「私の入試改革論」

「『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!」企画に参加しています。(http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20140301/p1

今回は、捉え方によっては壮大なお題になるので思案のしどころ。
日本での「教育談義」としての入試改革の議論は、その多くが「制度改革」に関わる議論で、その度に現場は翻弄され、教科入試の肝である「出題・評価」の改革の議論は先送りとなるのを眺めて早30年近く。

私は主として高校教師として英語を教えてきたので、出口の先に新たに開いている入り口の一つである「大学入試」の改善にはかねてより発言をしてきた。

今はなき、『英語青年』(研究社)の2006年4月号の拙稿はかなり丁寧に私の想いを綴ったもの。
過去ログだと、

「ナラティブマスターは君に語りかける」 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060308

で、この特集の紹介をしている。
私の記事は、「英作文・ライティングなど、まとまった英文で解答を要する出題」について論じたもの。過去ログのさわりだけ引用。

『英語青年』4月号発売。
今号から、表紙・装丁が大きく変わった。
特集は「大学入試英語問題を批評する」。見出しの順番に紹介。中身は是非とも購入して読んで欲しいと思います。
• これでいいのか、大学入試英語問題・英語教育およびテスト理論の立場から(靜哲人)
• これでいいのか、大学入試英語問題・予備校の立場から(小林功)
• これでいいのか、ライティング問題・高校の立場から(松井孝志)
• 英語教育史から見た入試英語問題(江利川春雄)
• 注文の多いテスト屋さん・大学英語入試作問事情(金谷憲)
• 大学入試は高校の学習指導要領を超えてよいか(水光雅則)
• 入試英語問題の批評空間を作り出す(柳瀬陽介)
これでいいのか?という視点で3人が論じているのだが、靜氏はリーディング、小林氏は語法、松井はライティングと三者の領域が棲み分けられたようになっており、しかも論じ方は三者三様。靜流家元と異名をとる靜氏の論考は、最後の柳瀬氏の論考と合わせ鏡のように読めば、この特集の面白さが倍増することだろう。柳瀬氏の静かで精緻な語り口が印象的。

どのくらいの人が、この記事を読んだだろうか?
既に8年経とうとしているので、読んだ人もとうに忘れているだろう。

こちらに、拙稿分だけ、DL可能なpdfファイルを貼っておくので、興味のある方もない方もお読み下さい。
英語青年200604松井.pdf 直

この『英語青年』の記事を執筆する契機となったのは、その更に前の過去ログ、

が編集者の目に止まったことであった。優れた読み手の存在が書き手を育てるのは、何時の時代においても真理だと思う。

私の基本的な考えは、8年前と変わっていない。

  • 入試で求めるのであれば、その求める英語力の実態・実像を明らかにすること。

AOや推薦、そして期別での募集など、これだけ大学入試が多様化すると「大学入試」という一般論は難しいのだが、それでも気になることはあり、それはほとんど改善されないまま今日まで続いている。

ライティング・英作文など表現系の出題で、まとまった英文で解答を求める場合に、その解答として出題側が想定している英語はいったいどのようなものなのか?

が出題側から明らかにされることが余りにも少ないのである。

現在でも、九州大学の標準解答例や金沢大学の公式解答など、責任をもってその実態を明らかにしている大学もあるが、依然として多くの大学が非公表である。

読解系の問題では、英文を見れば、英語としてどの程度の難易度かは判断がつく。
リスニングであれば、スクリプトが公開されることで、ある程度の難易度の推定は可能である。 (このリスニングに関しても、誰がどの程度のスピード、テンポで読んでいるのかという検証、議論は必要である。)
しかしながら、こと「まとまった英語表現の産出」となった途端、「ブラックボックスによろしく」状態なのである。
このことが、所謂「受験指導」用の教材で見られる、英語の解答例の不備につながっているように思う。

それでも、近年、少しずつではあるが私が好ましいと思う変化は見られている。

2011年、2012年の金沢大・前期の出題
2014年の神戸大・前期の出題

では、まとまった英文を与え、その一部に補充完成する形式で英文を書くものとなっている。
前後に示されている英文が、空所に補充するべき英文・英語表現をコントロールしていることが肝要。これによって、内容だけではなく、表現形式 (語彙、構文) についても一定の枠組みを示している。前後があることによって、内容の「つながり」が満たされなければならないことはもちろん、主題に絡めた意見陳述が求められることによって、全体としての「まとまり」も問われている。
これらの出題で与えられている実際の英文を読めば、巷の受験指導でよく囁かれる (?) 「中学レベルの英語で、文法的に間違いのない英文を書けば合格」という指導方法では不十分であることがわかるだろう。

金沢大は、この形式で2年続けて出題されていたのだが、昨年は、

日本語の記事を与え、そのうちの一部を下線部英訳とし、それを主題として踏まえての意見陳述を英語で求める。

という形式・内容に変わっていた。そして、今年も昨年と同様の形式での出題となった。

この形式は、実は、昨年度までの神戸大の出題形式とほぼ同じなのである。
今年度の神戸大の出題は、今年も含む近年、広島大で出題されていた「グラフ」をもとにした出題に類似したもので、第2段落以降で、グラフから読み取れる (読み取るべき) 事実を英語で記述し、全体の主題に絡めて、自分の意見を述べる、というものであった。広島大が、それぞれ100語程度の解答を求めているのに対して、神戸大の出題は50語程度。難易度としてはかなり高い部類に入るだろうが、入試の制約を考慮したときに、よく練られた出題であると思う。

神戸大は、2011年では、広島大と同等の形式でグラフに基づく記述の問題を出題していた。
そこでの出題は、グラフで与えられたデータをもとに、”one brief introductory sentence” を書くもの。いわば、「エッセイのトピックステイトメントを1文で書く」ことである。その形式は、2012年に変化した。著名な作家によって日本語で書かれた文章の一部に下線を引き、その部分を英訳、その文章での著者の意見に対する自分の意見陳述 (2012年)となり、2013年もその形式で出題された(文章のテーマに関連した自分の意見陳述)のであった。
そして、今年の神戸大は、再び「グラフ」を用いた出題に戻ったのだが、そこでの出題形式は、金沢大での2011年、2012年の出題のように、文章が英語で与えられていて、第1段落で主題と問題点その1の提示、第2段落で問題点その2,そして第3段落で、問題点その3を書くために、グラフを読み取ることを求められた出題となっている。
いわば、以前の神戸大、近年の広島大タイプと、金沢大の一昨年度までの形式の融合とも言える出題形式になったわけである。
この形式の利点は、

  • 高校生にとって、パラグラフライティングで最も困難を感じる、”topic sentence” を的確に書くことを求めない。

ということにある、と私は捉えている。

この考え方の基本にあるのは、私のライティングシラバス観とでも言えるもので、詳しくは、このブログの過去ログを丁寧に読まれるか、拙著、

  • 『パラグラフ・ライティング指導入門』(大修館書店、2008年)

の高校編、大学入試編を参照されたし。大きな「まとまり」の中で「つながり」を満たすべく、部分の記述を求める指導事例を具体的に示している。

教育制度をいじったり、入試を外部試験に移管するよりも先に、

  • 「まとまった英語表現」を求める出題を課すこと。
  • 「解答として求める英語」を、ベンチマーク的な扱いであってもよいので、解答例として示すか、ルーブリックやバンドスケールの形である程度具体的に記述すること。

は今直ぐにでも実行できる「入試改革」であろう。
そして、その出題では、

2011年、2012年の金沢大・前期の出題
2014年の神戸大・前期の出題

のように、

  • 冒頭のトピックステイトメントを含む英文を与えた上で、大きな「まとまり」の中で「つながり」を満たすべく、部分の記述を求める。

のが好ましい。

その条件が整っていれば、カリスマと呼ばれるような教師も、ブラック・ジャックのような凄腕の名医も受験指導には必要なくなるだろうし、大学を受験しない高校生が、ライティングの入試問題に相対したとしても、それを素材とした「英語の授業」「英語の学習」が成立すると信じている。

本日のBGM: その後の私(森高コネクション)/森高千里