Probability revisited

土曜日は、新幹線。道中、S台とK塾の九州大に特化した模試の問題分析。
こういう問題をたくさん集めて、何周したところで、英語のライティング力は向上するものではないと思った。授業でしかできないことにもっと精力を善用したいものだ。
上京早々に湯島天神へ。忘れないうちにお守り購入。4時間半空気が乾燥した新幹線の中にいて、喉鼻が風邪っぽい感じがしたので、神保町へ。共栄堂でスマトラカレー。風邪を引きそうなときは学生時代からいつもこれ。そういえば、先日披露宴に招いてもらったT氏の奥様を、結婚前にシブケンとGMと一緒に連れ回して、スマトラカレーに無理矢理つきあわせたことがあったなぁ。
日が落ちてからは旧交を温める夕餉。魁のSELHi担当として孤軍奮闘とも言える働きをしたT氏と東大合格者数大躍進の立役者K氏と私という、ほぼ同世代の三人。まあ、私の行く店だから相も変わらず地酒三昧なのだが。近況を語りつつも、お互いにインスパイアされること多し。今読んでいる本、といってペーパーバックを2冊出すK氏からは、香住丘に視察にいった時の話なども聞く。私はといえば、木原研三氏の『呼應・話法』を出す。T氏は、古色蒼然とした表紙を見て「君、遠いところにいっちゃったね…。」などと呆れていたが、「描出話法」の資料を揃えたかったので、小川図書の外のワゴンから買ってきたもの。読みにしろ、書きにしろnarrativeのクオリティを上げるべし、聴き取りをするにしても「ミステリー」とか「英詩」の聴き取りが出来るような力をつけられないものか?と持論を展開しておいた。酒癖の悪い客だなこれじゃ。
あっという間の三時間。最後は、へぎそばで〆。
明けて今日は、慶應義塾高校、いわゆる「塾高」の先生方との情報交換会へ。前の晩が食べ過ぎだったので、朝はミネラルウォーターとエスプレッソダブルで目覚まし。
会場に少し早めに行き、担当者と簡単に打ち合わせ。GTECのスコア、学年比較などの資料を見せてもらい概況を把握。これだけの規模の高校で、これだけのスコアというのは驚愕。
先方の先生方3名も到着し、名刺交換からスタート。
詳細は後日詳しく書こうと思うのだが、とにかく楽しい会だった。

  • これでこそ英語の授業、英語教育!

と感じられる実践であり、それを支える教師の姿勢があった。ライティング指導と一口に言ってもPersuasive/ argumentative なライティングで生徒を伸ばしている高校が増えている中、本当の意味でcreativeな実践が出来ているところはそう多くないと思うのだが、生徒作品を見る限りにおいては、間違いなく国内トップレベルの優れた成果と言える。そもそも授業でソネットを書かせている先生って、そんなにいませんよね?
英語教育や英語の授業に関する情報交換でこんなに充実感を得たのは昨年の博多イベント以来。私からの情報提供がどの程度役に立ったかは定かではないが、私の方は、私学の底力というか、器の大きさというか、大いなる可能性を感じられた。揺すぶり読み、ならぬ、揺すぶり聴きとなった。本当に感謝感激。
来週の北海道イベントに向け、書籍類の資料を送ってもらうことにして、担当者にお預け。少し鞄の中身の減量に成功。
帰路につく前に、いくつか買い物をして新幹線。帰りは、広島大の模試分析。グラフ問題の解説が稚拙。早々に切り上げ、読書。

  • 『小学生の英語教育』(国土社、1969年)

タイトルに注意。「小学校」ではなく「小学『生』」です。成城学園小学校英語研究部編。野上三枝子氏、と並木登美子氏を中心に編まれたもの。
昭和40年の東京都私立初等教育研究会外国語研究部会の議事録が興味深かった。
第8回の「語学教育研究所全国大会の小学部の報告(野上)」から引く
「中学校側から見た小学校英語」

  • 長所―発音がよい点
  • 短所―安心感があり、努力に欠ける
  • 希望する点―音感になれるように、natural speedを望む。小、中、高の連絡を密にする。1時間(50分)を20分ぐらいにして回数を増やす。中学校の教科書をそのまま使用することをさける。

他にも小2と小4の授業をそれぞれ4回記録したもの(指導案ではなく、授業記録)は多くの若い教師に見て欲しいものだ。
一番面白かったのは、最終章の「成城学園初等学校における英語教育の諸相」(pp. 185-210)。

  • This is I. では「先生、Iって胸のこと?」と問われる。なるほど、私としては極めて自然の姿勢のつもりで、私の胸のあたりを指してThis is I.をくりかえしていた。生徒の側からすれば、むりからぬ質問と反省させられた。(宮川治子)
  • そして、教育というものの意味は、生徒の中にプロバビリティーとしてある素質を、いろいろな方法や手段を使って、現実の能力に育てあげてゆくことであって、その動力になるものは、生徒に対する愛情ではないかと、私は私なりにいろいろと考えてみました。(並木登美子)
  • この子ども達が卒業して、ずっと経ってから振りかえった時、小学校でどんな英語の授業を受けたか、おぼえているかしら。皆、百点とって遊んだことぐらいしか思い出さないかもしれない。私自身も幼い頃、アメリカの婦人の家に英語を習いに行ったのに、おぼえているのはお手製のケーキのおいしかったことだけ。それでいいのでしょう。子どもの頃は、自覚があるなしにかかわらず、恵みが多ければ良いのだと思います。(野上三枝子)
  • 最近、子どもの英語グループなどが盛んになり、はっきりした教授法がないままに、中学校のやきなおし、もしくはオリンピック向けのいいかげんな会話などを教えているところもあるようである。弊害の大きくならないうちに、この問題に対して、権威ある指示を得たいと思う。(野上三枝子)

最後の野上氏の意見は、『英語教育』昭和38年9月号からの引用となっている。
今から44年前のことである。

本日のBGM: Tired and emotional (and probably drunk) / Billy Bremner