Mend it, end it or bend it?

本業、夏休み前半も一区切り。
今日は、急遽お願いして、広島からOさんにはるばるお越しいただいて、2Xの修理。K造船はインハイ前でいろいろとスケジュールがあわず、前々からお世話になっているOさんに無理を言って来て戴いた。
朝8:00から、夕方4:30まで。本当に超特急で直して戴いた。深謝。
後学のために、要所要所の工程をビデオに収めておいた。Oさんも、「ここ、撮りますか?」などと気を利かせてくれて、恐縮することしきり。昼食は近くのハーブレストランへ。ここは微妙に湖や乗艇の様子の見えるロケーションなのだ。店のご主人に「お客さん、最近しょっちゅうきますね」と話しかけられ、事情を説明。地元の人々に認知される日は、いつ?
昨日ほどではないとはいえ、やはり午後になると艇庫の中は異様に暑い。
艇を破損させた当該生徒2名はアシスタントとして、艇の方向を変えたり、マスキングテープを貼ったり、ハロゲンランプを照らしたりと少しはお役に立てたでしょうか。今回の事故を教訓として、しっかりとした漕手になって欲しいものだ。ゲルコートを塗るところまでで本日終了、後は自分たちで仕上げです。艇修理が夏休み後半に間に合い、ほっとしました。

昨日今日と、大分大学では全国英語教育学会が開かれている。
今回は物理的な距離が近くなったので、覗きに行ってこようかな、などと思っていたのだが、上述の事情で断念。気になる発表は、
・ 渋幕学習者コーパスに基づくライティングのエラートリートメントについて
・ 香住CDSのその後
・ 柳瀬先生のEP関連ネタ
といったところだろうか。(これらは私が覚えている内容であって、正式なタイトルではありません。悪しからず)参加された方がいましたら、情報をお寄せ下さい。

さて、少し前の話になるが、第2回慶應英文学会で、文科省の小串氏がパネルディスカッションで次のような趣旨の発言をしたらしい。「英語力がなかなか伸びない本当の理由」と題したシンポジウム。サイトから引用。(http://www.flet.keio.ac.jp/~englit/KSES/agm02_symposium01.html ; この記事自体は尾崎俊介、という人がまとめたもの)

  • 小串氏は「英語力が伸びない」と言われながらも、実際に「セルハイ指定校(SELHi = Super English Language High-School)」のように、日本でも英語力が確実に伸びている学校もあるのであって、そういう学校をつぶさに見ると、「英語の授業にかける時間数が多い」、「プログラムを工夫している」、「学力評価を適正に実施している」などの共通する特徴があり、これらに加えて「英語力を伸ばしている学校の先生方は、決まって先生同士の仲がよく、英語教育への取り組みにも足並みが揃っている」という特徴があることを指摘されたのである。つまり、逆に言えば、「英語力が伸びない理由」とは、これらの諸条件が揃っていない場合を指すのであって、今後「慶應スタンダード」を確立しようというのであれば、大学と一貫教育校とが一致団結し、「足並みを揃えて」英語教育の改善に取り組む姿勢が必要になるはずである。小串氏の発言は、そのようなメッセージとも受け取れるものであった。

このシンポジウム自体が慶應のためにあるものなので、そこは差し引いて考えるとして、この小串発言って、何かおかしくないですか?中学校は英語力を伸ばしていないの?
高校に限って言うとしても、これらの諸条件がそろっていない場合には英語力が伸びない、と文科省の担当者が示唆するような発言はいかがなものか?小串氏は教科書調査官の主任もされている視学官である。裏も表も知る日本の英語教育行政のプロ中のプロであろうに。
諸条件を揃えようにも、教員の自助努力だけでは賄いきれない高校は数え切れないくらいあるだろう。それら藻掻いている学校は十把一絡げで、SELHiという文科省がお墨付きを与えた学校の実績をことさら持ち上げるのでは、「手前味噌」と笑って済ませるわけにいかないだろう。喩えは悪いが、SELHiを引き受けたがために「負債を抱えている」学校はまずメディアでは取り上げられないし、そもそも、SELHiの必要がない学校にまで指定を与えるのは見直すべきだろう。

先ほど、全国英語教育学会の発表で気になる、として私があげた渋幕と香住はどちらも元SELHi。私立と公立の違いこそあれ、どちらも英語教育に関して素晴らしい実績を残してきた学校である。文科省が、本当に日本の英語教育の成果を上げたいと考えているのなら、この2校の、SELHi以降の取り組み、成果をこそ、集約して全国に投げかけるべきだろう。
 私自身も公立高校に英語に特化したカリキュラムを作ったことがある。3年間で英語を28単位履修する普通科のコースとか、単位制を活用し、最大32単位の履修が可能な高校などの制度的な支援を背景に、学力面では平均やや下の公立の高校でも充分な英語力を備えた生徒を輩出していた。同僚の足並みが揃っていたか?といえば、揃っている人の足並みは ”並はずれて” 揃っているけれど、無関心な人は無関心、足を引っ張る人もいる、というごくごく普通の職場であった。一度職員会議の席で「そんなに英語、英語って、英語ばっかりやってたら、片寄った生徒になって困る」と発言した同僚(英語科ではない)がいて、「英語教師って、片寄った人間性の持ち主って思われてるのか…」と暗い気持ちになったことを覚えている。
その頃から実践発表などをしていたが、「英語に特化したカリキュラムを持つ」が故か、どんなに、汎用性の高い実践やそれなりに効果的な研究成果が出ても、そうではない一般的な高校の先生方にはなかなか理解してもらえないことがジレンマだった。

  • 「それだけ英語やってりゃ、できて当たり前」「そういう実践、ウチでは無理」

というような評価にはけっこう凹みます。そういうわけで、私は公立から私学に移る時も、できるだけ、「英語に特化していない」「受験指導に血眼にならない」保守的・伝統的な学校を探したものだ。最近では、非常勤講師をしながら研究活動と本業とをしていたので、我ながらよく生きながらえたなぁと思う一方で、「それは先生の学校だからできることで…」とようやく言われずに済む授業実践になったと自信を持って言える。「でも、やっぱり、先生のところの生徒さんがすごいから…」という人も時折いるのだが、その生徒が持っている「すごさ」をどうやって引き出しているか?という観点で実践を見てくれる人は少ないようだ。
週明けは「正業」の英語教育関連で上京。新幹線で少し寝ていきます。

本日のBGM: How can you mend a broken heart? (Al Green; Tokyo Live)