私は大学を卒業してすぐに公教育の現場に出て、それ以来30年以上、高等学校を中心に英語を教えてきました。その中でも、「ライティング」指導、評価が自分自身の専門分野だと自負しています。ライティング指導を続けてきて強く感じるのは、書けるためには読めなければならない、ということ、そして、ライティングでも、読解でも、「語義」の適切・的確な理解が、それらの技能を身に付ける上でも、技能を発揮するにしても生命線だということです。
「語義の把握」の部分がしっかりしていないと、たとえ文法的な誤りが見られない表現が「書けた」と思っても、その表現は実際には読み手に大きな負担をかけることになります。これは、表面的な「添削」を施しただけで解決する問題ではありません。その「読み手にとって負担が重いはずの表現」を、書いている本人は既に読んでいるのに、自分で自分の書いた表現の「重い」部分を重いとは気付けないのです。
にもかかわらず、高校段階の英語学習の多くの局面で、生徒は「語義」にそれほどの関心を寄せることがないという印象を持っています。紙と活字の辞書であれ、電子辞書であれ、多くの高校で入学時に辞書を推薦したり、指定したりして、全員に持たせているとは思うのですが、高校生はまだまだ、辞書を充分に生かせていないようです。一方で、これは、指導する側の教師が「辞書指導のノウハウ」を知り、それを伝授する、ということだけでは解決しないことであるとも思っています。そもそも、学習者の側に、英語を学び、使い、身に付ける中で、その語句の「語義」をつかみたいという、「意味の希求」とでもいうものがなければ、教師からの指導も、辞書の情報も、それこそ「意味がない」でしょうから。
そのためにも、「大まかに語義を捉えた理解」と「定義や使用場面も含め語義を的確に把握した理解」との間に大きな差があるのだ、と気付く機会を、学習活動であれ、言語活動であれ、授業の中で提供し、語義把握の重要性を「実感」してもらうことが英語教師の役割の一つだろうと思うのです。
とはいえ、語義の輪郭線は自明のものではありません。見る角度によって輪郭線は変わるからです。比喩が本質を捉え切れないことを承知で喩えますが、円柱であれば、その真上から見れば円ですが、真横から見れば四角に見えます。語義の輪郭線を捉えた、と思っても、少し角度を変えて見れば、異なる形に見えることは多々あります。ことばの輪郭線は、運用と学習や教授とを繰り返す中で、自分に見える「像」として浮かび上がる、絵画で言えばスケッチのようなものと思った方がいいでしょう。
この2020年3月下旬に、日本のメディアにとある「カタカナ語」が頻出しました。
「オーバーシュート」* です。
私は、「その語の元になっている英語の overshoot の方には、そのような語義はないのでは?」という違和感から、英語ニュースメディアでの使用例をウェブで検索し、数多の辞書を引き比べ、辞書で得られる用例とニュースメディアでの実例とを照らし合わせ、さらには、いくつかのオンラインコーパスから、その語が名詞であれ、動詞であれ共起する語句を確かめ、といった作業を経て、自分なりの結論に達しました。
以下、呟きから転載。
文脈から意味を理解していける人は羨ましいですね。
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月20日
この文脈でのovershoot は「爆発的増加」など表していないように思えますがどうなんですかね?
Boris Johnson says he expects mass Covid-19 testing to be possible soon – as it happened https://t.co/sEUU1IYmWI pic.twitter.com/v4wIAIg0S0
この文脈では、単に「想定される基準値を超える」ことしか意味していないように感じますけど。https://t.co/TzIAGPgt6Y pic.twitter.com/nLYxuVMwEF
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月20日
いや〜、言葉の意味って日々と変わるんでしょうね。
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月20日
でも、もし、仮にovershootが動詞であれ名詞であれ「爆発的な増大;増加」などというプラスへと大きく振り切れるような意味を持つのだとしたら、minimal, moderate, small などという形容詞と結びつかないと思うんですけど、文脈の持つ力ですかね。 pic.twitter.com/dNJX2rlDHS
動詞を修飾する副詞で言えば、
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月20日
slightly
とか
slowly
とかと共起する語なんですよね、overshootって。
え?違うの? pic.twitter.com/NX5egeU5zg
その後「ecology とかdemographyの分野では基本語だ」というようなツイをつい見てしまって、この本買って読まなきゃいけないの?などと検索して、表紙にあるタイトルの下の簡潔な定義を見て、買わずに済ませました。
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月22日
「この語の基本的な語義のまんまじゃない」って感じです。https://t.co/QIwOHoBUIn pic.twitter.com/kgzsFnkIgH
"overshoot" という語の日本独自の解釈によって降って湧いたようにメディアに表れた「オーバーシュート」なる語が、皆さんの理解の閾値を踏み越えていた分もそろそろcapacity内に収束してきたでしょうか? https://t.co/CZMqyGQMwA
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月23日
新語「オーバーシュート」が爆走している中、情報提供。
— Takashi Matsui (@tmrowing) 2020年3月21日
「急激な上昇・増大」でプラスへ(折れ線グラフで言えば「上へ」)振れる様を形容描写するのに、英語では比喩的に spike という語を使いますよね。
順に
MW’s
OALD
ODE
最後のCambridgeの定義は「形状」を的確に言語化していて秀逸だと思う。 pic.twitter.com/sdfTrtt7mp
これまで自分自身が学習者として「語義」を確かめようとするときに、どんなリソースに頼ってきたか、そしてそういった「確認」のための作業の成否はどうだったか、という記憶があるから、また、検定教科書の著者として、materials writerとして、語釈・語注をつけたり、教師用指導書に収録する「定義」や「用例」の採取、吟味をしてきた経験があるから、そして、高校生を中心としたライティングの評価、添削、フィードバックを通じて得られた知見など、一定の「経験知」があればこそ、一連の「調べ作業」ができたのだと思っています。
では、高校生など「学習者」が、自分の手元にある英和辞典や英英辞典を引いてみたときに、同じことができるでしょうか?また、同じだけの労力をそこに割くべきでしょうか? 多くの高校生には独力では難しいでしょうし、個々人にそこまでの労力を求めるのは不適切でしょう。
ただ、「語義の把握」の重要性に気付く機会を提供するためにも、その下調べ、下ごしらえの部分は、教師の側がしておいて、授業の中で、折りに触れ指摘する、ということは重要な意味を持つと思っています。
普段の英語学習のさまざまな段階で、丁寧に語義と向き合い、その語の「持ち味」「肌触り」「匂い」「温度」「生息域」などを実感する機会を得ることで、まずは「読んで分かる」精度が高まり、次第に自分の英語表現として身に付き、ひいてはライティングにも活かせる日が来るのだと思って、今日も「英作文眼」で英語を読み、ライティング修業に励みます。
本日のBGM: Veronica (Elvis Costello)
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※3月24日現在でも、まだ、TVなど大手ニュースメディアで、「オーバーシュート」を、「爆発的感染者の増加」の意味で用いていることを憂慮しています。