「明日に白い穴を開けて」

tmrowing2009-04-29

昭和の日。久々の完全オフ。
昼過ぎから、中原中也記念館へ。生誕記念祭。
屋外で詩の朗読、パフォーマンスを行う「空の下の朗読会」に参加。主催は、財団法人山口市文化振興財団、という外側をカッコでくくったような名前のところです。
中也の詩を読む方が多いと思ったので、『寺田寅彦のへその緒』『beyond the birth of blue』など自作の詩三篇と、翻訳詩 (Galway Kinnellの”Cryng” の日本語私訳) 一篇を朗読。(Kinnellの原詩は過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090329)
私の前の番が地元の小学生チームの自作詩朗読。彼らもその場にいたままだったので、私の自作もPGバージョンで読みました。常連さんの強烈な中也礼賛が待っているかと思いきや、そんなことはなく、みな思い思いの朗読で楽しく終了。
終了後、地元TV局のインタビュー。この局員さんが国体担当の方でしたので、そちらの方でよろしくお願いしておきました。来年はこの時期にオフが取れるかわかりませんが、機会があればまた参加したいと思います。朗読会に続いては六文銭のライブ。小室等さんの歌声を初めて生で聞いた。歴史を見た一瞬。オープニングで3つほど、中也の詩に曲を付けて歌っていた。
さて、
この朗読会は中也記念館で行われるイベントで、こうして中也ファンが集うわけだが、やはり私には中也の詩だけをとりあげて崇める気にはなれない。

  • 「傍役の詩人中原中也 --- 大岡昇平『朝の歌』について---」

と題する気になる論考がある。
もともとは書評。評者は篠田一士。彼の『詩的言語』 (小沢書店,1985年) には、大岡昇平氏からの反論も併せて収録されているのだが、ここでは篠田氏の言葉だけを引いておこう。

  • 作品そのものよりも、作者の曖昧な面影を、あるいは、日常的な環境から屹立した想像力の世界よりも、そこにウゴメいている登場人物に白々しい興味を示す、ぼくたちの現在の文学風土は呪わるべきである。(p.221)
  • 話を明治以後にかぎって言えば、詩人たちはヨーロッパの近代詩の影響を一身に受けたと自他ともに信じながらも、彼らと同時代だった小説家たちが受けた影響にくらべて、いかにも表面上のキレイ事に終った。小説形式にくらべてより厳格な詩形式のあり方が彼らに小説家に許されたような自由な行動を不可能にしたのかもしれない。しかし、根本的な理由は、彼らが詩形式の表面的な部分にのみ気をとられて、その奥にある詩の言語に対する考察を無視したことである。(pp.250-251)
  • 中原中也と同時代の多くの詩人たちは錯乱的であったし、またいずれも二流詩人であった。そして、中原中也もまた二流詩人である。しかし、同じ二流詩人でも、現在の詩に関りをもつ詩人ともたない詩人とでは、はるかに前者の方が批評的に重大である。それに、二流詩人ばかりいる時代の中でこそ、詩人の偉大性について語ることは緊急ではないだろうか。(p.252)

中原中也賞の選考委員(評者)でもある、荒川洋治は宮沢賢治ファンに厳しい評価を下していることで有名だが、それを中也にも投射してみることが肝要だろう。(過去ログはこちら→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050831)

この日は、近くのホテルで「中原中也賞」受賞の贈呈式が行われるということで、川上未映子さんも来山とのことでした。川上氏も中也への思い入れは人一倍強いのであろうが、中也になろうなどとは全く考えていないだろう。今回の受賞に際しての、彼女の発言をいろいろな媒体で見てきたが、次の一節が一番好きだ。

  • これからも、激しく問うて問われ、あらゆる批評やもくろみや分析が追いつけないような詩作に精進したいと思います。(『any 第68号』、2009年、財団法人山口市文化振興財団)

このミニコミ誌、ここだけでも十分良い仕事をしたと言っていいだろう。
現在、記念館でも、川上氏愛用の品々などを展示。その中で、「おおっ!」と唸ったのが、

  • 種村季弘『ナンセンス詩人の肖像』

でした。いやー、愛読書ですか。うん。これだけでもう今日は満腹です。贈呈式や記念講演を見ずに外郎とお酒を買って帰りました。そうそう、チーズも忘れずに。

本日のBGM: 空から降ってきた卵色のバカンス (原田知世)