学でつっぱる」、anfieldroadさんのブログ「英語教育2.0」、ownricefieldさんのブログ「Born in the northern heart of Colorfulness Land」などなど、フロアからの率直な感想だけでなく、学術的な補足や指摘を翌日にはもう目にすることが出来るというのは、この時代の恩恵でしょう。
シンポジウムが本当に成功だったかどうかは、今後の取り組みにかかっていると思います。
私自身、事前公開質問では挑戦的な物言いも含みながら切り口を作りましたが、限られた時間で全ての論点をカバーすることは出来ず、司会の柳瀬さんのいうように「ガチ」のバトルにまでは進まずに試合終了という部分も正直ありました。
- これだけの顔ぶれが集まったのだから…。
という思いはフロアの中だけでなく、登壇者やスタッフの中にもあったかと思います。
が、まずは、この9人で何かを生み出そうと集めることができたことに拍手を送りたいと思います。
これを端緒として、「本」という成果が出るまで、まだまだ乗り越えなければならないハードルは多いでしょう。その時に「ガチ」が必要ならいつでも行けるように準備は怠らないつもりです。
6時間に及ぶ本編、その後の懇親会、2次会、そしてその後明け方まで続くカラオケ大会と本当に疲れました。
懇親会では東京勤務時代からお世話になっている何人かから忌憚のないご意見を頂戴し、身の引き締まる思いでした。
また、のんべえさんのブログで私に対する公開質問が出ていたので、それに対しての回答をここに書いておきます。
- 一つ松井先生にもう一度お聞きしたかったのは、大津先生も聞かれていた日本語内のlocal errorの件。私も日本語内のlocal errorならば乗り越えられると思っていて、そこには「ばらつかない直感」もあると思っています。その部分と英語の土台のぐらつきの関連がもう少し踏み込んでお聞きしたかった。
大津研サイトでダウンロードできる事前公開質問には、
母語である日本語でさえ、そこで狙いとされる「気づき」が前提とする言語事実とその理解には揺れというか幅があります。では、英語の学習、英文法の学習においての「気づき」はいつ、どのような局面で得られるのでしょうか?適切な教材を与えておけば「気づき」が得られると信じる楽観的な人はあまり多くないと思います。
今風の英語教育では、raising awarenessとか consciousness-raising activities などとしたり顔で言ってくれますが、何をどこからどこまでraiseできれば教授者も、享受者としての学習者も成功といえるのかを示してくれる学者は殆どいません。常に、「このような気づきが求められているのですよ」ということを示しているだけの、後出しじゃんけんをしているだけのような気がします。
と書きました。
私の頭にあったのは、学習者に英語という目標言語の仕組みのうち何かに気づかせたいという時に、
- 日本語の助け・足場を借りずに英語のみで成立できるレベルの英語の言語材料で指導する、学習させる手順・段階、というのは学校教育で学年進行でのカリキュラムやシラバスを考えると学習者が習得する語彙と構文をコントロールしたGDM的発想になるのではないか。
- 運用での自然さ、適切さを求め、かつ限られた教授・学習時間で入力から出力までを繋ぐためには、適宜日本語の知識や運用能力の助けを借りて、または日本語に全面的に依存して「教える側の目論んだ気づき」を得てもらうことが必要になってくるのではないか。
- 日本語を頼りにして英語「に関する」気づきを得る、つまり「英語ではこうなんだ」という、思考や理解を「日本語によって」している段階では、その日本語の足場のうち、意図的に意識的に、日本語でのこのような典型的事例から得られる気づきを用意しておくことが大切なんですよ、という足場均しが必要となってくるのではないか。
というものです。
日本語によって思考や理解をしながら、日本語という母語に関する気づきを得るというのであれば、典型的な事例を示すことで乗り越えられても、体系の異なる英語という目標言語を扱う際には、対照言語学的な見地での「気づくべき足場」というか「気づくための足場」をシラバス化しておく必要がある。言い換えれば、かつて毛利可信が示した『橋渡し英文法』での「橋」ではない、母語である日本語から母語使用者として抽出した「気づき」をもとに、対照言語である英語へと架ける「橋」が必要になるのではないか、そのためには教える側に、英語学習のどの時点で、日本語ベースのどこから英語のターゲットのどこへと渡すのか、「目論見」「橋の設計図」があってしかるべきだろう。後は野となれ大和撫子、というわけにはいかないだろう、というのが持論です。
たとえば、
- 1. 母語である日本語に関して気づきを得るための学年別配当日本語気づき事例 60
- 2. 外国語である英語に関しての気づきを得るための学年別配当日本語気づき事例90
という大まかな枠組みと流れを考えた場合に、1.での60は2.の90に発展吸収されていき、その先に、
- 3. 日本語の気づき事例90により足場ができた英語による英語に関しての気づきを得るための30題
というような新たな段階があるのではないか、というのが今回のシンポジウム前、当日に考えていたことです。
今回、私の事前質問で、FonFにことさら絡んだのは、私の期待と不満の表れです。今回の登壇者のうち、今風の英語教授法への具体的言及が鳥飼さんからしかなされなかったので、結果として私が鳥飼先生に絡んだように映ったことは私の本意ではありません。本来は、和泉先生とか村野井先生とかにお聞きするべきことなのでしょう。鳥飼さんは体調が優れない中、そんな私の質問にも誠実に回答していただきました。あらためて御礼申し上げます。
目標言語での形式に関する「気づき」を目論むFonFは、文法シラバスに依拠しないからこそ、FonFとなるのだし、これまでの教授法が形式に偏重していたからこその、意味重視なのだ、というのは信望者には自明のことでしょうが、Impact Grammarなど、その黎明期の教材を高校現場で使ってきて思うのは、やはり「坂道を自転車で登る」比喩なのです。「気づき」の実態解明に関しても、和泉先生など最先端の研究者が地平を切り開いている真っ最中なのだと思いますが、教育現場の最前線にいる者としては、かつてこのブログでも触れた (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090117) 「気づきの下位分類」の議論などが現実のものとなっているのではないかと危惧するわけです。
意味の固まりとしての名詞句の把握、という視点も「意味順」をシラバス化していく中で必ず折り合いをつけなければならないものでしょう。
気づきを得るための学習活動や言語活動で取りこぼした目標言語の形式を、それと並行した別立てのドリルですくい上げていくためにも、最低限教師側に、そして出来れば学習者側にもレファレンスとしての「学習文法」という実態を構築していく必要はあるように思っています。とすれば、何をどこからどこまでといった記述内容・構成・配列と記述方法を考えざるを得ないのではないかと思います。「パラダイムシフト」とか「質的転換」と言うのは簡単ですが、実際には、ガラガラガッシャンとか、ウィーンガッシャンと掛け声だけで済むわけではありません。
ということで、私の公開質問の最初の問い、
全体への問い
1. 登壇者のそれぞれが、英語学習者として「英語文法の体系」「英語という言葉のしくみ」を身につけたと感じたのはいつでしょうか?
その時に、自分が「捉えた」と思う英語のしくみ・体系は、それまでに学んできた部分の総体となっていましたか?少なかった (精選・絞り込まれていた、圧縮・凝縮されていた、統合されていた) でしょうか?それとも、実像は掴みきれないけれども、それまでの総体を越えたもっと大きなものを感じたのでしょうか?2. 「学習英文法」というと、より整備された学校文法の体系にしろ、精選・簡略化されたものにしろ、やはり「全体」をどうするかという収束を目指すように感じるのですが、Michael Lewis がLexical Approach (1993) で言う “language consists of grammaticalised lexis---not lexicalised grammar.” という捉え方については、どう考えますか?個人的には、これまでの文法観を「使えない全体像・体系」とみなし、それよりは「使いでのある個々の積み上げ」を志向する、というこれまでの英語教育への痛烈な反論ともとれるのですが。
3. 上記二点の振り返り、考察を踏まえて、「ミニマムエッセンシャルズ」や「学習項目の精選」、「学習・指導順序」に関して、どのように考えますか?
を再度考えて頂ければと思います。
外国語教授法の歴史的変遷を振り返るだけでなく、そこから何を今に活かすのか、ということを考える上では、シンポジウム直前に私がブログでも言及した、Michael Swanや、Alan Maley、そして今回の登壇者の斎藤さんも取り上げていたGuy Cookの言説は振り返る価値があると思っています。
シンポジウムの最後に少しだけ言及しましたが、Geoffrey Pullumが編著者の一人となっている文法書は21世紀にふさわしい英語の文法書として定評を得つつあります。でも、Pullumが80年代に関わっていたのは、Generalized Phrase Structure Grammar (一般化句構造規則) という大胆な提言だったのです。(GPSGは当時Gazdarが来日して東京タワーの下あたりで3日間のセミナーがあり、その理論にロマンを感じた私 (大学の4年だった) は指導教官のN先生について書記代わりとなって受講していました。梶田優先生に初めてお目にかかったのはその時でした。)
その Pullumは、私の主たる関心領域である「ライティング」の分野での大ベストセラーである参考書、William Strunk and E.B. Whiteによる、 “The Elements of Style” を本当にバッサリと斬り捨てています。(http://t.co/xROpoIV)
「文法学者」が解き明かした上で説く文法と、教室現場で通用している文法との食い違いを指摘する一例としてはあまりにも大きなインパクトを持つ小論です。
私の場合は、このように自分の興味関心のあることがらから芋づる式に繋がったもの・人・こと、を自分がある程度納得いくまで調べて、自分の頭で考え、そこで腑に落ちないところをまた調べていくという基本姿勢でここまできました。当然、その「ある程度」も、時間の許す限り、エネルギーの許す限り、家族の許す限り、などとなるわけですから程度問題です。
今回のシンポジウムの準備が本格化した、8月下旬から娘の体調が悪化し、原因がわかるまでに時間がかかったためにこの週末で生死の境を彷徨わせる結果となってしまいました。投薬しなければ確実に死に至り、副作用が強く出た場合は、脳に障害が出て結局は死に至るということで、三日間、抗菌剤と抗生物質の連続投与で、副作用が出ないことを祈っての賭でした。シンポジウムの本編が終わった時点で妻に電話し一命を取り留めたことがわかった安堵はなかなか言葉にできません。一夜明けて飛行機に乗り、山口空港に降りた直後に妻に電話した時は妻の声の調子が明らかに穏やかで柔らかくなっており、やっと私も落ち着いた気持ちになりました。妻に了解を得て、そのまま湖へと移動し、前日から行われている国体の強化合宿に合流。午後のトレーニングを見て、夕方に娘のもとへ。娘の表情というか輪郭線が明らかに快方に向かっていることを物語っていました。血液検査の結果も、まだまだ安心にはほど遠いのですが、適切な診断と治療をしてくれた医師に感謝です。希望が繋がりました。
週の明けた今日、月曜日は流石に疲れが出て、同僚にも「相当疲れた顔してるよ」と言われましたが、気力で乗り切りました。実作を蔑ろにしては本末転倒ですから。
本日のBGM: Don’t let it bring you down (Neil Young)