8月もいよいよ「夏も終わり…」への最終コーナーにいます。
昨日は久しぶりに雨が降りました。
「降ればなんとやら」で雷雨でしたけれど。
休み明けの高校の授業の準備をしているフリーランスの講師である私ですが、少し前に買ったまま読んでいなかったある本が気になっていたので、ちょっと本気を出して読んでみました。
で、愕然。ワニの口。憤りはなかなか収まらず、ツイッターで連投していました。
少し時間が経ち、頭と気持ちの整理ができましたので、こちらにまとめることにしました。
この本は、『現役本』ではありますが、これがこのまま広まったりすると困るので、ここで取り上げ問題点を指摘します。
その本とは、
『高校英語授業における文法指導を考える 「文法」を「教える」とは?』(アルク、2020年)
副題にあるように、「文法」を「教える」とはいえ、実際は「解説しているだけ」ではないのか?「教え込み」で「身に付いた」という勘違いが高校現場に強く根付いているのが問題では?
旧来型の高校の授業と著者グループの関わった中学/高校のような実践との違いは何か?
というような問題提起もなされています。
かねてより、著者の金谷憲氏のグループでは、「名詞句の限定表現」が指導から定着まで、どのような推移・経過を見せるのかリサーチをしてきましたが、この本でも、「授業」の「成果」としての「生徒の英語力」を測ための「テスト」を開発し、それを使って「文法力」の検証をしていることが書かれています。
調査結果の分析・考察で、とりわけ後置修飾を含む英文の理解度に大きな差があることが取り上げられています。 (p. 69)
ある高校では、高1段階で55%の理解だったものが、高2では85%の生徒が理解できている。別の高校では、高1の段階では34%、高2で52%、高3では54%の理解度でした。
では、これはどのような「テスト」によるものでしょうか?
「FMテスト」と呼ばれるものに、このような設問があります。
John opened the door Mary closed.
問題: ドアはどうなっていますか?
(a) 開いている
(b) 閉まっている
(c) わからない
この問題の正答を (a)に限るとすれば、その正答率が低いのは関係詞による後置修飾、この場合はいわゆる「接触節」の理解が乏しいことのみによるものであると言い切れるでしょうか?
私にはそれだけが原因・理由とは思えません。
関係詞の後置修飾(所謂接触節)の定着を診るのなら、この文のように、主節と形容詞節(接触節)のどちらも過去形というような文は避けるべきでしょう。時制が同じであることによって、どちらが時の上流かの判断に迷う可能性があるでしょうから。
時の上流から今へと順行するのではなく、ある過去の時点から、さらに時の上流へと逆行するので、過去完了で
- John opened the door Mary had closed.
のように書かれていれば、「今ドアが閉まっている」という誤解は減るはずです。(もっとも、これを現行の学習指導要領で学んでいる中学校段階の生徒や、高校1年生段階でテストしても、過去完了形の理解度の低さによって、正答に至らない可能性があることは充分承知しています。)
関係詞で作られる形容詞節での過去完了は規範的な文法では義務的で、かなりの割合の英語使用者が、過去完了形を好むとされています。
まず、使用者の多い辞書から用例を引きましょう。
I lost the dictionary that my sister had bought for me the day before.
前日に姉に買ってもらった辞書をなくした。
The book I had lost turned up.
なくした本が出てきた。 (以上『ジーニアス英和』大修館書店)
次に、使用者の多い文法書から引きます。
After a few weeks’ trial he was shifted to another department, because he was not up to the work that had been given to him.
(数週間試しに働いてみた結果、与えられた仕事は荷が重すぎたので他の部門に移された)
『英文法解説』(改訂三版、金子書房)
関係節の時制の解釈で、
の読みの可能性があることは良く知られていると思いますが、ここでは深入りしません。
詳しくは、
千葉修司『英語の時制の一致 時制の一致と「仮定法の伝播」』(開拓社、2018年)
長原幸雄「過去完了の代用としての過去形について」(英学論考 (26)、1995年、東京学芸大学レポジトリ)
Ogihara, Toshiyuki (1996) , Tense, Attitude, and Scope, Springer
を参照されたし。
この問題の正答率が低いのは、「接触節」の理解が乏しいことのみによるものではなく、「時制」「相」の理解が乏しい、または未成熟であることも起因しているのではないか、という「素朴な疑問」がこのテストの作成者、リサーチを支援する研究者の側にありさえすれば、今指摘した「過去完了」での修正以外に、例えば、次のような英文を使うことも可能だったはずです。
- John has opened the door Mary closed.
- John was opening the door Mary was closing.
同じ「ドアの状態」を尋ねるにしても、前者であれば「開いている」と答える者の比率は上がり、後者であれば、「わからない」という選択肢の意味が出てくると思うのです。
しかしながら、問題の根はもっと深いところにあります。
もし、上述の「ドア」の英文が正しいとして、「メアリーの閉じたドアをジョンが開けた」という文は、いつ、誰が誰に対して、何のために、どのように伝えるものなのでしょうか?
この書、そしてこれが依拠する調査・実践では、「英語を使う」ことで「文法」も身に付くということを盛んに強調しているのに、その「文法」が身に付いているかを測るテストがこれでいいのでしょうか?
高校生レベルではより詳細な調査が必要、として開発された「テスト」があり、「KBテスト」と呼ばれています(「高校生用のビリーズテスト」とでもいうのでしょうか)。
後ほど、細かく検討しますが、そのテストのうちの一つの問題がこちらです。
( )の語を加えて文を完成させるとき、もっとも適切な箇所はどこか?
(18) The ① little ② girl ③ who ④ was ⑤ eating ⑥ candies ⑦. (jumped)
正答は、④か⑦だそうです。
では、この (18) で完成する文はどういう意味になるのでしょう?
girlは定冠詞theで限定。
jumpedは単純過去形。
was eatingは過去進行形。
candiesは無冠詞複数形。
「意味が分からない」と正答できないと思うのです。
でも、「意味がよくわからない」のは、後置修飾への習熟が不十分だから、という理由だけではないように思います。
以下、このKBテストで、「正答」として完成する 33 ある英文のうち、不自然なものを取り上げてコメントします。
(3) ? The tall man liked by everyone is Koji.
前置の形容詞が既についている名詞でも、後置修飾は可能だ、ということを分からせたいのか?何かのCMの悪影響だろうが、the そのものの「指示性」は弱いのです。「同定」が主たる機能。tallは尺度のある形容詞。原級のままだと主観的形容。この二つの要素だけで、他のman (またはwoman) との弁別・識別を図るのには無理がある。
like が受け身で容認されるのは、「不特定多数」による場合だが、中学や高校段階でどれだけの学習者が、likeという語の特性・制約をそこまで理解しているか?
(4) ? The girl that you invited to the party cooked.
cookedという過去形はどういう意味で用いられているのか?「調理した」?
The girl that you invited to your birthday party was [turned out to be] a very good cook.
なら分かりますよ。
「みな驚きました。それが後のカリスマ家政婦シマさんだったんですけどね」とかね。
(5) ? Which small clock is yours?
その他にも複数の小さな時計がある中で、直接話している相手に「小さい」という情報を含めて確認してもらわなければならない状況がイメージできません。
「『ミニ時計』自慢大会」に出品したけれど、ブースとかショーケースの中で他の出品者のものと混ざって分からなくなった?だったら、「小さな時計」という旧情報は言う必要がないのだから、Which is yours? で十分では?
(8) ? The student that reads many books likes English.
関係代名詞による修飾である必然性はどこに?「たくさんの本を普段から読むその生徒」という制限的な関係詞で何を表しているかが不明。何かの調査結果をレポートしている?
次のような文ならまだ分かります。でも、中学生のテストには不向きでしょうね。
The student, who reads a lot (of books), likes English the best of all school subjects.
「その生徒は、普段から読書家なんですけど、英語という科目が一番好きなんです。」
(9) ? The man eating in the restaurant is popular.
レストランには外に何をしている者がいるのだろうか?「飲むだけの人」?
man ではなくwoman? 繰り返すが、the そのものの指示性は弱いのである。popular は liked by a large number of peopleで不特定多数の人に好かれていることを表す形容詞。 「…を…している男は人気者です」って、どういう情報価値を持った文なの?
たとえば、「このレストランで、男性が最も多く注文するメニューが…です。」ならまだ「主題化」して、その答えだから、名詞一語で十分ですけど、「…を食べているあの男性が、若者の間で多大な人気がある声優です」とか、主語の重みと釣り合うだけの「意味」の濃さが必要では?
(13) ? The old painting of my brother is in the box.
後半の「テスト」では、二つの解を示すものがあるのに、なぜ、この13では、
The old painting is of my brother in the box. にならないのでしょう?
いや、この文でも、「この古い絵画は、箱に入っている私の弟を描いたものです」といって、齢百歳を越えようかという老人は、死産となった弟のミイラが入った箱を示した。」などというスペシャルな場面はあり得ますよ?
(14) ? That blue music player is popular.
(9) と同じ疑問ですが、なぜ、この文だけthe ではなく that なのでしょうか?
また、ひょっとすると、playerは人なのでしょうか?「ブルーマン」?
(15) ? The girl that the student taught studied very hard.
the studentの正体が分からないと、「生徒/学生が女の子に教える」の意味が漠然としすぎていてよく分かりません。そもそも「何を教えているのか」も不明。
大学生がお受験の小学生の家庭教師をしている場面?だったらそう書くべきでしょう。
(17) ? The big park in our city is beautiful.
私たちの市に大きな公園はいくつあるのでしょうか?bigは原級のままでいいのでしょうか?次の例と比べると、この (17) がいかに不自然かが分かろうというものです。
The cherry blossoms in Yoshino are most beautiful.
「桜は吉野にとどめを刺す」(O-LEX和英より)
(18) ? The little girl who jumped was eating candies.
基準時制が過去。jumpedは単純過去形で副詞句が何もない=自動詞。どういう動作なのか、絵が描けません。「その跳ぶ少女」って?そして、過去進行形で「線」を表すwas eating candies の「お菓子;アメ」が「無冠詞複数」。「アメを複数頬張っている」?「アメを一個食べるごとにひと跳びした」?どちらにせよ、何を跳び越すのか言わないと。
あの〜、ところで、「過去進行形」って結構制約が多いって、分かってますか?
? The little girl who was eating candies jumped. こちらも同じ。
(20) ? The cute girl l pushed met the man.
私が押したのが、時のより上流で、その男に会ったのは、それよりも下流だから、両方過去形でOKですけど、「私が強く押したその幼くか弱そうな女の子はその男に会った。」ってどういう意味なんですか?meet を「接触する」という意味で使ってる?
? The cute girl l met pushed the man
「私が初めて会ったそのか弱き乙女はその男を押した」。このmeetは初対面?「押した」ってなぜその男を押すの?まさか、このpushはスラングの「殺る」?
(22) ? The old man who(whom) l met called.
meetの意味は? callが自動詞で単純過去形って、どういう意味?いや、これ、目的語がないですから。その人と私は会ってたんですよね?誰かと会っている時にcall する、ってどのような行為?「電話をかけた」?「叫んだ」?
(23) ? Which person is your teacher?
teacherって普通は人ですよね?選択疑問文でも、疑問詞が人の場合にはwhichではなくwhoを使うのがより一般的だと思います。
ということは、敢えて「人」という情報を前面に出したい?
AIが教師・教育者として完全に定着した未来の世界で、人を敢えて選んで教育を受けている珍しい人の話?
(24) ? The large room in my house is clean. (17) と同じ不自然さです。
(25) ? The boy who laughs is talking with Nancy a lot.
? The boy who is talking with Nancy laughs a lot.
どちらも不自然なのですが、上の例の方がより不自然ですね。laughsの現在形は「恒常性」を強く感じさせますが、どういう意味でしょう?「お笑い君」?「笑い少年」?「いつもは笑う人」?talk にしろ、laughにしろ、動詞+a lotなら可ですが、talk with を進行形でしかも、a lot で「計量化」するというのは、already の気持ち?
「いつもは笑うその少年が、今、ナンシーとたっぷりと話しこんでいるところです」という場面?テストされた中高生は、そういう理解に達している?
正解を得たとされた高校生に、どんな意味だと思って、その英文にしたのか尋ねてみたのかしら。
(26) ? The girl reading a book is very cute.
「とある一冊の本を読んでいるその少女はとても cuteです」ってどういう意味?
かろうじて許容した(2) This new red sweater is cute. の文でも、先程ダメ出しをした (20) の文でも、cute という形容詞が使われているのだが、いったいどのような語義だと思って「テスト」しているのか? 本来cuteは、生き物に用いる場合は、赤ちゃんや子犬、小猫など「幼い、か弱い」愛らしさを表すもの。この少女は普通は本など読めるはずもない、2歳くらいなので「幼くて可愛らしさ倍増」という感じなのか?
cuteが「未熟さ」のイメージかと思いきや、ところが、米語法では、人に用いた場合に、「性的魅力のある;セクシーな」という意味を持つ場合と、「抜け目のない;ずる賢い」というネガティブな意味を持つ場合がある。
このような後置修飾で、その少女のどんな特性・性質を付加したり、そこにいるその少女以外のどんな少女との識別を図っているのか?
(27) ? The famous singer everybody knows sang.
これは酷い。「歌った」という情報に何の価値があるのか?「有名歌手」なら歌うでしょ。歌手なんだから。「国民的歌手だから、もったいぶって歌わない」の? それだって、「5年ぶりで、公の場で生歌を披露した」とか、スポーツのイベントでの「国家独唱」とか、一文であれ、文脈は存在しますから。テストで「出来不出来」を決めるんだから、もっとまじめに例文作りなさいよ。
(29) ? The young man that smiled was swimming.
? The young man that was swimming smiled.
どういう状況なの?過去進行形って、大変なの分かってる?
点と線?線と線?どちらが点?
「その若い微笑み男は泳いでいた」?「水泳中の若い男は笑みを浮かべた」?
私だったら、息継ぎできないけどね…。
私にイメージできる状況とか場面って、こういうのですよ。
「その若い男性スイマーは、厳しい練習中も、笑みを絶やさなかった」
(30) ? Which baseball team is strong in Japan?
そもそも、この英文を日本語に訳したらどうなるの?
「日本ではどの野球チームが強いのですか?」ですか?
これ、「野球チーム」と「日本で」というのが乱暴すぎるでしょ?
プロ野球で何チームあるの?社会人、大学、高校…それらを含めたら全部で何チーム?
昔、前世紀ですね、PL学園の全盛期に、「今のPLはプロとやっても勝てる」とかいわれてましたよね?で、strong って原級のままでいいの?どこかのチームが一強でその他は全部弱いの?少なくとも限定とか、比較とかにならないと、何も言ってないのと同じでは?
(32) ? The watch broken yesterday is Mika's.
どういう意味ですか?
「昨日壊(さ)れたその腕時計はミカのものです」ですか?
過去分詞は、「完了由来」で「…し終わった」、「受動態由来」で「…された;…してある」を表しますが、本来分詞って、時制を手放すものなんですよ。にもかかわらず「特定/限定の過去の日時」でyesterday。新聞の見出しで、be 動詞の省略でもないと不自然ですね。
「受け身にすることで、動作主を曖昧にして、責任も曖昧にする」というよう状況・場面で考えるとすれば、
The watch broken in an accident yesterday is Mika’s. She said that is a keepsake from her grandmother. 昨日の事故で壊れた腕時計はミカのものです。お祖母様の形見だそうです。
のように、事故の修飾語句としてyesterdayを使うなら可能ですかね。
疲れました。ホントに。
KBテスト33問のうち、3分の2弱にあたる20問に「?」を付けました。
この「テスト」そのものの機械的な作業を抜きにしても、個人的には、これらの不自然な(「酷い」と言い換えたいものもある)「英文」を学習者に作らせるのは耐えがたいのです。
完成した、つまり正答だとみなされる「英文」がこのようなものなのに、それで「文法」の理解度が本当に測れるのでしょうか?
- 単文・短文の空所を補充することで、簡便に名詞句の限定表現の理解度を測る
というコンセプトやリサーチの基礎デザインは結構です。
ただ、中学段階で学んだことの定着をその後に「診たい」のなら、テスト設計そのものを吟味精査すべきだと言っているのです。
3年前に開発したもので調査したものを、3年後に再検証することに意味があるからといって、「昔これでテストしたから」と問題のある同じテストを使い続けるのでは困ると思うのです。
本書の「第5章」 (pp. 164-200) まで30頁以上を割いて、調査結果の考察がなされています。
調査結果: ① 中2までの文法事項は、活動中心の授業であまり解説しなかったとしても、中学校卒業時までに身に付く(インタビュー、KBテストその他)。 (p.164)
とあるのですが、3分の2弱が、意味のよく分からない文で構成されている「KBテスト」で、いったい何が分かるのでしょうか?
私が担当した第4章のタイトルにSLA研究で文法指導について「分かっていること」と「まだ分からないこと」に加えて「分かり得ないこと」としたのはそういう意図です。SLAのような科学的研究と実践の付き合い方について今回は考えさせられました。 (p.172)
SLAとか、科学的研究というかなり前の段階の、「英語そのもの」に関わる不備が、この「KBテスト」にはあると思うのですが、それは改善されないのでしょうか?ひょっとして、このままで英文として問題がないと思っているのでしょうか?
使えるようにするのは音読などの練習(パイ生地)部分だけではうまくいかず、教科書で扱っている会話やストーリーに関することについて、先生が生徒と英語でやりとりするクリームの部分もなければならない。音読などの練習(パイ)を何回かしたら、先生が教材と生徒の生活との接点を付けるようなやりとり(クリーム)が入って、また練習(パイ)という、まるでミルフィーユのように何段にも重ねられることが大切ということです。(p.179)
お洒落な比喩は結構ですが、なぜ「文法の習得」のプロセスモデルが「ミルフィーユ」というお菓子の構造や製造法で喩えられるのでしょう?「食べ物」を食べる比喩ではなく、作る比喩であることが重要なのでしょうか?では、「バームクーヘン」の構造や作り方とは何が違うのでしょうか?
食べ物ではなく、「和紙を漉く」プロセスの比喩では、文法習得のプロセスモデルとして何が漏れてしまうのでしょうか?
よく分かりません。
そんなことよりも、「KBテスト」を早く修正して、その上でリサーチをやり直してくれませんかね?
私は教師として駆け出しの90年代の初めから、金谷先生の諸々のプロジェクトは見続けてきて、随分参考にさせてもらってきました。
しかしながら、今回の「KBテスト」は全くもっていただけません。
これがパイロットであれ、事前事後であれ、文法事項の「理解度」を測る「テスト」になってしまうとすれば、その結果に乗っかる、実践にしろ、考察にしろ、それらはもう、研究成果の体を成していないのではないかと思います。5Rシステムにしろ、Tモデルにしろ、実践そのものは結構なのですが、その「基礎」が揺らいでは価値は薄まります。早急に「手当て」が必要でしょう。
仕切り直すなら早い方がいい。
本日のBGM: 優しい雨 (小泉今日子)
小泉今日子 優しい雨