Fears and Tears On Isochrony

やっとの思いで以下の本を入手。
Poetry Speaks to Children (Sourcebooks Media Fusion, 2005)
以前紹介した一般向け商品の子供版。95篇の詩のうち、52篇に音源付き。そのうちの29が作者本人の朗読によるもの。このアンソロジーのためのオリジナル音源が37とのこと。子供向けとあって詩人もより現代に近く、収録作品も平易な印象をあたえる題のものが多い。Billy Collinsの詩も2篇収録。もちろん本人の朗読である。来年度に向けての資料が揃いつつある。FTCでの発表でも知らせたかったなあ。
このところずっと英詩と韻律について悩んでいたのは「等時性」の問題である。等時性とは、

  • Come
  • Come to tea.
  • Come to tea with John.
  • Come to tea with John and Mary.

で、強勢のある部分が一定の間隔で現れる現象を指していると考えておいていいだろう。私が中学生の時の英語の先生は北米に留学されていた方で、自然な教室英語を駆使していたように記憶しているが、中1の1学期中間考査の後くらいで、やっと文らしいものが出てくると、指し棒で机をたたいてこのようなリズムをとりながら音読練習をさせていた。
これが嫌だったのだなぁ。当時の私には、この等時性を強要されるのが不快だったのだ。それ以来、中3の12月まで英語の授業が嫌で嫌でしょうがなかった。(当時の様子はここでもご覧下さい→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050308) 自分が教師になってからもこの等時性を強要したことはない。中学校の先生などで、メトロノームやリズムボックスを使う人がいるが、本当に生徒に喜ばれているか考えてみて欲しい。
最近の音声学や音韻論ではこの「等時性」はどのような扱いなのだろうか?佐藤寧氏の書いた音声学の入門書では、Lehisteの論を引いて、「意識」の問題であるとしていたし、ピーター・ローチの概説書でも、「そのように主張する学者がいるが物理的な検証は得られていない」というような趣旨のことが書かれていた。「あり得べき姿としての等時性」という解釈で良いのだろうか?Lehisteの論文は1977年。もう30年が経とうとしている。自分自身、大学時代は実験音声学を主としてやっていたので、英語は強勢拍リズム、日本語は音節拍リズムというのは定説ではあるが、実際は厳密に区別することは難しいことは分かっていた。当時のマック用 (?) ソフトVisi-Pitchでは最長8秒までしか測定・表示・保存ができなかったのでより現実的な発話をすぐに再生分析することができなかったが、それでも音調を目に見えるようにしてくれたのは衝撃であった。(当時ゼミ生だったアジア系の言語を母語とする留学生は、吉沢典男先生がこの機械を導入した時、空き時間この機械の前で列をなし、自分の発話を記録しては眺めていたものだ。)tone とpitch そしてintonationというものを初めて実感した瞬間でもあった。
今や、等時性云々のまえに、コンピューターの画面に波形を映し出して見せれば簡単な時代になった。渡辺和幸著『英詩のプロソディ プロは英詩をどう読んでいるか』(英宝社、2002年)では、Visi-Pitchを初めとした最新の音響音声学の解析ソフトを使用して伝統的な韻律分析と実際の朗読とのギャップを埋める考察を展開している。
善意のメトロノームやリズムボックスの使用がノイズとならないよう、テクノロジーの恩恵は甘受したい。