2学期授業終了

お疲れ様でした。
でもまだテストの採点と成績付けがありますからね。
今日の高2『英詩と過ごす夏…』の上映会は、襟を正して臨む意味も込め、同僚のK先生にも見ていただいた。読み方の指導は全くしていませんよと言っておいたが、見終わったあと、「模範の朗読を教わっていなくても、やはり『詩』を扱っているという緊張感というか、意識が働くんでしょうね。」とコメントしてくれた。時間があったら、何かK先生に朗読してもらおうかと思ったのだが、またの機会に期待します。いわゆる帰国子女の多いクラスなので、いきおい流暢な読み方のものが続出するので、教室の一部からは「さすが帰国」というような反応があらわれるのだが、果たして、「スラスラとなめらか」に読んでいることと、その言葉が聴き手に届いているか、また詩の言葉自体の持つ「声」に耳を開いているか、は別物。「ゆっくり読める」ところ、「ゆっくり読まねばならない」ところに気づくまでにはまだまだ時間がかかるだろうなぁ。詩だけでなく、演劇のことばなど、言葉そのものに対する懐の広さが教室に欲しいのだ。コミュニケーション能力、発話能力を求め、いわゆる『自己表現』やディベートの虜になっている最近の英語教室のトレンドとは相当に異質な空間が作り出せていたなら少しはねらいが達成されたと言えるだろうか。私の授業が異質というよりも、私にこういう授業を許している、現任校の懐が広いといった方が良いだろう。私以外にも、英語の歌を授業で扱ったら、一人一人目の前で歌わせて成績を評価している先生もいます。この学校の生徒は幸せだと思う。
3学期は英詩の定型、韻律などを少し学んで、型にはまった詩を作ることを予定している。Poetry Speaksから、詩人本人の朗読を聴かせてリズム、ペースを味合わせたい。昼休みの研究室で、同じく講師の方三人と詩に関してしばしお話。Poetry Speaksを紹介したら、興味があるようで、詩人本人の朗読CDでテニソン、ブラウニングなど1850年あたりの録音と、フロストなどを聴いてもらった。その後、出版社など熱心にメモを取っていました。いい人達に囲まれていると実感できた瞬間でした。
この実践が来年につながるといいのですが…。