試行錯誤

些か旧聞にはなりますが、今年(2018年)の2月に広島大学で開催された、

全国英語教育学会・小学校英語教育学会 2017年度第3回英語教育セミナー
2018年2月11日(日・祝)15:40-16:40
於:広島大学 教育学部(東広島キャンパス)K104講義室

セミナー② 
「体を表わし得る名とは?:
ライティング課題における「お題」と「テクスト」を見直したい」

での発表資料をこちらで公開します。

セミナーの翌週での振り返りは既に記事にしていましたので、そちらも併せてご覧下さい。

http://tmrowing.hatenablog.com/entry/2018/02/16/071840

一部、公益財団法人である「英検協会」の出題での著作権に関わる資料がこちらでは示せませんが、資料に表示されているリンク先を見ていただければ分かる範囲だろうと思います。

20180211広島レジュメ公開可能版.pdf 直
広大セミナースライドのコピー.pdf 直

  • 国産の「ヨンギノー」試験の「ライティング」では、とかく「お題作文」で「意見文」を書かせようとしすぎなのではないか?
  • さらには、お題の設定がお粗末なために、受験者の答案が一定のベクトルに収まらずに、適切な評価ができていないのではないか?

などなど、指導者も受験者も「腑に落ちない」ことがあるのではないかと、常日頃感じているのですが、そういった議論の端緒となれば、と思っています。

資料の中で、ケンブリッジのWrite & Improve の活用例も示していますので、ケンブリッジ英検の受検予定があるなしに関わらず、この機会に試してみて下さい。高額な受験料を払わなくても、かなり有益なフィードバックを得ることができます。指導者が使うだけでも、指導への「気付き」をもらえるのではないでしょうか?

本日のBGM: アイデア(星野 源)

「はてなダイアリー」終了の予告

突然ですが、「はてなダイアリー」が近々終了します。
いや、私の都合ではなく、「はてな」側の都合です。

「はてなからのお知らせ」がこちら

2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify

どんなファイルでもアーカイブが手軽に作れることで、はてなダイアリーを続けてきました。現在も、「はてなダイアリー」の方で記事を書いて tmrowing at best にアップし、同じものを「はてなブログ」の “tmrowing at second best” に転載しています。しかしながら、「はてなブログ」の設定では、画像・動画ファイルには柔軟に対応していて、機能も充実しているのですが、ワークシートやハンドアウトのワードファイルやpdf、PowerPointのスライドなど、画像・動画以外のファイルをアップロードすることができませんので、アーカイブとして使う場合にも、「はてなダイアリー」でファイルアップロードをして、そこから「はてなブログ」にリンクが張られるという運用です。

そのため、「ダイアリー」終了後は、新規のファイルアップロードができなくなります。このブログを始めた目的が、そもそも授業日誌、実践記録であることを考えると、ファイルが手軽にアップロードできないというのは、大きなハンデ、デメリットとなります。ということで、「はてなダイアリー」終了後に、「はてなブログ」だけで継続していくかは現時点では未定です。

「はてなダイアリー」で研究部会用アーカイブと授業日誌を兼ねて始めた2004年から足かけ14年。総エントリーが1800日強、ダウンロード可能なファイルは1100強あります。とりわけ、2005年度〜2006年度の授業実践記録は資料的価値の高いものになるかと思います。

「終了までまだ半年ある」などと思っていると、ファイルのダウンロードなど、巡回ソフトで一括処理できないものが多々あると思いますので、今のうちから、目ぼしいものを拾い集めていただけると慌てずに済むと思います。

「英語教育」や「英語学習」でこれだけ広範囲のテーマを扱って現職高校教員が(しかも実名で)書いているブログは、他にはないと思いますので、DLだけではなく、過去ログも、今のうちの読める間に読んでおいて下さい。

本日のBGM: Ochansensu-Su (Audiotree Live Version)/ tricot

「忘れられたものたちのダンスは続いてる」

呟きの方で再び話題に上った、2012年のELEC協議会での発表資料を小分けにしてファイルサイズを落として、再度公開します。
伝統的な指導法では、所謂「英作文」とか「自由英作文」などと称される英文ライティングのための「教材」「教本」にあたります。「基本例文集・暗唱例文集」から「日本文学の翻訳」まで、伝統的な指導法を知る機会自体が今後は失われていくのだろう、という思いから、再度アップする次第です。

通し番号は、表紙にあるもので確認して下さい。

セミナーそのもののレジュメはこちらです。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/files/2012_ELEC_summer_matsui_downsized_public.pdf?d=y

以下、画像ファイルの貼り付けで、若干重いものもあるので、スマホ等でのダウンロードにはご注意下さい。

① ~ ③
ELEC 2012夏期資料1.pdf 直

④ ~ ⑥
ELEC 2012 夏期資料2.pdf 直

⑦ & ⑧
ELEC 2012 夏期資料3.pdf 直

⑨ & ⑩
ELEC 2012 夏期資料4.pdf 直


ELEC 2012 夏期資料5.pdf 直

⑫ ~ ⑭
ELEC 2012 夏期資料6.pdf 直


ELEC 2012 夏期資料7.pdf 直

⑯ & ⑰
ELEC 2012夏期資料8.pdf 直

本日のBGM: たよりないもののために(寺尾紗穂)

残暑というには暑すぎるけれど…。

6月上旬、とても悲しい出来事があり、妻も私も失意の中、日々の小さな出来事に喜びを見いだし、幸せを感じるようにしてきたのですが、西日本豪雨での甚大な被害、敬愛するフィギュアスケーターのデニス・テン氏の訃報、そして、とてもとても、という酷暑の続く夏に、心身ともにかなり疲れています。皆様におかれましてはいかがお過ごしですか?

私の最近のupsとしては、昭和の香り漂う「俵山温泉」に久しぶりに妻と出かけたことと、台風が気になる中、The Ice 大阪公演に妻と出かけてきて、しばし高揚感を得たことでしょうか。The Iceでは、第1部の最後には、デニス追悼の群舞、そして、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフ選手は今季のフリープログラムのお披露目をしてくれました。このプログラムの振り付けがデニスだったのでした。

本業では国体の中国地区ブロック予選が地元の山口開催で、配艇委員長を仰せつかり、テントの中だからと油断していて、前腕部が大日焼けで大変な思いをしましたが、無事終了。その後、今季は基本、開店休業です。

一方生業の「英語教育」では、今季唯一のお座敷というのでしょうか、この企画で登壇します。

LET2018大阪大会
2018年8月7日 - 9日
千里ライフサイエンスセンター

http://www.j-let.org/let2018/page_20171216120034

私の出番は、最終日の9日の最後にある「パネルディスカッション」です。
司会は広島大学の柳瀬陽介氏、パネリストは静岡大学の亘理陽一氏、関西学院大学の寺沢拓敬氏、そして私。そうです、このパネリストは「第8回山口県英語教育フォーラム」の講師と全く同じなんですね。

早速、柳瀬氏からはブログでスライドが公開されていました (https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/let.html) ので、私も暫定版のスライドがダウンロードできるようにこちらにリンクをお知らせしておきます。pdfに圧縮していますので、多少読みづらいところがあるやも知れませんが、ご容赦を。

「統合はいいことか?2015年の『高3英語力調査を振り返る』」(暫定版)
LET2018 大阪 松井 鍵版.pdf 直

当日配布資料はありませんので、当日、フロアから奮って「参戦」したい方や、遠方で参加できない方などは、こちらからダウンロードして下さい。暫定版ですので、直前まで若干の変更があることをご了承願います。
大会終了後、こちらでまた詳細を報告し、資料を公開したいと思います。

大会の盛会を祈念して。

本日のBGM: 輝きだして走ってく(サンボマスター)

※2018年8月12日追記:

LETでの松井発表スライドの引用&参照資料をこちらに示しておきます。全て2018年8月12日現在。

「平成26年度 英語力調査結果(高校3年生)の速報(概要)」(2015年3月)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/106/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2015/03/26/1356067_03_1.pdf

「平成26年度 英語教育改善のための英語力調査事業報告」(2015年5月)http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1358258.htm

「生徒の英語力向上推進プラン」について(2015年12月)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1358906.htm

「平成27年度 英語力調査結果(高校3年生)の速報(概要)」(2016年3月)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/058/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/03/23/1367581_2.pdf

平成27年度英語教育改善のための英語力調査事業報告 (2016年12月)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1377767.htm

平成28年度英語教育改善のための英語力調査 報告書 (中学3年のみ;速報版は2017年3月。報告書は2017年7月)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1382899.htm

平成29年度英語教育改善のための英語力調査 事業報告(中3&高3;速報版・概要は2018年4月。報告書は8月12日現在で未だ掲載されず。)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1403470.htm

CEFRとのヒモ付け等のための詳細なマニュアル (2009年)
Relating Language Examinations to the Common European Framework of
Reference for Languages: Learning, Teaching, Assessment (CEFR): A Manual
http://rm.coe.int/CoERMPublicCommonSearchServices/DisplayDCTMContent?documentId=0900001680667a2d

上記マニュアルのテスト開発者・実施者向けガイドブック (2011年)
Manual for Language Test Development and Examining for use with the CEFR
https://rm.coe.int/manual-for-language-test-development-and-examining-for-use-with-the-ce/1680667a2b

David Little, Leni Dam, Lienhard Legenhausen. 2017. Language Learner Autonomy: Theory, Practice and Research (Second Language Acquisition)

安井稔『英語教育の中の英語学』(大修館書店、1973年)

このブログの過去のエントリーでは、こちらにその時々の暫定的なまとめがあります。

平成26年度版(初年度調査)に関して
「ゆう」に「こ」とかいてYOU子?
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20150620

平成27年度版に関して
「空の上はいつも青空」
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20160325

♪ 明日が晴れますように ♪

先週末からの未曾有の大雨で、西日本では甚大な被害が出ている。
中国地方でも、広島、岡山、四国など平常に戻るのが大変な地域、人が多いことだろう。
私の住む山口県中部は比較的被害が少なかったが、それでも交通機関は止まり、一学期の期末試験を二日繰り下げ、高三の模擬試験を順延して、月曜日から期末試験再開。
成績処理や保護者を交えた三者懇談などの予定は決まっているので、学期末の喧騒に輪をかけた慌ただしさとなっている。本日、ようやく期末試験が終了した。
私は、高三の担任なので、「センター試験」の中国四国ブロック「説明協議会」に出張するため、明日は岡山へ。でも、岡山や広島、四国側など甚大な被害を受けた地域の先生方は説明会どころじゃないだろう。今月末に、再度説明協議会が開催されるとのこと。

説明協議会(近畿地区、中国・四国地区)の追加開催について
http://www.dnc.ac.jp/news/20180709-05.html

それまでにできる限りの復旧がなされるよう、お上には尽力していただきたい。

さて、
期末試験の採点をしていて、定着している事項とそうではない事項とを眺め、自分の指導の至らなさを振り返ったり、生徒の取り組みの不味さを思い起こしたりするわけです。
日本の英語教育の文脈でも、明示的な文法指導の有効性に疑問符がつけられて久しいけれど、私は「説明することばの精度を高める」ことに腐心しています。
「レファレンス」を整備して、自分が理解できない意味や構造を確認したり、自分が言いたくても言えなかった「意味」に適切な形を与えたりする「足場」を提供することに意味はあるだろうし、タスクや活動で、こちらの仕掛けに気づき損なった場合の「セーフティネット」を用意することにも大きな意味があるだろうと思っています。

因に、私の授業では高一の終わりから、高二の始めにかけて、授業中の活動やドリルや解説を聞く(読む)ことを通じて、次のような「知識」が授けられてい(ることになってい)ます。

・名詞の三分類は、人、もの、こと。ものとことの境界線は曖昧。(人とことの境界線も時に曖昧)
boys and girls / a husband and a wife / a couple / a lot of people / a lot of money / answer / choice
・前置詞は名詞の前に置く詞(ことば)。次に名詞が来ますよと前置きする詞(ことば)。
at school / on the desk / in the morning / around the corner / in the future
notebooks on the desk / a post office around the corner / a table for two

・ことがらはワニの口。ウ○コ漏らすな○ロ吐くな ( = どこからどこまでがワニなのかを見極めろ)。
sending an e-mail / singing in chorus / playing soccer after school / studying overseas in the near future / How about going shopping and seeing a movie?

・前置詞の後に動詞のままでは置けないので、 -ing形というワニ(=名詞句)にして形合わせをする。でも、to+原形の場合は前置詞の直後に置くことはできない。

to study overseas after finishing high school
a machine used for making water warmer

・形合わせをした -ing 形や to+原形は時制を放棄したため、基準時制を持つメインのとじカッコとの関係しか表せないので、基準時制より前のことを表し時制をさかのぼる場合には大関の助動詞 have の助けを借りる。
I’m sorry to have kept you waiting.
His father is proud of having played in the Koshien Stadium in his youth.

・横綱の助動詞には過去形はあるが過去完了形がない。なぜなら、横綱は大関よりもランクが上の助動詞だから大関の後ろには絶対に行かないから。
・横綱の過去形は、過去の内容を表すのではなく、話し手の気持ち/世界の見方が現実離れ(=タイプII)であることを示すのに使われることがあるので、タイプIIIで時制をさかのぼる場合には横綱の付き人に大関 have の助けを借りて、時制をさかのぼることになる。
You should have known better.
That accident could have been worse.


・意味順で、「私は→好きだ→その犬を」は 文 であって、英語では I like the dog. となるのに対して、「私の好きな犬」は大きな名詞のかたまりであって、四角+四角+とじかっこ+足跡で、the dog I like となる。とじカッコがあるので、「好き」なのはいつなのかが明示されている。これが、the dog I liked であれば、とじカッコのつくlikedが「過去形」なので、「私が好きだった犬」という名詞の大きなかたまりとなる。

・意味順で、「その鳥は → います → 屋根の上に」は、文であって、英語ではThe bird is on the roof. となるのに対して、「屋根の上のその鳥」は、名詞の大きなかたまりであり、the bird on the roofとなる。こちらにはとじカッコがないことに注意が必要。
一方、「その鳥は→です→死にかかっている→屋根の上で」は、文であって、The bird is dying on the roof. となるのに対して、「屋根の上で死にかかっている鳥」は、大きな名詞のかたまりであり、名詞the birdから下線延長でとじカッコを使わずに形合わせだけで the bird dying on the roofとなる。

・意味順で、「その本は→です→書かれている →英語で」は、文であって、英語ではThe book is written in English. となるのに対して、「英語で書かれているその本」は名詞の大きなかたまりであり、名詞 the book から下線延長でとじかっこを使わずに形合わせをして、the book written in Englishとなる。

というところがハイライトですかね。
一見、意味順と似ている、「スラッシュ読み」とか「スラッシュ訳」などという、便法が中高現場に入って来て久しいのですが、このような名詞句の限定表現と日本語表現の基礎基本、原理原則に無頓着な「シドウホウ」によって、知識の定着さえままならない学習者が増えているように感じています。私の授業のように、豊富な類例との出会いを重ねる中で、徐々に知識の輪郭を明瞭にすることを指向している場合でさえ、最初のターゲットの補足に失敗した者は、苦労し続けることになりますから。

たとえば、四角化ドリルの「その4」で「崖ポニョ」のシリーズを惰性でやっていてはダメなんですよ。四角化ドリルはそれ自体で完結する「閉じた学習材」ではありません。そこを手がかり足がかりにして虫の視座を広げ高めるためのものですから。

2018「名詞は四角化で視覚化」 ドリル_1-6.pdf 直

また、四角化ドリル「その13」の名詞の前や後ろにくる –ing形の意味と働き、「その14」で、名詞の前や後ろにくる –ed/en形の意味と働きをザーっと眺めたら、英文の実例にたくさん触れて、更なる出会いをセルフプロヂュースすることが大事。

2018「四角化ドリル」_7_15.pdf 直

教室の中にも、教室の外にも「英語による意味交渉を要求される切実な現実」は希薄ですから、自ら生き直す気構えやそのような体質改善こそが求められるのだと、最近では感じています。
でも、殆どの学習者は、誰かが更にお膳立てしてくれないとやらないんですよね。

教える方も学ぶ方もエネルギーを使いますけれど、そのことばの「生息域」を感じられるような「実例」を求め続けるか、そうでなければ、自分で言いたいこと、内容を「英語の流儀に合わせて」日本語でたくさん書きだしておくこと、「英語で考える」手前で、「英語流に考える」ことを勧めています。この「英語の流儀」こそが文法であり、語法とも言えるのですけれど。
今回の期末試験の問題から抜粋しておきます。

IV. 1 - 8 のそれぞれに続けるのに最も意味が整合する内容を a - h より選び英文を完成せよ。

1. Without your help, [ ].
2. With little more practice, [ ].
3. I might have read the book, [ ].
4. You must have had a hard life [ ].
5. She looks happy today. [ ].
6. I can’t find my glasses. [ ].
7. I don’t see their car. [ ].
8. We had a great time at the party last night. [ ].

a. when you were a child
b. you ought to have come
c. he would have succeeded
d. they must have gone home
e. but I don’t remember if I have
f. he would have failed in the test
g. I might have left them behind in the train
h. something good might have happened yesterday

V. 日本には、七夕に短冊に願いを書く風習があります。例にならって、あなたの願いをタイプIIとタイプIIIそれぞれで英語で書き、その願いが適うためのサポートも付け加えなさい。表面が願い、裏面がサポートだと想定します。

タイプIIの例

  • 願い: I wish I had another big typhoon.  
  • サポート: Then, the term end exams would be put off again.

タイプIII の例

  • 願い: I wish I had studied English harder in May and June.
  • サポート:Then, I would have been more prepared for the term end exam.

この「タイプII」の例で示した、「また大きな台風が来ればいいなぁ」「そうしたら試験がまた延期になるのに」という願望が、今回の未曾有の豪雨による被害に照らして「不謹慎だ!」という誹りを受けるやもしれません。ただ、もし生徒の中からそのような声が上がるようならば、自分の「現実」を踏まえて「タイプIIの願望」を表出し、そのこと自体を「後悔」していることを「タイプIII」でまた表出する機会を得たという見方もできるわけです。所謂「仮定法」という現実離れした項目を扱っているにも関わらずその「現実と願望」「してしまったことを後悔する気持ち」などを「リアルに」感じとれたということですから、学びの足場の確認にはなったのではないかと思っています。

私が授業中にそれこそ二万回くらい言っている、「ことばを生き直しなさい」ということばに込められた意味を反芻して欲しいと星に願いをかけています。

本日のBGM: All of Us (Glim Spanky)

『悲しいほどお天気』

あっという間に6月も下旬。前回のエントリーから一月経ちました。
梅雨5号も去り、今6号が近づいているという感じでしょうか?

現任校には「進学に特化したクラス」が学年に一つ設置され、今年はその高3年の担任なので、大学の入試結果の業者によるデータ分析や各大学の入試要項が確定するこの時期は「入試説明会」での出張が増えてきます。6月だけで大学と業者と合わせて8回あります。うち一つは県外へ。

授業を午前中に繰り上げて、午後に出るわけですが、週に2回とか午前を4コマ連続で詰めて午後出張とかになると、結局、多読のノートチェックとか、ワークシートのカスタマイズや印刷などをする時間がなく、翌朝勤務時間よりかなり早く出校しなければならなくなります。ダメージがボディブローのように蓄積されてきます。行き先では、ホテルの会場などが多いので、2時間座りっぱなしで、エアコンの冷気で頭からやられたりもします。当然、そのダメージの影響は、日々の授業にしみ出てきます。私が一番嫌いな授業の精度の劣化です。土曜日には午前中に課外講座が入っていますが、そこでは本来課外の狙いである、「更なる高みへ」「更なる豊かさを」という講座よりは、平常の授業のひび割れ、水漏れの修繕補修に近い内容になります。本末転倒ですね。

来週は期末テストで、その作問もありますが、今年は、英語の授業(と総合的学習の時間)が3学年にまたがり8種類18時間を担当しているので、まさに「祭り」となります。で、その期末テスト中に2つの大学の入試説明会があり、一つは県外へ。午前中に試験監督、昼前には出発という感じでしょうか。テスト週の週末土曜日には私学協会主催の民間英語試験勢揃いのデモで大阪へ日帰りで、翌日曜は終日で模擬試験監督。翌週には、センター試験のブロック説明会が岡山でありますから、それにも行くことになります。こんな環境で働きたいという奇特な方、どこかにいらっしゃいますか?

このブログも含めて、SNSでも英語学習や授業に関わる「教材」「学習材」を貼り付けて公開したり、英語ということばの「生息域」や「スキル」に関わる情報や指導法を発信していますが、そろそろ私の心身も限界に近いので、今のうちに、ダウンロードできるものはダウンロードしておいた方がいいですよ。いつなくなるかわかりませんから。

ということで実作の記録をば。
今年の高1再入門での「不規則動詞活用表」です。

不規則動詞活用2018.pdf 直
不規則動詞活用2018.ABB_bxls.pdf 直

不規則とは言え、規則変化に似た活用となる ABB型です。
昨年度のものから、配列を少しだけ変えました。
所謂「現在完了」、私の授業では助動詞の番付表の「大関」の用法で個々の用例、動詞を扱ったあとで、この表を提示しています。

現在完了の単元での印象的なエピソードから。

「期間」や「起源・起点」のない、大関単独の場合は、その付き人になってる動詞と、その次に続く「どどいつ」の要素との組み合わせで、「成果・達成感」を表すことが多い。

として示した用例で、

  • Mr. Matsui has live in Yamaguchi since 2007.
  • Mr. Matsui has lived in Yamaguchi.

では、後者は「成果・達成感」の読みをしようにも、「山口に」という副詞句が不自然で、「山口に暮らすことが普通の人には高いハードルである」かのような印象を与える、という補足をしています。この段階ではまだ、関脇との合体ロボ、所謂「現在完了進行形」は取り上げていません。

そこから、

  • I have learned 1000 English words. 英単語を千語覚えました。

という例を示したところ、「英単語1000語覚えたくらいで何をドヤ顔してるのかしら」というような顔で私を見た生徒がいたのが意外でした。その生徒にとっては何千語レベルが「ドヤ顔」対象なのか、聞いておけばよかった。

もう一つのエピソードは、発音と綴り字。
往々にして「ドヤ顔」を示すような場面、

  • I have lost my smartphone.

のように、「成果」「達成感」の逆で、「失敗」「喪失感」を表すにも使えますからね、と確認したあと、「lostは-ed/en形で形合わせ、では元の形は?」という問いに "lose" はだいたい皆言えるんです。口頭でなら。
で「loseの綴り字は?」となると怪しい者がチラホラ。
その場で取り繕うことができるのは、せいぜい、

chooseはooと二つ並んでたけど、loseは o が一つ。あれ?oを一つ失っちゃたのかな?

ということくらいでした。このloseの -o- の類例で直ぐ思いつくのは do / move / twoくらいですからね。(cf. 成田圭市『英語の綴りと発音』)

綴り字と発音に関しては、入門期に限らず、何処かの段階で「きちんと」学習しなければならないだろうと思っています。「それぞれ・それなり」を受け入れられれば、あまり悩まなくても「そのうち」なんとかなりますが、「どのうち」にも「お家事情」があり、単純に急いだり、他に先んじようとしたりすることから不幸が始まります。小学校くらいで所謂「フォニックス」を教わっているからといって、本当に身に付いているかどうかは一人一人確かめてみないとわからないもの。本当ですよ。「礼儀正しい母音」とか覚えてきちゃったりしますから。

高2は、所謂「仮定法」を学んでいます。
かつての名プログラムだった大田洋先生の『レベルアップ英文法』の2007年3月号から、スキットを取り上げて導入しています。
そこからの流れで、今週はI wish を。
私の授業では、

仮定法過去
仮定法過去完了

という用語ではなく、それぞれ

タイプ 2
タイプ 3

と、その「ラベル」自体に意味を持たせない分類をしているが助動詞の過去形の用法→助動詞+完了形を十分に扱ってから指導するようにシラバスを組んでいます。
私自身が高校1年生のときに長崎玄弥氏の本で行った練習方法を高2の生徒相手に再現しています。
教材にありがちな、

  • I wish I knew her address.

の文で願望や妄想を確認し
で、「そのココロは?」と自問して、

  • Then, I could send her a gift on her birthday.

とでもいうような、オチをつける所から。

願望や妄想はいろいろあるだろうから、それを日本語でいいから20個くらい吐き出して、I wish に続けて、それに対応したThen, ....の結びも、日本語でいいから書き出して見る。まずは、タイプ2から。

と指示して、個人で吐き出し→少人数でのシェアリングへという流れで。
この作業を観察して分かるのは、母語である日本語で考え、書き出しているのに、タイプ2ではなくタイプ3の内容を願望・妄想し、結びに四苦八苦している者がいることです。
「高所恐怖症じゃなかったらなぁ…」と「あのハンドがなかったらなぁ…」の「なかったらなぁ」の違いに無自覚ということでもあります。

こういうことを言うと、「だから日本語を介在させないで『英語は英語で』!」というXXXな人もいるかもしれませんが、そもそも、その英文を見聞きしたり口にしたり書いたりしている者の頭の中、心の中に、本当に「そういう意味」がある保証は?という「?」が教える者の側にあることこそが大事だという話をしているんですよ。
指導手順としては、

  • I wish [A=タイプ2]. Then, [B=タイプ2]. の日本語版20セットが出来たら、その中から1つでも、2つでも、英語でも言えそうとか、言いたいというものを選んで英語にする。
  • 次に、そのA, B を、If A, B.の型に移し替え、所謂「仮定法過去」の文例にする。

というのが長崎氏の教えの私流味付けです。これで、だいたいの生徒が「発想」に馴染んで、では英語という「言語」の問題へ、と順調に進めていたのは数年前まで。最近は、なかなかうまく行きません。白板に各自のベスト願望・妄想のセットを日本語のまま転記させると先程のAとBを全く逆に書く者が出てきます。
また、当然、タイプ3では、過去の出来事や行為の「やってまった」後悔、または、できなかった、しなかったことの卓袱台返しを扱うのですが、タイプ2の例を日本語で考える段階で、それがタイプ2ではなくタイプ3だ、ということが分からないものも出てきます。
自分の願望・妄想ランキングの上位というかワースト例は、できれば人に言いたくないなぁ、とは思っても、20セットも作れば一つくらいは他人に言えるものが残るものです。そもそも、教科書や市販の教材、模試での出題例などで扱われる例文の無味乾燥さ、リアリティのなさ(単元が「仮定法」ということを抜きにしてもの話です)を克服し、英語の世界を「生き直す」ことを狙いとして始めた活動・作業ですが、総じて、当たり障りのない、「…ならなぁ」が白版に並ぶことになると、「今、リセットしてやり直せたらなぁ」とか「…嗚呼、こんな課題与えるんじゃなかった」ということになってしまいます。

これは本当に英語以前&興味関心以前の問題で、「どうすりゃいいぜ」案件です。

ちなみに、「仮定法」の導入に際して、ピックアップした例文は、

  • If I were you, I would ….

ですが、これをFree substitutionのドリルにしていました。

このときにも、市販教材にありがちな、

  • If I were you, I wouldn’t do such a thing.

などという用例で「そんなことって、どんなこと?」という問いからスタートです。

道路交通法で示されている、自転車の運転に関する「違反」をプリントアウトしたものを見せたり、国会で話題の公文書の改竄や、国会での虚偽答弁などを取り上げ、「日本語」でなら想起できる、実感できるものを取り上げています。

それにしても、日本のものに限らず、重要例文、基本例文として用いる語句として、”such a thing” などを入れても平気な神経が私には理解しがたいです。少なくとも、その前の一文が場面や対人関係をより明らかにし、意味を一定の枠に収めるような配慮がなければダメでしょう。教材作成者や編集者には猛省を促したいと思います。

高3では、折りに触れ「覚えるべきことは覚えなければダメですよ」と言っています。
いくら、四角化ドリルやP単のフレーズなど、チャンクごとに「プレハブ」を作って仕込んでも、それを組み立てる基準となる設計図や現場監督は必要となるもの。でも、そこは気にしないで、自分の慣れ親しんだ味だけつまみ食いしてきて学年が進むと悲劇しかないです。いや、ホントに笑えないですから。

15年程前の中学校の検定教科書数社から選んで編んだ『ぜったい音読』(講談社)を高1の再入門教材として、意味順英作文をテキストとし、私の授業の定番でもある「名詞は四角化で視覚化」のドリルと助動詞の番付表というメニューをもってしても救えない段階まできてしまったなぁ、という今日此の頃です。
語彙にしろ、文法にしろ、用法にしろ、「もの」として保持しようとしたり、貯めようとしたりするから、肝心な「こと」が逃げていくんだと思います。
光岡導師のおっしゃることと重なります。次のリンク先のスレッドを最後までお読み下さい。

心にせよ、身体にせよ、それは“こと”であり「もの」ではない。
https://twitter.com/McLaird44/status/1009276125229432832

本日はこの辺で。

本日のBGM: Destiny (松任谷由実)

やりとりとはなばかりでとられぞん?

「高大接続改革」とは名ばかりで、民間業者への利益誘導ありきではないのか、というほどグダグダの「英語外部試験(=民間英語試験)」利用の問題も、問題山積のまま時間が過ぎて行きます。

会場確保の見通しなど現段階で各試験実施母体・業者から、具体的に何も明らかにされていないのに、早晩、高等学校への「アンケート」とかが送られてきますよ。「貴校ではどの試験を利用する受験生が多いと思いますか?」ならまだいいですけど、「どの試験に向けて準備を進めていますか?」とかになったら利益誘導でしょうにね。いや、「お上」からのアンケートの話ですよ。英語科の先生方が検討する、というものではなく、「都道府県市町村の教育委員会」を通じて「所属長」から「進路指導部」などというところに送られてきて、1週間くらいで回答せよ、みたいな。職員会議に諮られるような時間的余裕はないのではないかと危惧しています。そして、その結果をもって「受験生の不利益を生じないように」などという「通達」がまた「お上」から。こんな「やりとり」で2020年度から実施なんかして大丈夫なんですかね?

中国地区では、広島大学が2020年度からの「民間英語試験」利用に関して次のように発表しました。

https://www.hiroshima-u.ac.jp/system/files/99092/%E5%B9%B3%E6%88%9033%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%80%85%E9%81%B8%E6%8A%9C%E3%81%AE%E8%A6%8B%E7%9B%B4%E3%81%97%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E4%BA%88%E5%91%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf

具体的な記述で注目すべきはここ。

(2) 英語科目の取り扱いについては、大学入学共通テストの枠組みにおける5教科7科目の位置づけとしての英語認定試験を「一般選抜」の全受験生に課すとともに、平成35年度に実施する平成36年度入学者選抜までは、大学入試センターの新テストにおいて実施される英語試験を併せて課す。
(3) 英語認定試験結果の活用については、本学が定める要件をすべて満たした場合、本学を受験する年度の新テストの外国語(英語)の得点を満点と見なす。

中国新聞での報道はこちら。

基準クリアで英語は満点扱い 広島大、共通テストの民間試験活用で方針
https://this.kiji.is/371939476702053473

スコアは直接、合否判定に影響しない。「みなし満点」の判断にのみ用いる。基準は、複数の試験のスコアを比較できる語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」の「B2」以上となる見込み。現行の英検では準1級以上に相当するレベルだ。

 広島大は「読む、聞く、話す、書く―の4技能を問う民間試験を全学部の受験生に課すことで、グローバル人材の育成を目指す本学の姿勢や、求める学生像を示した」と説明する。

 共通テストで受験生は、大学入試センターに認定された民間試験8種類のいずれかを各自で受検し、スコアを志望校に提出する仕組み。どの試験のスコアを活用するかは各大学の判断に委ねられており、広島大は全てを対象にするとした。

「無茶苦茶だな」というのが正直な感想です。

因に、広島大学の現在の入試での英語外部検定試験の「活用」はこうなっています。

英語外部検定試験の一般入試等での活用について
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/38253

これって、「活用」を希望する受験生にだけ当てはまるから、成り立っているんですよ。

今回、広島大学が発表した「予告」に従えば、「一般選抜」の志願者はみな、高額の「外部試験」の受験を義務づけられ、しかも、CEFR換算でB2レベルに満たなかったものは、「外部試験」のスコアやランクは合否に全く影響しないわけです。共通テストの英語の点数のみで評価されるということなら、そもそも外部試験受験の必要がない者が殆どではないでしょうか?

スーパーグローバルを謳う総合大学だから「高度な英語力を求める」というのも短絡的な発想だという印象がぬぐえませんが、「総合大学」だからこそ、慎重にハードルの設定をするべきでしょう。全志願者のうちどのくらいの割合が「B2」レベル以上の英語力を備えているでしょうか?確かに、高度な英語力を備え、それが「強み」となるものもいるでしょう。でも、皆が皆、そうではないし、そうである必要はない。入学選抜における「合否」は5教科7科目のテストと個別入試で決められているわけですから。

外部試験の「利用の仕方」は、各大学に任されているから、この「みなし満点」のみでの入試利用を広島大学が独自に採用する、というのであれば、みなし満点での合否判定を希望する受験生だけに外部試験の受験を求める、裏返せば「B2以上のスコアを持つ者だけ、みなし満点出願」の入り口を作れば済むことでしょう?名称は「きらきら入試」でも何でもいいですよ。何故、合否に影響せず「外部試験」の受験料が無駄になる志願者にも一律に外部試験の受験を課すのでしょうか?むざむざ、業者に受験料を流すだけではありませんか。
文科省、DNC、国大協からのガイドラインの段階で問題山積で「高校現場」の混乱必至なのに、この広島大学のように「使い方」が個々の大学で異なるのであれば、民間の「外部試験を使わない」というオプションを保証しないと!

「東京五輪」という以外に何の意味もない、「2020年」という期限を無しにして、2024年の新課程完成年度の卒業生に合わせて、大学入試センターが責任を持ってライティングとスピーキングのオプションを作り、大学が四技能のどれを使うか選択できるようにすれば十分だと思います。民間の試験は、AOや推薦で活用するという今のままでいいでしょう。

そして、2024年を待たずに、「新学習指導要領」の「英語」に関わる、小学校から高等学校までの中身の精査をきちんとすることが重要です。

「シン・ガクシューシドーヨーリョー」と呼びたくなる新課程では、「アクティブラーニング」という用語こそ消えましたが、「伝えあい」や「やりとり」などが前面に出てきて、英語では「即興性」の高い活動がよい活動とされる空気が出てきました。
教科書を読んでも分からず、教師の話を聞いても分からないのに、生徒同士では分かるのか?という疑問が募ります。

「やりとり」では言葉を交わすわけですよ。「意味」とか「話者の意図」とか「お互いの前提」とか「双方の利害とゴール」とかいろいろ絡んでくるわけです。

公立高校入試レベルでの私の危惧はこちらで表明していました。

毎年「ライティング」系の出題に注目している埼玉県の公立高校入試問題ですが、今年はリスニングで「⁈」となりました。
https://twitter.com/tmrowing/status/969317219518697472

センター試験「リスニング」での “xenophobia“の扱いに関しての疑義・違和感の表明はこちらのツイートで。

https://twitter.com/tmrowing/status/972937098587119616

この元になったブログ記事は

What’s the story?
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20160131

「新指導要領」の英語の「聞くこと」「読むこと」では、「必要な情報を聞き取り、話し手の意図が把握できる」「概要や要点を目的に応じて捉えることができる」とあるのですが、「聞くこと」で要点を捉え損なった者は、同じ原稿を「読むこと」で、どこが重要な情報とそうでない情報の分岐点かを確認する必要があるでしょう。

それでいて、「話すこと」の「やりとり」では、「情報や考え、気持ちなどを伝えあうやりとりを続けることができるようにする」という努力目標では飽き足らず、「読んだり聞いたりしたことを基に、〔中略〕論理性に注意して伝えあうことができるようにする」という、大それた努力目標まで掲げているのです。

教科書や教材でプロが書いたものを読んでもよく分かっていないのに、そこで「読んだことを基に」何を伝えあうというのでしょうか?まずは、「論理性に注意して、事実と意見を区別して整理、理解する」というような下位技能をこそ広く求めるべきだろうと思います。そこが担保されていない教室で、いったい何をお互いに伝えあう?

では、「プロが書いたもの」ならAさんは的確に理解できたとしましょう。では、そこから、「論理性に注意して」Aさんが伝えたものが、Bさんには伝わらなかったとしたら、教室ではどうするのでしょうか?

1. Aさんの「伝え方」に問題があった。
2. Bさんの「聞き方」に問題があった。

夫々、次にどうする?
1. Aさんの「伝え方」改善には、伝えるという気持ちを高めれば解決?否。まず理解には問題がない前提で、その理解の伝達における、情報の再構築とその言語化を分析できる「他者」が必要になります。その「他者」はA,B以外の生徒、たとえばCさんで適任ですか?本当に35人学級で、他の33人に適任者がいる保証は?

2. Bさんの「聞き方」不全の解決は更に厄介です。まずBさんの「教材」の理解が的確か、から始めないといけないから。その上で、Aさんの「話し方」が適切であるか否か?適切でなければ、Aさんが、前述の 1. の課題を解決した後で再度、やり直しとなる。そんなまどろっこしい営みを教室は許容できるのでしょうか?

更に悩ましいのは、先程の、2からの流れで、Aさんの伝え方が適切だった、とした場合。Bさんは、Aさんの話の何をどのように聞いて「敢えて、間違った道を辿り、間違ったゴールへと進んだのか?」または「ゴールを見失い、先へと進めなくなったのか?」を明らかにすることはかなり難しいと思います。

この最後の課題を、同じ教室で「即興」で解決することは至難の業。「いや、実はこういうことが言いたかったんだけど、うまく英語で言えなかったんだ」という生徒の中にある意味とのすり合わせとギャップを埋め合わせるフィードバックは誰が与えるのか?それって、母語を排除してできるの?

その昔、大村はま氏は、「三十五人の三十五の書きだし」といって、教室での表現活動に教室でのリアルな読者を設定し、一人一人が異なる作文を書き発表する活動をされていました。英語でのやり取りが「35 人の最大公約数のtext〔テクスト;ことば〕」になるときに、どうやってその公約数を大きくできるか?これって、高校にスタディサプリとかクラッシィとか入れたって解決しないと思いますよ。

ということで、約20年前に、高校3年生の授業で「英語による生徒同士のマイクロティーチング」を、10年程前に、「ディスカッションとサマリー」の授業を通過させてきた古い世代の英語教師の一人として、今以上に「英語を使ってやり取りをしている雰囲気」だけが教室に充満しないことを願っています。

本日のBGM: Suspicious Mind (Carnation)

群れるな、連なれ、今

高大接続での英語の「外部試験」利用に関する問題について、中国新聞に情報提供してきました。先月も新聞各社に投書をしていますが、どれも採用されていません。中国新聞にも駄目元で送っています。中国新聞に送ったものに加筆修正して、こちらに私の問題提起、個人的な意見を載せておきます。各種メディアの方々はこちらをお読みになって、もう少し報道のあり方を考えていただきたく思います。


2020年度から導入されるという大学入試での「民間試験」の活用に関して、問題が山積にも関わらず、それが広く周知されていないがために、一般市民どころか、当該の受験生や学校現場でも問題の深刻さに気付かないまま事態が進んでいることに大きな危惧を覚えるものです。

中国新聞は東大の阿部先生のインタビューを掲載するなど問題意識の高いことを知り、こうして情報を発した次第。頻りに「2020年に改革を」と期限が叫ばれているような印象を受けますが、今回の「民間試験の導入」は、次期学習指導要領の改訂 実施のタイミングとは全く連動しておらず、単なる「東京五輪」への便乗でしかありません。「民間業者」への利益誘導ありきのような「改革」には頷くことは出来ません。

文科省(そして大学入試センター(DNC))の「認定」では、複数の異なる試験団体の試験が認められていますが、その試験会場は全ての受験生に公平に開かれてはいません。現行のセンター試験では、出願締め切りまでに申し込めば、全ての受験生が必ず(どこかの会場で)受験することが可能です。これに対して、民間の英語の試験では必ずしもそうはならないのです。

認定された試験は確かに多いのです、

英検 / TEAP / TEAP CBT
GTEC / GTEC CBT
TOEFL iBT
TOEIC
ケンブリッジ英検
IELTS

では、この選択肢の中である受験生が希望しさえすれば、その試験が年2回受験できる保証はあるのでしょうか?
甚だ疑問である、としか考えられません。

例えば、英検ではTEAPという4技能型の試験を実施していますが、このTEAPの会場は中国5県全体で広島に一ヶ所のみしか設けられていません。

英検に問い合わせたところ、次のような回答を得ました。

TEAP運営事務局です。
さて、TEAPの受験会場について、以下より回答させていただきます。

1. 中国地区でどの都市に何ヶ所試験会場があるのか?
2017年度は広島1会場のみで、2018年度も引き続き広島のみでの実施を予定しております。
また、四国地区になりますが、2018年度は新規で香川県での実施も予定しております。

2. 九州地区でどの都市に何ヶ所試験会場があるのか?
2017年度は福岡1会場(博多)のみで、2018年度は福岡(博多)、熊本(市内)にてそれぞれ1会場での実施を予定しております。

試験会場については、以下のウェブサイトからもご覧いただけます。

その他でもご不明な点がございましたら、お気軽にお申し付けください。
何卒よろしくお願いいたします。

なんともありがたい情報です。
平成30年度のセンター試験の志願者は広島県だけで約1万5千人。私の住む山口県に は試験会場はありませんから、広島に受験に行くとすれば、約5千人が加わります。年2回受験可能として、二県だけで2万人X 2という計算での延べ4万人規模の受験生を英検のTEAPではどのくらい「受け入れる」予定なのでしょうか?
岡山、島根、鳥取の他県を合わせたら、中国5県全体では、どのくらいの受験生規模になると文科省では想定し、外部試験の認定が行われているのでしょうか?「山口はあんなにたくさんの新幹線の駅があるのだから、広島じゃなく、福岡・博多に行けばいいじゃないか」と言う人がいるかもしれません。福岡県単独でのセンター試験志願者は約2万5千人。広島よりもさらに1万人多いのです。しかも、TEAPの試験会場は、九州全域で博多一ヶ所だけなのです。これだけの受験生規模を、一ヶ所の試験会場でどう捌くおつもりなのでしょうか?

従来の英検は中学高校の会場を「準会場」として、教員の監督によって実施しており、さらに、1次試験の合格者のみ、面接でスピーキングの試験をしているこということが判断材料となってか、「落選」という報道に注目が集まっていました。しかし、この英検も新たに「公開会場」での4技能試験として認定されています。これまでに実施した実績がないにも関わらずです。「公開会場」といえば聞こえはいいのですが、試験会場はどう確保する算段なのでしょう?

会場として、高等学校の校舎を使わずに先程示した受験生規模に対応できるのでしょうか?試験監督は高校の教員を使わずに賄えるのでしょうか?試験監督を英検から派遣するとなった場合に、英検の職員で人数は足りるのでしょうか?見通しは暗いと思います。

では、万が一、高校が会場として認められるような場合に、自分の通う高校が会場となる生徒と他校の生徒で有利・不利は生じないのでしょうか?

この問題は、英検だけでなく、ベネッセのGTECでも同じことです。GTECは4技能対応の試験であれ、これまでに「公開会場」での実施実績はありません。全て、高校が団体申し込みをして、高校を試験会場として、高校の教員が監督をして行われてきました。年間数十万人という受験実績はこのようにして積み重ねられているのです。2020年までに、全ての都道府県で試験会場を設けることを条件として認定されていますが、具体的に何処が会場となるのか、どの程度の収容規模なのかは、現時点で全く不明です。

「大学入試英語成績提供システム参加要件」なるものが、大学入試センターの理事長裁定で2017年の11月1日付けで出ているが、有名無実も甚だしい。
http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00011205.pdf&n=1_

6. 毎 年 度 4 月 か ら 1 2 月 ま で の 間 に 複 数 回 の 試 験 を 実 施 す る こ と 。
当 該 複 数 回 の 試 験 は 、 原 則 と し て 、 毎 年 度 全 都 道 府 県 で 実 施 す る こ と 。た だ し 、 当 分 の 間 、 受 検 希 望 者 が 著 し く 少 な い 地 域 で は 、 近 隣 の 複 数 県 を 併 せた 地 域 で 合 同 実 施 す る こ と が で き る 。こ の 場 合 で あ っ て も 、全 国 各 地 の 計 1 0 か 所以 上 で 複 数 回 の 試 験 を 実 施 し て い る こ と を 要 す る も の と す る 。そ の 試 験 に 申 し 込 ん だ 受 検 希 望 者 の 受 検 機 会 の 確 保 に 努 め る こ と 。

常識的に考えて、受験生そのものが少ない地域は受験希望者が少なくなるに決まっています。その場合には隣県での合同実施でよい、などと認めていたら、地方在住者は居住都道府県で受験出来る試験の選択肢がないままじゃないですか。

さらには、「受験生となる高校生をその高校の教師が監督をしたり採点をしたりしてはいけない」というような限りなくグレーな文言もあります。

9. 試 験 監 督 及 び 採 点 の 公 平 性 ・ 公 正 性 を 確 保 す る た め の 方 策 を 公 表 し て い る こ と 。
そ の 際 、 次 の ( 1 ) 及 び ( 2 ) の 要 件 を 満 た し て い る こ と 。
(1) 会 場 ご と の 実 施 責 任 者 及 び 各 室 ご と の 試 験 監 督 責 任 者 が 、 受 検 生 の 所属 高 等 学 校 等 の 教 職 員 で な い こ と 。そ れ 以 外 の 試 験 の 実 施 に 協 力 す る 者 と し て は 、 同 教 職 員 の 参 画 を 認 める が 、 こ の 場 合 に は 研 修 の 受 講 や 誓 約 書 の 提 出 を 課 す こ と 。
(2) 受 検 生 の 所 属 高 等 学 校 等 の 教 職 員 が 採 点 に 関 わ ら な い こ と 。

驚きです。これって、高等学校を試験会場として想定し、試験監督さらには採点者まで高校の教員を想定しているということですよね?

現行の「センター試験」でも、高等学校を試験会場で使用しているところが、全国で五十数校あると思いますが、その年一回実施のセンター試験でさえセキュリティー管理にどれだけ腐心しているか。それを年複数回行えますか?当該高校の教育活動にいったい年間延べ何日の制約を課すつもりなのでしょうか?

受験機会の公平性を担保する、などという「お題目」で、高等学校を会場として「公開」を謳った試験の実施を認めなさい、というような運用になっていくのではないかと危惧しています。例えば、大規模のA高校の試験会場はA高校の教員が監督でB、C高校の生徒が受験。B高校会場では、B高校の教員が監督し、A高校の生徒を受け入れ、過年度生とともに受験のように。高等学校の教員が監督をする試験を、「大学入試」として認めて本当にいいのですか?模擬試験の監督じゃないんですよ!
さらに、その「採点」で他校とは言え高校教員が関わるなど、言語道断でしょう?誓約書を書けばいいってものではありません。

大都市圏には、試験そのもので複数の選択肢が与えられているのに対して、地方ではその選択肢自体が限られ、さらに地方の中でも居住地&受験地によって、その格差が拡大するという状況を詳しく調査し、報道していただきたいと思います。さらには、「大学入試」という大きな意味を持つ試験で、その監督や採点に高校教員が関わりを持つ、ということの是非を広く問うて、問題意識を喚起し、国民的な合意形成に資する報道を、是非ともお願いします。

「問題山積です」というだけなら私でも言えますから。


本日のBGM: Gypsy (Suzanne Vega @ Solitude Standing Live 2012)

Modality bites.

桜は散りましたが、緑葉も映え始め、夕方の陽も随分と長くなりました。
本来なら「ウキウキ」していていいはずの季節ですが、SNSにしろ旧来のメディアにしろ、ニュースを見るたびに憂鬱になります。
この土曜日には数万人規模で市民が集まり、国会議事堂周辺〜首相官邸へとデモが行われたとのこと。「モリ&カケでの公文書改竄と隠蔽」「自衛隊〜防衛省での日報の隠蔽」「厚労省〜東京労働局での裁量労働制の違法適用に関する特別指導」などなど、タガが外れ、底が抜けたこの国のありように対しての正当な異議申し立てであり意見の表明だと思っています。

その一方で、

  • 英語の「外部試験」を取り巻く喧伝&喧騒。
  • 「小学校英語」の教科化と前倒しを睨んだ「先行実施」なる取り組み。

などを眺めるたびに、移行措置の「措置のされ具合」を一般市民は理解しているのだろうか、と危惧は募ります。

本来は、新課程への移行措置や先行実施も見据えた、小中、中高、高大の接続を「改善」していくことが最優先のはず。


学年進行.png 直

教育って、この「12年間」くらいの長期的なスパンで見て、取り組んでかろうじて「成果」の検証ができるかも?というくらいの緩慢な営みなんです。
小学校新学習指導要領に基づく教育課程の正式開始は2020年度。その児童が6年間の新たな教育課程を修めて中学校に上がるのが2026年度。その生徒たちが中学を卒業するのが2029年。高校にそのまま進んだとして、卒業するのは2032年ですよ。それよりも前に、「学習指導要領」の何をどう検証評価するというのか?

2006年度生まれの児童は今年度は小6。この児童は中学校に進んで、中3の時に、いきなり新課程の全面実施にさらされるわけです。中1、中2は移行措置があるとは言え、現行の学習指導要領に基づく教育課程と教科書で学んでいて、中3のたった一年間だけ新課程での授業。それでも、高校に上がれば新課程1期生として扱われます。どのような移行措置を経てきたか、出身の中学校によって学力のプロファイルはバラバラのまま。

この問題は戦後ずっと続いています。「移行措置」と簡単にいうけれど、公教育の教育課程や教材よりも、塾や予備校での教材や指導に重きを置いて「勉強している」人以外は、公教育段階の同じ授業時数で今までよりも豊かな学びを保証されることは稀でしょう。スムーズな接続ができていない学習内容のそこかしこに「穴」ができたまま上級学年上級学校へと進んでいるのです。

2008年度生まれの人からは、中学校は3年間新課程で学べるでしょ⁉という人は、2008年度生まれの子が小学校の新課程で学ぶのは小6だけで中学校に進む、という事実をあえて見ないようにしているのでしょうか?小1〜小5までの5年度分の「ズレ」は、どのように埋め合わせや修正するというのでしょうか?

それに加えて、「小学校英語」の教科化と外国語活動前倒しの見切り発車が関わってきます。変数があまりに多く、学校単位での、また個々の教師での対応は困難でしょう。文化資本&経済力が高い家庭のお子さんがいつも入学してく(れ)る所謂「進学校」の高等学校はまだマシで、公立の小学校、中学校、中堅以下(嫌な言い方ですが)の高校は混乱必至です。

そして、学習指導要領と無関係になし崩しで導入されるかのような、英語の「外部試験」と「新共通テストの記述問題」。
英米で作られた外部試験は学習指導要領を踏まえて作成されていません。そして、新たに示された高等学校(その前の中学校、小学校も含めて)学習指導要領の外国語・英語の記述中のどこにもCEFRとの対応など書いてありません。そりゃそうですよ、日本は欧州じゃないのだから。当然、CEFRが日本の教育課程や学習指導要領を意識したり、参照したり、取り込んだりなどということもありません。つまり、「新学習指導要領」に基づいて組まれる「新課程」の出口でさえ、CEFRとの対応など望むべくもないのです。

そもそもの話に戻して恐縮ですが、2020年度から導入されようとしている「外部試験」を受ける受験生は現行の指導要領で学んできた高校生だということを忘れていませんか?

2019年度の受験生も2020年度の受験生も同じ学習指導要領の下で、同じ教育課程で学んできたのに、何を法的な根拠にして、異なる選別方法を課され、しかも更なる課金までされなければならないのか?理不尽です。

来るべき、「外部試験」導入に備えて、全国数万の英語教師が各種業者の英語試験を受けるようになったら、それこそ特需の助長。でも、そのうち、英語教育における「ほけんの窓口」みたいな仕事ができるのでしょう。商品を売らないのになぜ儲かるのか不思議なのですが、あの相談員たちが全ての保険に加入しているはずがないでしょう?実受験体験を誇るようなマウンティング合戦は不毛です。

こちらの呟きに貼った画像でもお楽しみ下さい。

高校教員しながら受験指導するより、学校の外から受験指南した方が得な時代が来る?高2までにたくさん受けられる人が有利だから、その相談に乗ってあげる?でも高2で受けて本番の参考になるスコアって出る?CEFRの6段階といいつつ各段階の境目は1点刻みのスコアになってる試験が殆どでは?善意の舗装?
https://twitter.com/tmrowing/status/982815155099648000


大学進学希望者以外も根こそぎ抱え込もうというかのような、「学びの基礎診断」まで始まろうとしています。この「基礎診断」って、単位認定とか卒業認定を左右するような法的な根拠がありますか?もし、法的な根拠を持たせるとしたら、民間に丸投げで許されますか?「賛成も反対も試験を受験してから物を言え」などという論は、この試験には全く当てはまりません。システムとしてまだ始まってもいないのだから。

有識者は一体誰の顔を見てシタリガオをしているのでしょうか?
業者は試験作って、採点して儲かれば美味しいだろうけど、現場は複線で複雑な対応を迫られるだけ。現場の「中身」が痩せ細っていけば、システムは早晩に立ち行かなくなることを想定しているのかな?

先日、私の勤務する高校の進路指導部からアナウンスがあって、いよいよ来たか、と思っているのですが、従来の「調査書」の内容が様変わりすることに合わせて、e-ポートフォリオなるシステムを高校現場に取り入れようという動きも出てきました。

入学前には「進研ゼミ」。入学後は「クラッシー」で学習内容を押さえ、ビッグデータを入手。「e-ポートフォリオ」で、学習成績から高校での様々な活動内容、実績や評価、資格を記録・蓄積し、出口では「学びの基礎診断」や「外部試験」を受験。

何も、ベネッセに限らず、リクルートでも同じこと。

生徒一人一人にタブレット端末、コンテンツには各種外部試験対策教材。授業は「外の人」の映像配信。家庭学習での記録などを全てビッグデータとして集約管理。可視化しやすい行動様式が項目として立てられ、全国的に「つまみ出す」「掬いあげる」ことのできる情報が「有益な」指導&学習法としてまた現場へ…。「高校教員なんかもういらないじゃない!」

という現実がどんどん広がっていくのでしょう。

どんなに素晴らしいプラットフォームを構築整備しようとも、コンテンツがお粗末では何も生まれません。そんなことは分かり切っているはずなのに、「分かったつもり」にさせてくれる情報を雛鳥の口に運んでくれるような「商品」が持て囃されるようになる。暗澹たる気持ちになります。

先日、ベネッセと朝日新聞の共同で「保護者の教育に対する意識調査」が報告されていました。
こちらに一部分だけ、引いておきます。

4-1 教育改革や大学入試改革の認知
4-2 英語教育改革の認知
4-3 現在の教育改革への賛否
4-4 今後の教育改革への賛否
https://berd.benesse.jp/up_images/textarea/Hogosya_2018_06.pdf

ここまでくると「調査」ではなくて世論誘導。ベ社はまだしも、朝日新聞はこれ迄に何を報道してきた?
「大学入学共通テスト」に変わることをどれくらい知っているか?に対して変更を知らない&内容を知らないで8割近いのに、今進められている教育改革にはおおむね賛成って…。
ベネッセやナガセ、リクルートなどの「揺篭から墓場まで」系の企業体に情報を握らせることに対する危機感をこそ世論調査するべきだと思うのだけれど、そういった調査を実行し分析ができるだけの基礎体力を持つ独立した機関やメディア体がなくなったということなんだろうな。

この調査では、「格差容認6割」の部分に世間の注目が集まっていたかと思うのですが、その「格差容認」に関して、名城大学の藤原先生が面白い「追試」をしていました。面白いけど、笑えません。

「学校教育に対する保護者の意識調査」(2018)の「教育格差「当然」「やむをえない」6割超」の結果には注意が必要です。
https://twitter.com/yasuhiro008/status/984998480866295809

来週の保護者会では何を話しましょうかね…。

本日のBGM: My Ever Changing Moods (The Style Council)

shadow boxing

新年度もスタートしました。

  • 高等学校の新学習指導要領(案)に対するパブリックコメントの結果の発表
  • 高等学校の新学習指導要領の公示
  • センター試験に代わる新共通テストと併用されるらしい「外部試験」の認定
  • 国大協からの指針表明

など、高校現場に関わることだけでも問題山積のままのスタートです。
小学校英語関連の「移行措置」「先行実施」は大丈夫なのでしょうか?

私は私で、自分に「できることだけを続けていくだけ」(inspired by Motoharu Sano) なんですけど。
取り急ぎ、「外部試験」関連では新聞への投書はしてみました。いまのところ掲載はされていない模様。
私自身がこれから大学を受験しようというときに、英語だけこんな無駄に金を払う不公平なシステムに、プロセスも不透明なまま変更されたら、異を唱え抗議すると思うんですよね。なぜ、いつもいつもいつも、上の方で「誰か」が決めた、「誰得?」な制度変更に、振り回されなければならないのか。意思決定にどう関わって影響を及ぼせるのか見通しが立たなくて、振り上げた拳の行き場に困るでしょうけど。


その他にできること、といえば「英語ということばはどんなことばなのか」を教えること。
新年度の新入生を想定して過去ログでも言及したことのある「名詞の三分類」を見直していました。

大事なところだけ過去ログから再掲。

• 大まかな「名詞の三分類」は「ヒト」、「モノ」、「コト (ガラ)」。
• 「モノ」は「いきもの」と「そうじゃないもの」とに分けられて、「ヒト」と「いきもの」には、原則「性別」がある。
• 「ヒト」は勿論、「モノ」の中には「数」を決めないと四角になる資格がないものがあるので注意が必要。
• 「モノ」と「コト」の境界線は意外に曖昧。
という話し。

四角化ドリルのなかには、所謂「物質名詞」などの「不可算」名詞を散らかしてありますが、進学クラスの生徒には、毎年のように、こう説いています。
英語には「数えられない名詞」があるから注意、なんていう人がいます。ここでいうと、moneyとかですね。でも、日本語でも「お金」は数え ません。1円でも1万円でも「お金」は「お金」。(?) 「金金」とか (?) 「がね」とか、語そのものの形態が変わることはないでしょ?強いて数えているとすれば「額」であり「円」。それでも、その「円」という単位を表す名詞さ え、日本語では「複数形」にはならない。そうですね。日本語の名詞は原則「複数形」がないのだから、むしろ、英語のそういうタイプの名詞は、日本語の感覚に近い、あなたたちにしてみれば得意技にできる名詞。それよりもなによりも、英語で日常当たり前に出てくる、「複数形」に変わることがある、「数えること がデフォルト」な名詞にこそ、日本語との大きな違いがあるのだから、来る日も来る日も来る日も来る日も…、四角化で視覚化を続けていき、ある日、鉛筆で四角を書かなくても、名詞を普通に扱える日がくるのだと思って下さい。
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20130423


日本語の名詞に原則複数形がない、というのは「原則」という言い方に優しい嘘を含んでいますけど、 一見「複数」の意味と対応している「名詞」の殆どが、 不特定多数;諸 を表わすものである、というような意味合いで言っています。 日国から。

神神

人人

木木

日日


実際に具体的に数に言及している場合でも、強調のために何かの数で代表している場合でも、その名詞が複数形にはならないというのが基本です。

これまた日国より。

二人三脚

五臓六腑

十人十色

千差万別

正確に言うのはかなり大変ですが、「名詞の複数形は存在しない」というよりは、「数の概念は、名詞そのものに数を表す形態素を持たせることでは示さない」とでもなるのでしょうか。日本語では単位を表す数量詞にも複数形がありませんが、だからといって数の概念がいい加減ということではありません。

この辺りまでを眺めておいてもらうと、私の一連の「呟き」も楽しめるかと。

https://twitter.com/tmrowing/status/980687678298456064

本日のBGM: サゥザンド・ナイツ〔原田真二)