This can wait.

tmrowing2011-01-02

2011年の始まりを慶びたいと思います。
今年は本業の山口国体。
心身共に良い状態で迎え、送ることができればと。
妻が麩以外のおせちを手作りで準備してくれたので、気持ちよく新年の食卓を囲むことができました。氷頭なますには感激。本当に有り難うございます。私に日本酒の奥深さを教えてくれた、花園神社隣の今は亡き地酒の店のマスターに想いを馳せて、八海山の赤越後を合わせてみました。

旧年最後の読書は、

  • 伊藤一彦、堺雅人 『ぼく、牧水---歌人に学ぶ「まろび」の美学』 (角川Oneテーマ21、2010年)。

これは、英語授業工房で取り上げられて早速購入して一気に読んだ。著者二人の師弟関係を羨ましく思った。今、高校とはいえ、このような濃密な師弟関係を体現できる学校現場は希有だろう。
新年最初の読書も新書。かなり前に購入していたが、そのときから新年第一冊はこれと決めてとっておいた、

  • 鶴見俊輔 『思い出袋』 (岩波新書、2010年)

反芻すべきと感じた言葉を抜き出しておく。

  • 小学校から中学校へと、自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一の正しい答えを念写する方法に習熟する人は、優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうあることを不思議とは思わない。 (p.6、「学校という階梯」)
  • 賢い者の移りゆく観察のつづりあわせとして現代日本史を書くのではなく、知恵遅れの天才児の、時代にふりまわされない心を通して、戦中・戦後の現代日本史を、小沢信男は描いた。(pp.25-26、「その声がとどく」)
  • 自分で定義をするとき、その定義のとおりに言葉を使ってみて、不都合が生じたら直す。自分の定義でとらえられることができないとき、経験が定義のふちをあふれそうになる。あふれてもいいではないか。そのときの手ごたえ、そのはずみを得て、考えがのびてゆく。明治以降の日本の学問には、そういうところがあまりなかった。試験のための学習は、そういうはずみをつけない。ヨーロッパの学問の定義ではこういう、というのを受けて、その適用をこころみ、その定義にすっぽりはまる快感がはずみとなって学習がすすむ。すっぽりはまらないところに注目して、そこから考えてゆくというふうにはならない。(pp.36-37、「あふれでるもの」)
  • 明治の学校制度のはじまりから百三十年。欧米の先生の定義に合う実例をさがして書く答案がそのまま学問の進歩であるという信仰が、右左をこえて今も日本の知識人にはある。そこから離れた方向に、私たちはいつ出発できるのか。 (p.56、「はみだしについて」)
  • 高い位置に昇ったことのある人は、引退してからも話しが長い。結婚披露宴などに呼ばれて、話のまとまらない人は、高い位置に昇ったことのある人だ。(p.70、「知られない努力」)
  • ドーアの日本語はやわらかい初来日の彼に到着から数日後に会ったとき、彼は吉田松陰の話しをした。R.L.スティーブンソンが世界で最初に松陰の評伝を英語で書いたことからすれば不思議ではないが、そのとき、やわらかい日本語だったことが半世紀後も印象に残っている。おそらくそれは、彼が小樽高等商業学校の教授だったダニエルズとその夫人 (日本人) から、戦時の英国で日本語を伝授されたことからきている。/ふたたび池澤夏樹に戻ると、彼の日本語が自然科学の知識を駆使しながら、やわらかい印象を与えるのは、彼が立原道造についで定型押韻詩を日本語で実現した母親の原條あき子に、はじめに言葉を教わったからではないか。戦時中の閉ざされた国家の中の、閉ざされた結社の中で使われたマチネ・ポエティークの日本語が、半世紀間熟成されて、今日の日本に再び現れた。そう考えていいのではないか。 (p.105、「夢で出会う言葉」)
  • 夫 (=アルフレッド・クローバー) の死後、クローバー夫人シオドラは、夫の遺したノートに基づいて、生前会うことのなかった男イシについて伝記を書く。その娘、ル=グゥインは、イシの活躍する別世界をつくりだして、ファンタジー『ゲド戦記』を書いた。二人の息子は人類学者になり、イシについての考証に基づく著作を出した。(pp.124-125、「彼は足をふみだした」)
  • そのとき、こなしたほうの問題がなんだったか、一九三九年六月から六十八年たった今、きれいに忘れており、落とした問題だけが心に残っている。(p.141、「できなかった問題」)
  • ここには、自分を越える道だけでなく、自己を保つ道が語られている。私は、日本に八十五年暮らして、この国の知識人が学校を通ってくりかえし卒業してゆくことに不信感をもっている。ここに、高学歴にもかかわらず、たやすく卒業しない知識人を見つけて、勇気づけられる。(p. 152、「自分を保つ道」)
  • 師のエマスンが牢獄をたずねて、「そんなところにいて、はずかしくないのか」と言うと、ソローは、「あなたは、この外にいて、はずかしくないのか」と問い返したという。(p.203、「メキシコから米国を見る」)
  • 東郷とのつきあいは、長くとだえていた。それとちがって、つきあいがケネス・ヤングと私のあいだに続いたのは、日本社会では身分がつきあいの底にあり、それが避けられないということだ。アメリカ化した六十四年後の日本に、そのことが今もあるのは残念だ。アメリカ人とのあいだには、自分の身分を越えて、友人のつきあいはかわらない。それとも、米国内でも、つきあいのかたちは、もうかわっているのか。(p.224、「書き切れなかったこと」)

読了後、書棚にあった、『不逞老人』 (河出書房新社、2009年) を読み返した。私の持っている鶴見の本の多くは学級文庫に入れているので、次に出校した時にちょっと引き取って再読しようと思う。
正業関係で読んでいるのは、

  • 秋山敏、渡辺均二 他『英作文の実際的研究』 (開拓社、1973年)

本来は昭和40年代の学習者に向けて編まれた「自習書」なのだが、今では指導者向けの選書として読むのが適切であろう。この当時の開拓社は、『…実際的研究』をシリーズで出しているが、実物を見たことがない。

  • 『学習英語辞典』 (令文社、1962年)

これは、懐の深い学習辞書だと思う。英語教育史的にどのような位置づけになるのか、有識者に訊いてみたいと思っている。収録語数は約3万語。十大特色として、

  1. 科学的原理と実践記録の活用
  2. 学習本位
  3. 運用本位
  4. 語いの重要度の5段階の表示
  5. 語義の重要度11段階の表示
  6. 英和双解
  7. 念入りな解説
  8. 実用的な見出し語の配列
  9. 豊富な付録
  10. 無駄を省いた圧縮版

とある。
語い選定の基準は、

  • Interim Report on Vocabulary Selection---Carnegie Report (King & Co., 1936)
  • Thorndike-Barnhart: Junior Dictionary, (Scott, Foresman and Company, 1936)
  • Michael West: A General Service List of English Words (Longmans, 1957)
  • Thorndike-Lorge: The Teacher’s Word Book of 30,000 Words (Columbia Univ., 1960)

を重視していたと書かれている。語義の重要度を踏まえ、段階的な表示をした学習辞書というのは珍しいと思われる。特に、WestのGSLが出てから僅か数年でそれを学習辞書に取り込むというのは大変な苦労があったのではないかと推察される。今日のコーパスを活用した辞書編集でも、語義ごとの重要度をどのように反映させるか、というのは大きな課題であろうから、そういった視点からの再評価にも意味はあるように思う。帯というか表紙には、石橋幸太郎、梶木隆一、待鳥又喜、そして西脇順三郎の推薦の言葉がある。
この辞書の英名は、

  • Reibunsha’s English Dictionary for High School

この当時、高等学校の教壇に立っていた先輩たちの聞き書きなどが残っていたら、と思うのである。年末のriversonさんのブログで、サイドリーダーの訳者が稲村松雄先生だったことが書かれていたが、英語教育が大きく動いた戦後の60年くらいの間のこともどんどん忘れ去られていくようではいけない。その先哲先達の足跡を留め、その志を少しでも受け継いで行きたいと思う。
それにしても、駆け出しの頃お世話になったY先生は機会を見つけて、使用教材とGSLを確認されていたのを思い出すにつけ、その慧眼、卓見に脱帽するばかり。

日本語も英語も、もう、どれだけ多くの本を読んだかを他人と競ったり、自分に課したりする年齢ではないように思う。それよりも、読み流せない、聞き流せない言葉を、自分の中に住まわせるための読みを続けることに集中したい。 鶴見を読むととりわけそう感じる。
昨年末に読み返しの波が訪れたのは中野好夫だった。この新春に読み返す人としては、この他に、米原万里、荒川洋治、そして辺見庸が待っている。待たせるだけの自分でありますように。

本日の晩酌: 玉川・コウノトリラベル・生モト純米原酒・無濾過生 (京都府)
本日のBGM: I’ve been waiting (Matthew Sweet)