「適切!」(露口茂風に)

私のライティング実践を発表した際、「書かせたあとの発表活動はどうするんですか?」などという質問を受けることが多々あった。
文集とか、冊子にすることを意味しているのかと思いきや、そうではなく、クラスや他の人の前で声に出して読み上げる活動をしないのか、ということであった。私の答えはいつも、「いや、ライティングですから」というもの。だったら、私だって最初から「スピーチ」とか「プレゼン」の活動として行うだろうと思う。
スピーチと言えば、日本の英語教室内外でも、スピーチ指導では生徒の英語を添削することに疑義を呈さないのに、なぜライティングになると添削の是非とか効能を喧しく議論しているのだろうか?謎だ。人前で読むものに間違えた英語があると、読み手、聴き手双方に誤りのインプットが強化されるとでも考えているのだろうか?
外国の論文や、国内でも参考文献には外国のものしか扱わないような論文の多くでは、

  • 教師が「添削」(corrective feedbackとかかっこいいラベルを貼りたい人はお好きにどうぞ)をすることと学習者が新たなライティング課題を書く力との「相関」

をとることに特化しているわけである。
教室現場は、そんなコントロールしやすい変数のみによって支えられているわけではあるまい。英語の教師とは因果な商売だとつくづく思う。美術や音楽の時間に行われる教師の指導・助言と生徒の新たなパフォーマンスとの相関を数値化して論文に仕立てたものを美術教師や音楽教師は一生懸命読むのだろうか?今度、音楽のU先生に聞いてみよう。
スピーチだけではなく、ライティングでも多くの英語教師が実践していることに、生徒が自分で書いた英文を添削し、それを音読暗誦させる、というものがある。聞く相手がいなくても構わない音読である。英語力をつけるためには、「inputをintakeしておくことが不可欠だ」というのであれば、自分の守備範囲を超えた語彙や文構造を持つ英文を取り込むための工夫、もがき、あがきとして使えるものは何でも使えばいいのだ。誰かが与えた英文では覚えられないという者も、自分が書いた英文もどきが、英文に生まれ変わって目の前に提示された時、「ちょっと、覚えてみようかな」という気になるかもしれない。これが「その気」の力である。「かもしれない」の may は = may not、「そうならないかもしれない」ことは覚悟しておく必要はあるけれど。

暗誦させる時に大事なのが「英語として適切」であること。そこが満たされないと、やはり色々な面で困ると思う。教材として市販されるものであれば、執筆者の他に、編集者、英文校閲者など、「より英語のできる人」の目にさらされるので本当に些細なミスと言われるもの以外は淘汰されていく。ところが、受験参考書などでは、予備校の講師の単著というケースが多く、「英語として適切」という条件が満たされないことが多々ある。その意味で一番安心できるのがいわゆる「長文読解」などと呼ばれるジャンルの「過去問」である。「とりあえず、有名どころの大学が入試問題として課しているんだから、英文に間違いはないでしょ?」という理屈である。にもかかわらず、依然として長文問題集の英文で「ひどい」ものが散見される、(この「問題」に関しては、ownricefieldさんが最近指摘しているものを是非お読み頂きたい)。
他にも頭を痛めるのは文法語法の問題集や英作文ライティングの問題集である。コーパスに準拠して作られた『ウィズダム』(三省堂)や『ユースプログレッシブ』(小学館)などの英和辞典を高校生が実際に使うようになっている現在では、教材の英文の「質」をいかに高めるか、にマテリアルライターは腐心する必要がある。

今日の授業は、高1の英語Iから。
定規や下敷きを使ってその続きを隠し、フレーズごとに示された日本語訳を見て、字幕スーパー・リスニングから。単位は段落。昨日も指摘した「段落の終わりまで後戻りせず前へ」「段落の途中で息継ぎをしないで最後まで」。英語のフレーズリーディングに移って、第一段落での疑問点の書き出し。Story grammarの観点は示してあるので、読みながら「次に補足すべき情報」「続くと思われる内容」を予測することへの抵抗は薄くなってきた。疑問点は、「単語の意味」「指示語の指し示すもの」から「XXっていうけど、どんなXXなのか?」「なぜ〜なのか」まで多様。
パート1で3段落、レッスン全体で4つのパートによって構成されている文章であることを確認し、疑問点をこの段階で解消すべく情報交換会をするのか、それとも、もう少し先の段落まで読み進めるのかを問い、暫し考える時間。 1st person narrativeなので、少し先を読むことで情報を得ておくことを選択。この指導では、物語文、描写・説明文、説得・論証文によって匙加減が変わる、ということを少しずつ感じることを想定している。第二段落以降も、同様の手順。日本語字幕、英語フレーズ、疑問点メモ。「第二段落で、書いてくれるだろう」と予想したことが全て裏切られた展開に、「ちゃんと読んでおいて良かった」という表情を浮かべる生徒がちらほら。ある程度の話型を自分で持っていないと安心して端折り読みなどできないものなのだ。まあ、教科書での高1の読解はいまのところこんな感じです。
高2は『P単』100個一気食いから。採点も含め約30分。
残りの時間で、市販教材の英語の例文から5つを抜粋して、英語として不適切・不自然なところがないか、手持ちの辞書で確認する作業。目の付け所をいくつか指摘して、どの項目で辞書を引くかが鍵であることを伝える。その後、調べたことを確認しながら、板書を加え、代替案を提示し、解説。結局、この日はこれで終始しました。

  • 暗誦する例文は英語として適切なものであるに超したことはないのだから、まずはこの教室に揃えた英語教材をやりなさい。

という当たり前の結論で締めくくり。
生徒の英文日記で気になる表現がでてきたのだが、放課後は6時過ぎまで学校のインターネット接続やLANの設定変更があり、コーパスの検索が適わずオフラインでの調べもの。一部疑問点が残ったので、先にカップ麺とおにぎりで夕飯を済ませ、寮の当番へ。夏向きなのか、寮監室は模様替えがしてあった。寮のパソコンの設定も変更してもらえて、滞った仕事を進める。ほどなく、部活を終えた生徒が日誌をとりにきたので、簡単に説明して返す。その後、9時まで当番を務め、宿直と引き継ぎ帰宅。
明日は0限から。
本日はこの辺で。

本日のBGM: Fool Proof (the band apart)