March Hare Wisdom

『英語教材の見方教え方 英語教育体系Ⅸ』東京文理科大学内英語教育研究会編(金子書房;昭和24年=1949年)を読んでいる。著者は星山三郎氏。面白い。先日のFTCの発表「英詩のある授業」の下調べで昔の韻文の扱いに関する資料を探していて、現任校の研究室でたまたま見つけたもの。現在教材研究などと一口に言っているが、そのことだけで1冊の実践書になっているのである。ここでは散文・韻文・会話体の3つの分類をさらに、内容と語法にわけ、それが中学校の3年間でどのような配列になっているかを考えている。頻繁に取り上げられる詩人や作品も掲載されている。具体的な指導法、教案の書き方など昭和22年(1947年)の指導要領試案を受けての「新教授法」への橋渡しのような性格も持ったものと推察するが、戦前の英語教育に関する記述は注意深い考察を要する。例えば、教科書について。今、いわゆる検定教科書は6社から発行されている。1社1冊である。プログレスやトレジャーなどの検定外教科書を入れても10点程度だろう。かつてはどうだったか?

  • 昭和5年頃わが国で発行された中等英語教科書は当時の記録によると57種類以上にのぼる。昭和11年度でも文部省検定済みとして認可されたものが27種に及んでいる。(p.60)

この背景には、高等小学校で英語教育がかなり普及していたことがあるのではないだろうか?
福原麟太郎監修『ある英文教室の100年』(大修館書店;1978年)に収録されている「附属小学校の英語」(pp.100-104)や松村幹男著『明治期英語教育研究』(辞游社;1997年)の「高等小学校英語科の意義」(第Ⅱ編第8章、pp.359-402)などを読むと、現在世間を賑わしている「小学校英語教育必修化」議論の突き抜けなさ加減が気になるのである。必修化反対派の主張の根拠のなさ、推進派の乗っかっている諸外国の事例・論文で明らかにされた知見など、足下の何を見てきたのか、という気がする。やはり、国内の事例をもっと精査するべきなのだ。文科省はフォーラムの後援などに現を抜かしていないで、明治大正期とはいわない、戦後だけでもいいから「研究指定校」での成果をしっかりとまとめて世間に示す必要があるだろう。
今日の記事で言及した書籍は全て、現任校の書架にあったものである。本当に、現任校の整備している資料には唸ることが多い。もっとも私がこれまでそういうものをよく読んでいないだけなのだが。(古いものだけでなく、最新のアンソロジーやモノグラフ、TESOL系のジャーナルも定期購読しているのは流石と言うしかない。)
歴史・伝統のある学校に勤務されている若い先生も、年度末など時間のある時に一度資料庫などを覗いてみては如何だろうか?