”Let’s call it a night.”

天気は下り坂。気圧が下がったからか、授業も低調。
高1は後置修飾の口頭ドリルのレビューから。
個人でのRead & Look upからペアでのクイズ形式に続いて、音読。教師の示すモデルをオウムよろしくリピートするのではなく、日本語の意味に対応する英語を個人・クラスで言わせていく。

  • a small town my uncle lives in
  • the kitchen my mother always keeps clean

などを経て、最後は、シャッフルで。

  • a picture of her classmate Linda sent me

と、

  • a picture of her classmate Linda married

では足跡に引っ張る名詞が違うということは実感できた模様。上出来。
高2は、リスニングテスト使用新機種試用レポートを踏まえて、英語への取り組みを根本からあらためるように指示。10年近く前の公立時代に教えていた生徒のトレーニングダイアリーから2週間の英語学習時間の配分を読み上げる。1999年12月とある。この用紙のコピーは、この本に挟まっていた。

  • 根岸雅史・和田朋子『即聴・即解英語ヒアリング2週間集中ゼミ』(アルク、1999年)

流石根岸先生。すでに、この頃から「チャンク」と言っていたのですね。それにしても当時のアルクは良い教材を作っていたなぁと思う。
根岸先生のことば。

  • 従来の教材の多くは、一種のリスニング・コンプリヘンション・テストであった。つまり、英語を聞いて、その内容に関する問題が出て、答えるだけである。このような教材では、その英語を理解したかどうかがわかるだけで、どのようにしたら理解できるようになるかは示されていなかった。(中略)本書は「テスト」ではない。「教材」であるから、一度答えを出してしまっても、何度でも繰り返す必要があるのだ。(はじめに)

テストがないと学びを続けられない、動機づけがないということは、学ぶ喜びを感じていないということでもある。大事なのはイベントではなくコンスタント。その人のトレーニングを見ればその人の哲学がわかるものだ。Easy dayに張り切って得意になっている奴は必ず、heavy dayに手を抜くのである。メリハリはつけてこそメリハリ。
高3は、「ポイント特講」の続き。
結束性、比較による焦点化、などなど。センター試験前に、英文の濃さというか、密度というか、「それ」をあげておきたかったので、この教材を作っておいて本当に良かった。リスニングでこのレベルの意味処理を要求されることは少ないが、読解の教材としてまさにこの段階にピッタリである。
帰宅後は、自分の英語のリズムが崩れてきていたので、松本道弘の『一息』シリーズ(たちばな出版)、三冊を一気に音読。疲れたが、呼吸が戻ってくるのがわかる。表現自体は、それほど目新しいものはなかった。落ち着いたところで、読みにくいペーパーバック仕様の『”it”がわかれば英語がわかる』(光文社)にも目を通す。
terracaoさんに刺激されて、広田照幸『教育には何ができないか』(春秋社)を遅ればせながら読み始める。これは大変。じっくり料理します。
もう一つは、某A書店での注文をS急便が担当し、A帽が配送したらしいのだが、メール便にもかかわらず休日の配送を持ち帰って倉庫に眠っていたため、手元に届くまでに1週間かかった、苅谷剛彦他『杉並区立「和田中」の学校改革』(岩波ブックレット)。
こちらは一気に読み終える。本当に久々に(10年ぶりくらいか?)ラインマーカーを使った。メディアが取り上げ(たがら)ない、「普通の学校・普通の教育」の部分を語るエスノグラフィカルな手法、という点では立派。その上で、いくつも注文・反論が湧いてくる。英語教育に関わる部分だけでも、英検対策と称して月に6000円の月謝を取り、平常授業以外の外付け、外部講師によるアウトソーシングで始まった「英語Aコース」が、どのように平常授業を「活性化」させたのか、和田中の英語教諭のコメントは一切出てこない。それ以外にも、質問紙を用いた調査の結果に対して、有意な差が得られず、リサーチデザインそのものを見直したり、一次考察に突っ込んだりしなければならないところで、データの好意的な解釈で終わっている辺りは残念である。
ともかく、議論の足がかりには必読であろう。ただし、この書が、某知事を勇気づけなければ良いなぁ、と老婆心にかられた。
『相棒』を見て、ヤフオクを覗き、学級通信を執筆し1日を終える。

本日のBGM: You may already be a winner (John Hiatt)