Drown in their writing? No. In my own.

高3ライティングはRay Charles の time lineで与えた情報に、自分で調べた情報を付け加えて mini-biography paragraphを完成させる活動。昨年は映画Rayの公開などタイムリーな話題もあったので盛り上がったのだが、今年は不謹慎な物言いであるがインパクトのある物故者が余りいらっしゃらなかったので、「昨年との比較も出来よう」ということで再度Rayにご登場願った。下準備はいくらしていてもtimed writingで提出させるので「動詞の時制を統一することに注意した」という自己評価をしている生徒が、(X) catched などと書いているのを見ると先が思いやられる。 まぁ、これが普通の高校生の実態ですね。卒業までに鍛えます。今日のクラスは明日返却。30人強とはいえ100語以上ありますから結構大変ですよ。明日はもう一クラス出てくるので、それは金曜日に返却の予定。嗚呼、作文の教師!
残り時間で、人物描写・説明の話型を確認させるため、市販教材の100語足らずの英文リスニングをさせ、「全体像をまず捕まえて、それから細かい所へ」というアプローチの持つ脆さを指摘した。固有名詞に限らず音の識別で躓いているレベルの学習者は、全体を鷲づかみにしろ、といったって無理なのである。Selective listeningといいながら、ほとんどの教材は「著者」「教師」が既に選んだ観点がお膳立てしてあるから、部分を特定でき、主題の理解に迫れるのである。英文を聞き取る学習者自身が、主要な情報と周辺的情報を識別できるのは、耳に入ってくる音声を処理して、部分部分の意味を特定できるからである。私が単文・短文のretention trainingを授業の中核に据える理由はその程度のものである。第二言語習得の理論を持ち出す以前の問題だと考えている。

  • テクストタイプ、ジャンルも含めて話型を学び、型の予想、展開の予想が出来るようにすること
  • 音声認識と意味処理という本当の意味でのlisteningのbottom-upの練習を積むこと
  • そのために「英語らしい」音声を自分が出せるように練習すること
  • トピック、テーマに関する語彙を学び、増やし、整理すること
  • 明らかに不得手・苦手な文法項目を減らすこと

などを地道に取り入れるだけである。何も「英語科」「国際科」「イマージョン」「SELHi」などやらずとも、教師と生徒の相互努力で何とでもなるのではないだろうか?
高2は第2課の教科書で扱われているキーワードをもとに私が作成したコロケーションの和句英訳練習。グループによる対抗戦でやってみた。その後、今週聞き取ったスピーチを素材として、インタビュー活動。その後、二つのスピーチのうち一つを選んで、そのスピーカの見解・メッセージに対して、自分の意見・感想を述べる活動。大嫌いな自己表現「的」活動だが中間テストでまとまった英作文を書かせる以上、その準備はさせておかねばならないので合計25分も時間を費やした。

  • テーマと具体的事例に関わる7つの質問の答えを自分なりに考える。メモは書いてはダメ。
  • パートナーを決め、相手に質問しその答えの要点をメモする。
  • 新たなパートナーを選び、Who did you ask? What did he/she say? How about you?というreporting的な活動によって、自分も含め4人分の答えが手元にあることになる。(うまく行けば考える材料を増やすこともできる)
  • 手元の材料をもとにアイデアをまとめ、10-15分で、ライティング。
  • 最後に、「言いたかったけど言えなかった表現」を一つだけ日本語で書かせて提出。

という流れ。明日一杯で80枚チェックして金曜日には返却せねば。
O先生から「自己表現」問題に関連したメールが届く。このブログを読んでいて下さるので、話が通じるのが有り難いことだ。「今回私が高3で行っているobituary/ biographyの活動は「自己表現」ではないだろう」、という指摘は正にその通り。なのに、何故、「ライティング」というと皆「自己表現」と口をそろえて言いたがるのだろうか?どなたか、教えて下さい。
明日は、午後からU先生の授業を見学に護国寺まで出かけます。