To the lighthouse

Nikkei Weeklyのpodcasting番組の人気企画だった、interviewが終了した。残念。26回も続いただけでもよしとしなければならないだろうか。サイトはこちら→ http://blog.eigotown.com/podcast/nikkei/
インタビュアーにピーター・バラカンもいて親近感があったことも作用しているのだろうが、山口に来てからは良く聞いていた。
ビジネスパーソンに訊く、という企画であり、即高校で使えるレベルではないので、そのままでは教材に向かないだろうが、サイトでスクリプトを確認出来るところは、談話を辿り意味づけをするのに便利である。ここでいう「談話を辿る」というのは何もdiscourse analysisを計量化するというようなことではなく、学習者にとって何が談話を辿りにくくするのか?聴き手にとって辿りにくいのでは、と思われた時、話し手はどのような対応するのか、というような考察を加える、という程度のことである。
ベネッセの大学受験用教材「東大特講リスニング」を作成した時に、久保野氏と最も腐心したのが、

  • 実際の講義は60分から90分。15分のチャンクとしても4から6セット。その中に大きな流れがあり、相互参照や要約が行われる。それに対して、東大のリスニングテストは1つの談話がせいぜい5分間。相互参照させるには量が足りない。難しい概念を提示し、易しくパラフレーズする、前言の不備を補足・修正する、否定・撤回して言い直す、予想される反論を予め提示し、却下した上で焦点化された情報を提示する、思い出した話題に戻って確認するなどといった工夫をしなければ設問での錯乱肢が作りにくい

という点。プロの英米人ライターは、ライティングとして非常に通りの良い、明晰でstraightforwardな文章を書いてくる。当たり前といえば当たり前なのだが、これにダメ出しをしなければならない。ある意味artificialでgimmickyな要素を盛り込むために改編する作業を納得してもらわなければならない。このような過程を経て作成された素材はオーセンティックではないが、そこで要求される技能は「活きた」技能となっているのだ。いきおい編集部泣かせでもある。市販の教材ではほとんどモデルとして機能しないので、現場教師としての経験値を頼りに新しく作るしかなかったわけである。グランドデザインの確かさに加えて、制作スタッフとして関わってくれたK先生、U先生など力のある先生のサポートあればこその教材である。
Nikkei Weeklyのインタビューは、長短はあるがおおよそ15分前後。このスクリプトを眺めて、おもしろそうな部分を抜き出し、教材化することは可能であろう。
たとえば、次のコンチネンタル航空のmanaging directorであるCharles Duncan氏へのインタビューの冒頭に着目して欲しい。(http://blog.eigotown.com/podcast/nikkei/2007/07/vol21_charles_duncan_continent.html ;音源もダウンロード可能。再生して約3分くらいの部分からインタビューが始まります)
この対話では、ピーター・バラカン氏からの質問に対する答えをすぐには提供していない。
8都市という数字は出すものの、whereに対応する具体的な答えは引き延ばされる。他社は3大都市就航という情報を踏まえさせておいて、自社の特異性を強調し焦点化。またその途中で、大阪には就航していない、という情報も補足しつつ、日本人にとってグアムがアジアのハブ・拠点空港であり、アメリカ人にとってのカンクンに相当するとまとめている。
このような構造を持つ談話を聴き取り的確に理解するためには、その下位技能をどのように設計しておけばよいだろうか?どのような基礎練習が必要だろうか?さらにどのような談話に関する基礎知識が必要だろうか?と考えることで、概要を授業者がselectしてあげる、今風の「お膳立て型概要把握リスニングコンプリヘンション」の不備を補うことができるのではないかと考えている。
「東大特講リスニング」は市販教材ではないにも関わらず、補習・補講で使ってくれている高校があるようである。入試対策としてだけでなく、「概要把握の一歩先へ」繋げるリスニング指導のためにも、「ポイント特講」で示される内容をしっかりと補足していただけると教材作成者として嬉しいものである。
(教材の詳細はこちら→ http://tk.benesse.co.jp/t_lecture/material/zkha0.html
ピーター・バラカンといえば、1986年のリチャード・トンプソン来日ライブのときに、渋谷の駅前会館上のLive Innで、私のちょうど前のテーブルでひたすらビールを飲んでいたのを思い出す。この時のライブは本当に良かったなあ。パートナーはLoudon Wainwright III。この人を日本で覚えている人ってどのくらいいるのだろう?

夏休みもいよいよ終わり、明日から2学期。さまざまな原稿執筆の締め切りに追われるなか、わずかな時間を頼りに以下の本を読み進めている。

  • 小西甚一『日本文藝の詩学 分析批評の試みとして』(みすず書房、1998年)

去る5月に逝去された小西氏の単行本。1960年代から70年代の論文を再録したものなのだが、読み応え充分である。私の世代では『古文研究法』(洛陽社)の著者として多くの文系志望者が学生時代に親しんだ記憶がある名前だろう。名著の誉れ高い『日本文学史』(講談社学術文庫)も復刊されていることを最近知り遅ればせながら読んでいた。前々からジュンク堂の書架を見るたびに気になっていたこの『日本文藝の詩学』を先日やっとの思いで購入したのだった。明晰な論理。首尾一貫、理路整然。揺らぐことのない芯。
冒頭の二編で、3200円の元は取りました。
一部を抜粋。

  • そもそも批評は技術である。技術は、素質と練習の和もしくは積であって、どちらか一方が不足なときは上達しない。誰が試みても、指示どおり実行すればかならずその理論が約束する結果に到達出来る--- といったような性格の理論を追求するのが学術だとすれば、批評は学術ではない。(pp.34-35)
  • 「定石を習ってから、かえって碁が弱くなった」という歎きを聞くことが少なくない。これは、習いかたが悪いのである。定石を習って弱くなるのは素人に限られる。玄人の碁打ちで、定石を知らない者は無い。(中略)要は、定石を「知っているだけ」だから碁に負けるのであって、定石を実際の局面に生かす練習が伴うとき、はじめて勝率が上がるはずなのである。(p.35)

それ以外には、

  • My Father’s Suitcase

Orhan Pamukのノーベル文学賞受賞記念講演。トルコ語を英語に翻訳したFaber & Faber版。853円也。邦訳は1890円などと法外な価格なので、翻訳とはいえ英語で読むのがまだ健全でしょう。物語と小説の違いを考えていたところだったので、この講演はおもしろく読めました。村上春樹がとっていたら、どうなっていたのだろう?などと考えもしますが…。

  • 一龍斎貞水『心を揺さぶる語り方 人間国宝に話術を学ぶ』(生活人新書、2007年)

前口上の「人が何者かになるとき、自分一人の力でなるなどということはできないものです。」という言葉を立ち読みして購入。新書と侮ってはいけない。歌舞伎、能、狂言、落語、そして講談。日本の伝統とする話芸に学ぶことは多い。少しだけ引用。

  • 我々から見ていて、お客様がもっとも拒絶反応を示すときというのは、はっきりしている。らしくない話し方をするやつが出てきたときです。(p.12)
  • 話を聞いているときには、本を読むのと違って、頭が疲れても一休みするわけにはいきません。だから、その一休みの場面を語り手が用意してあげなきゃいけないんです。(p.63)
  • 盛り込みたい言葉を多少削ってでも、リズムを良くした方がいい場合もあります。(p.96)
  • 人の心が動くのは、詳しく説明されたときとは限りません。共感したり、自分で考えたり、我が身に置き換えて想像したりしたときです。(p.113)
  • 声柄というのは、持って生まれた、その人が武器とするべきものの一つです。無理に変えようとすることはありません。(p.164)
  • 人から誉められたことは早く忘れた方がいいです。逆に、失敗したこと、人から叱られたことは一生覚えていなきゃいけません。(p.176)

読書の秋、少しは本を読む時間的余裕を持ちたいものです。ヴァージニア・ウルフでも読み直してみようか。
世界陸上の女子走り高跳び。ブランカ・ブラシッチ(クロアチア)の骨格のバランスに驚く。体幹の重要性はこういう人にこそ現れる。命名のエピソードを聞いて、親の想いもDNAのように受け継がれるのだな、と感じた。

本日のBGM: One Man Guy ( Rufas Wainwright)