小西真奈美は原田知世に声がそっくりだ

原稿を一つ仕上げたので、ブログを更新。
今日の高3ライティングは、Persuasive passageの2回目、「NEETを考える」。昨年に引き続いてこのテーマ。昨年の高3の作品があるので、テーマ関連語彙を補強しやすいと思い、ワークシートやハンドアウト、資料などは新しくした。アルバイト以外に定職に就いた経験のない高校生に「しごと」にまつわるあれこれの思いを英語で語らせるだけでも結構大変です、まして論理的思考を要求することをや。
今日は、英会話の教材から仕事に関わる1分間のモノローグをいくつかCDで聞かせ内容の確認。ここまでは順調だったのだが、ワークシートでの課題「NEET問題に関する高校生の意見に対して、自分の反論を考える」に移ったところで、仕切直し。まず、80から100語程度の意見文を読み、SPRE/Rの枠組みで分析し直し、Topic Ladderに進む、というプロセスなのだが、多くの生徒が、面倒なSPRE/Rをぞんざいに扱い、いきなり「自分の意見」をTopic Ladderに書こうとする。「先生、Responseって何ですか?」という質問をした生徒がいたのには参った。資料や他人の意見をクリティカルに分析することから、意見文のライティングが始まることを、前時にやったばかりだというのに…。すぐに、自分の考えを言いたがるというのは、「自己表現」をことさら強調する今風の教育の弊害だろう。オーラルの時間ではなく、「ライティング」の時間なのだ、ということをきちんと理解してもらわないと卒業させられないなぁ。進度が一時間遅れるが、ここをごまかすわけにはいかないのだ。
高2はThe Home Frontの話形の確認。片方のクラスは範読に続いてクラスで音読の徹底、午後のクラスはBuzz Readingの後サビメロまで合唱。front のもつ複数の語義を辞書で確認。Taskの提示。これは試験対策。残り時間はサマリーの添削。次々と教卓に持ってくる英文をその場で数分で処理。なぜ、その英語ではダメなのか、どのように考えればいいのか、ということを説明するには日本語が最適でしょう。ここを英語でrecastすることにこだわるメリットが私にはあまり考えられない。それほどまでに授業中のall (in) Englishにこだわるならそれこそ、「TM先渡し高校英語」にしてしまった方がいい。映画を1回目は日本語吹き替えで見て、2回目は英語音声・日本語字幕で見て、3回目は英語音声・英語字幕で見て、4回目は英語音声のみで見る。そんなやり方があってもいいだろう。要するに、英語力がつけばいいのだから。
『英語教育』12月号が研究室に届いていた。興味を引いたのは、江利川春雄氏の巻頭記事。「…時評」では関西大の靜氏の持論が展開されていた。英語教育学者、研究者はなぜ、この靜氏の一連の発言に対してきちんと応答・反応してあげないのだろうか?この雑誌の巻末のFORUMでもなんでもいいのだが、誰一人としてコメントしない。コメントもしないで黙殺するつもりなのだろうか?そうなれば、靜氏は延々とこの主張を続け、エスカレートしていくだろう。コミュニケーション能力をさんざん議論している英語教育界が、身内でさえ健全な議論が出来ないのでは、示しがつかないだろう。
高校の「未履修問題」で京都の洛南高校も該当していたとのこと。前回の灘に続いて、今度は「京大ランキング」で、教育タブロイド誌がにぎやかになるだろう。私も現在私学に勤める身であるが、今回の未履修問題の釈明に「私学の独自性」を強調したり「中高一貫校の特例」を強調したりするのは、その学校の教務のお粗末さを露呈するだけなのでやめた方がよい。どんな学校であれ、校務分掌で教務に携わる教諭や、高校3年の担任で最後に指導要録を書き上げる教諭は、その学校の単位の認定のシステムを熟知しているはずである。「うちの学校は複雑で」などと言うこと自体を恥ずかしく思った方がよい。また、多くの私学は、いまだ週6日、平日は6時限以降のぶら下げが可能であり、学校の独自性を保つために公立よりも多くの授業を行っていたはずなのである。「フェアじゃない」というのを優位に立っている側から言うのであれば、劣位にまで自ら降りていくべきだ。該当校の関係者が口をつぐむ必要はない。現在の教育制度そのものの矛盾を指摘するなら、そういった部分は全て引き受けて発言すればいいだけである。以前のブログ記事の繰り返しになるが「指導要領の法的拘束力をなくせば、今回の騒動のほとんどは解決する」のだ。
本日のBGM: 「君の声は僕の恋僕の名は君の夜」(サンボマスター)