この際何の際気になる気になる…

映画の日ということで、妻と久々に映画館へ。竹中直人主演『男はソレを我慢できない』。今日が最終日だったが巷では新学期も始まり観客はまばらなのが幸い。監督の信藤三雄氏はピチカート・ファイブのCDジャケットを手がけるなどデザインの世界でも有名な人。Gimmickyな映像処理の斬新な映画、といえばいいんでしょうかね。私のお目当ての高橋幸宏は住職役で出演しているのだが、途中の仕掛けには大笑いした。
現任校はいよいよ来週から新学期。今年も高2は『英詩と過ごす夏』の収録がある。今年は昨年より20人弱生徒数が多いので、1週間で収録しきれないだろう。並行して進める課題も作っておかねば…などと思いながら、書棚からいくつか詩集を取り出し眺めていた。
アーサー・ビナードが「字から詩へ、詩から師へ」と題して書いた短い文章に次のような一節がある。前回のブログでふりがな(ルビ)の機能に触れたが、このビナード氏の言葉は日本語の特質をうまく言い表しているので紹介まで。

  • <意>を孕んでいながら、それと呼応する<形>も持ち合わせて、いくつかの<部>からなりながら、その単なる合計として片づけることのできない何かが息づいていて、しかも<読み>という声が語りかけてくるのである。「これだ」。探していた詩の雛形がこんな一字、一字に潜んでいたのだ、と私は荷作りを始めた。(『木島始詩集』(土曜美術出版販売)解説より)

確かに中国語、韓国語などと日本語は東アジアの言語であることは共通しているが、書き言葉としての日本語にはこのような特異性があるということを英語教師はもう少し考えてみる必要があるのではないだろうか。

英語の飛び交う国際ビジネスの最前線とは全く異質のもう一つの「際(きわ)」を対訳詩集に見いだすことができる。
金関寿夫「嵐のあと」(『楽しい稲妻』(土曜美術社出版販売、1998年に収録))

嵐のあと鴎たちが帰ってきた、
すばらしい夏の日々の銀の先触れ。
きらきら輝く大気の底知れぬ静けさ。
山々は近づき、青くそして完璧だ。
信じられるかい、人間はこんなにも卑しいと?

After The Storm
After the storm the gulls have returned,
the silver heralds of fine summer days.
Incredible calmness in the scintillant air.
Hills are nearer, blue and perfect.
How can you believe men to be so vile?

金関はこの詩を英語で書いている。翻訳は谷川俊太郎。この『楽しい稲妻』は日英対訳現代詩集となっているが、韓国・朝鮮の詩人が日本語で書いた詩の英訳、日本の詩人が英語で書いた詩の邦訳、日本の詩人が韓国語で書いた詩の英訳が収録されている、一風変わったものである。編者・訳者でもある木島は前書きでこう言っている。

  • 母語をこえて書こうとすると、わたしたちは、母語を新しく見直し、言語の壁をのりこえ、いや跳びこえなくてはなりません。それは人為的なことですし、ふつうは奇妙な、いや時には奇矯なふうに見えたりします。奇矯なというのは本当です。同心円のまわりを回らないでいることは、詩人にとって必要な批評精神を育て発展させる、とわたしは考えます。他方、子どもたちが言語を習得する過程は、人為的とは呼べません。子どもたちが、いとも易々と、当然のことのように言語を自分のものにする理由は、すばらしい謎を孕んでいます。より良い翻訳や、母語に次いで得た言語での優れた作品をものにするためには、わたしたちは、自然さと人為性をともに持たなくてはなりません。この自然さと人為性が結びつくというと、文学においては、ふしぎなくらい味わいぶかいものとなります。(同書、p. 22)

『楽しい稲妻』の英語書名は A Zigzag Joy。このタイトルから何を感じられるか、批評精神と想像力を読者が問われている。

本日のBGM: スニーカーぶる〜す(近藤真彦)