「このままでは、気がかりだけど…」

フィギュアスケートのシーズン開幕で充実した「スケオタ」の夜を過ごしています。
先日のスケートアメリカの興奮がまだ続いていますが、男子シングルのヴォロノフ選手のフリーを、今朝、あらためて観て、ちょっと涙腺が緩みました。特に、3回転ルッツの着氷を決めた後、フェンス際でのカメラに映った口元の笑みが最高でした。ヴォロノフ選手は、コーチをゴンチャレンコさんに代えての新シーズン。本当に良いスタートになったと思います。ゴンチャレンコさんのところには、同じく男子シングルで、コフトゥン選手も移籍しています。ラジオノワ選手など、ゴンチャレンコ門下の若手選手に良い影響が出てくれることを願っています。

一方の日本ではプロ野球の「日本シリーズ」真っ只中。
久しぶりに野球の試合を観ましたが、面白いじゃないですか。「煽りバラエティ」をしなくても、選手の動き(仕事)自体、試合自体が面白ければいい、という基礎基本を再確認しました。ありがとうカープ。ありがとうファイターズ。

さて、
生業の英語の授業の方はというと、高3の『易しめ入試過去問を(少々)加工して再録した問題集』での悩みが尽きません。

いつものように自分で視写しながら、第4段落までは、まあまあ、癖があってもスムーズに進んだのですが、第5、第6で、「ムムっ?」となり、例によって、原文捜し。
これですね。

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

私の買ったkindle版だとこんな表紙です。

Freakonomics 表紙.png 直

癖があるのはいいのですが、最終段落の次のところなど、句動詞の buy off (≒ bribe) でモノゴトを目的語とするのがちょっと「?」。

But there was another problem with the day-care center fine. For just a few dollars each day, parents could buy off their guilt. Furthermore, the small size of the fine sent a signal to the parents that late pickups weren’t such a big problem. If the day-care center suffers only $3 worth of pain for each late pickup, why bother to cut short the tennis game? Indeed, when the economists ended the $3 fine in the seventeenth week of their study, the number of late-arriving parents didn’t change. Now they could arrive late, pay no fine, and feel no guilt.

あと、Ifで始まる、第4文の、sufferの主語に「デイケアセンター」が来ているので、最初は「これ、suffer (≒ (to) experience something unpleasant) ではなくて、cost ってことなのでは?」と思って再読し、親の側の負担と、デイケアセンター側の負担で、辛苦と小銭のバーター、トレードオフの関係を述べているのだろうな、と納得はしましたが、雰囲気で引っ張っている(押し通している?)感じは否めませんでした。

原文と照らして、「一番の問題だな」と思ったのは、教材の第4段落と第5段落の間に、原文では、kindle版にして、約5頁分(PB版でも2,3頁分?)の英文がカットされているということ。これでは、「つながり」は薄れるでしょう。

冒頭部分(第1段落).png 直
第2から第4段落.png 直
教材の第4段落に続く部分(その1).png 直
第4段落に続く部分(その2).png 直
第4段落に続く部分(その3).png 直
第4段落に続く部分(その4).png 直
第4段落に続く部分(その5).png 直
漸く第5段落へ続く部分.png 直
第6段落の最後とその続き.png 直
まだまだ続きます.png 直

さらには、最後の写真を見てもらうとわかるように、教材の第6段落は、セクションの終わりなどの「キリのいい」ところではなく、この後もまだまだ、話は続くところである、というのも「?」。これで、「統一した主題」が掴めるような、「まとまり」は感じられるでしょうか?この『問題集』にも、当然のように解答や解説、さらには全文訳までついていますが、本当にそれを頼りにしても大丈夫でしょうか?

教材の解説.jpeg 直
教材の日本語訳.jpeg 直

問題のsufferのところの日本語訳に「???」。
「もしお迎えに遅れるたびに託児所がたった3ドル分の苦痛しか受けないのなら、なぜわざわざテニスの試合を途中で切り上げる必要があるだろうか。」で日本語として意味&論理が整合すると思っているとしたら、そこまでの人ですね。

今回のレッスンの私の手書きノートの写しはこちら。

Unit 11_1&2.jpeg 直
Unit 11_3&4.jpeg 直
Unit 11_5.jpeg 直
Unit 11_6.jpeg 直

皆さんは、どうお読みになりますでしょうか?

いつものことばでお別れです。

より良い英語で、より良い教材。

本日のBGM: Bye Bye C-Boy (佐野元春)

※20161106追記
上記の教材の第6段落の英文に関して、呟きの方で疑義がでていましたが、私の授業の際に高3に解説したものを補足しておきます。

第6段落の
If the day-care center suffers only $3 worth of pain for each late pickup, why bother to cut short the tennis game?
は、本来親の独白で、疑問文は反語・修辞疑問になるもの。親の心の中の声を補うと、次のようなものになるであろう。
1. If I arrive late for picking up my child, the day-care center will fine me.
2. Even if they fine me for each late pickup, it only takes $3.
3. They will take the trouble to take care of my child for the extra time only for that small amount of money.
4. Then, why do I have to hurry?
5. I can leave all the trouble for the time to them.
6. They are willing to suffer the trouble as long as they fine me $3 for each late pick up.
7. I can buy my time for tennis games only for that small fine.
8. That’s the deal.

これは、ここまで読んできた人が読みたい「解釈」。でも、書いてあった字句は、教材の通り。
私が「雰囲気で引っ張っている」と書いたのは、そういうことです。

私だったら、当該の一文は次のように書くでしょうか。

If all the trouble the day-care center accepts is only worth $3 for each late pick up, they will or do suffer very little, then why do I have to feel guilty about being late or feel sorry for them?

No matter what

tmrowing2016-10-24

中間試験終了。
祭りの後は悲喜交交。
O. Henryならずとも、悲の割合の高い人もいれば、喜の割合の高い人もいるのが世の常。自分の学びに自分で責任を持つこと。必要な「もの=学習材」、「こと=頭の働かせ方」は全て授業の中にありますから。問題は「人」。あなたの心がそこにあるか、いるか、ということでしょう。

高1と高2は、土曜日課外講座の時に試験返却。
1年生は高校生活で最初の大きな行事である、体育祭、文化祭を経ての定期試験。行事前にも、後にも「重大さ」を告知し、釘を刺していましたが、皮膚の厚い、痛覚の鈍い人、または釘抜きの扱いに長けた人もいるようで苦労します。

「呟き」でもオープンにしていましたが、高1に伝えたのは、「身につけること」の大切さ。

総合の得点(素点)は成績に直結するけれど、本当に確認しなければならないのは、何ができていて何ができていないか。正答となったものも、本当に分かっていてできたものか、ということ。
設問は大別して二種。「理解の診断」と「スキルの診断」。前者では、例えば、問1ができるなら問3が、問2ができるなら問4ができる…、というように配置。もし問2で間違えていても問4に正答が得られるなら、その瞬間に問2の拙さに気づく。そのように設問は作ってある。
だから、ただ得点だけ見て一喜一憂してもダメだし、答え合わせだけをしてもダメ。頭の中の間違った地図、またはバグのある地図アプリを修正しないと。ただ、もともと、テストの時に、自分の頭の働かせ方の間違いに気づくように、授業では様々な種を蒔いている。
注意するのは授業中に直ぐに答えを知りたがる人、自分の選択ミスにも、いつも「そっちか!」と悔しがったり、「そっちだと思ってたんだ」と、自分の頭の働かせ方の修正をしない人。あとは、「自分が慣れ親しんだ味」のする、美味しそうな所だけをつまみ食いするような人。

高2は、直前の授業までやっていた、ホワイトボードでの「副詞節」シリーズ。通称「白板のモノ」、で得点を稼いでいた者多し。
授業の根幹である「名詞は四角化で視覚化」の得手不得手がハッキリしてくるのが、次のような英文。

  • I know the girl dancing on the stage before a large audience.
  • I saw her standing there.
  • I have a bike made in Italy.
  • I have to have my watch repaired.

これらを「意味順スロット」に配置していく際の、二つ目の「だれ・なに」スロットの役割を「自分のもの」にしないとダメ。並べ方が「意味順」でわかっているなら、次は「形合わせ」に、自分のリソースを注げるようにしないと、いつまでも初歩や入門期を脱せませんよ。

高3は、昨年度、自分が高3の担任をしている時にも感じたのですが、推薦入試やAO入試など、受験を意識して「学び」が本末転倒になる者が出てくると、集団としてのパフォーマンスが急激に低下してしまいます。高1から今までに扱ってきた「教材=学習材」が身についているか、先ほど「高1」に言ったことがそのままここに跳ね返ってきます。本当は、上級生が下級生に伝えられないとマズイのですけどね。中学生の頃の自分の英語力と、高3の今の自分の英語力を比べて、それほど「英語力」としては伸びがなかった人でも、「学力=学ぶ力」を身につけて卒業してくれれば、後は自分で学べますから。

高3で、一番出来が悪かったのは、「空所なし適語補充」。靜哲人先生の開発された手法を使っています。初見で完全に正答を得るのは流石に難しいですが、初見でも出来ないことはないように作っています。
素材文は、「易しめ」の入試問題を集めた問題集から。
私が教材研究で90年代からずっとやっている、手書きのノートの写しがこちら。

Unit 9 1.jpeg 直
Unit 9 2.jpeg 直
Unit 9 3.jpeg 直
Unit 9 4.jpeg 直

時間がかかりますが、「手書き」をしているのは、まず丁寧に読むことと、著者になったつもりで表現や論理、つながりを考えてみることも狙いにしているから。
一番大事なのは、「語義」の適切・正確な理解です。辞書は英英辞典が基本。生徒が恐らく想定しているであろう「訳語」で抜け落ちてしまうところ、「迷い道くねくね」になりそうなところ、または「分かっていないけどごまかしてしまう」であろうところを、虫の目と鳥の目で見ていきます。
自宅のMBP には、World Book Dictionary とShorter Oxford Dictionary がインストールしてあるので、高3レベルでは、適宜活用。あらためて良い辞書だと思います。
廃番となった先々代の「ペリカーノ」と「オキナ」の方眼ノートのおかげでスラスラ書けるのでしょう。以前、センター試験の第6問の講評(ダメ出し)をした時にも、同様の手書きノートの画像を貼っていますので、ご笑覧あれ。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140206)


さて、
リオ五輪も終わり、本格的なフィギュアスケートのシーズンが始まっています。
ジュニアのGPシリーズは既に終了し、ファイナルを待つ段階。予想通り、日本とロシアの争いとなっています。昨シーズン、怪我で世界ジュニアを棄権した、ロシアのツルスカヤ選手を筆頭に、ザギトワ選手、グバノワ選手と、新世代の台頭著しいロシアに対する日本勢は、トリプルアクセルを跳ぶ紀平選手、「バンクーバー五輪のキム・ヨナか、ソチ五輪のソトニコワか」というくらい高さと幅のあるジャンプを跳ぶ坂本選手という希代のジャンパーに加え、土壇場でファイナル代表を勝ち取った、昨季の世界ジュニアチャンピオンとして注目の集まる本田選手。

シニアのGPS開幕戦である、スケートアメリカでは、日本選手も大活躍。男子シングルで優勝した宇野選手、女子シングルで3位に入った三原選手だけではありません。ショートとフリーで同じ曲を使うという注目のプログラムを演じた浅田選手。3Aを回避して、ステップなどで持ち味を発揮しましたが、会場の歓声とは裏腹に、ジャッジにはまだ高い評価では迎えてもらっていないようです。

男子シングルの優勝は日本の宇野選手でしたが、アメリカのブラウン選手、リッポン選手、ロシアのヴォロノフ選手、コフトゥン選手など、「4回転新時代」と煽らなくても、フリーでは充分に見ごたえのあるクオリティでした。
日本の地上波では殆ど放送されないアイスダンスでも、昨季の全米覇者、世界選手権銀メダリストのシブタニ兄妹、復帰戦となるロシアのボブロワ・ソロビヨフ組など、ハイレベルでダンスの競演が繰り広げられる中、結成2シーズン目となる日本の村元哉中(むらもとかな)&クリス・リード組もSDのミスを払拭するかのように、FDで素晴らしい演技を見せてくれました。

放送権を日本のTV局が買っているため、ISUのストリーミングなど、日本では地域のブロックがかかって、見られません。では、「民放のTV中継は?」といえば、録画にも関わらず、過去の想い出映像とか、舞台裏の人間ドラマを映すことに躍起になり、肝心の試合、競技では映らない選手が出てきます。「地上波」は最早、スポーツ中継ではなく、特定の日本人選手を特集したバラエティ番組ですね。

私は、このところIcenetworkという有料のストリーミング配信で見ているので、メジャーな国際試合では、それほどのフラストレーションはありませんが、 ロシア選手権の(ほぼ)全選手の滑りが日本で見られるのに、全日本選手権で、若いグループの選手たちの滑りを全く見られない、という近年のTV地上波放送のあり方には、不満を持っています。

東京五輪を4年後に控え「アスリート・ファースト」などという用語がメディアを賑わすようになりました。選手へのリスペクトや愛は勿論ですが、競技そのもの、試合そのものへのリスペクトが欠けてしまってはこのスポーツの未来には陰りが見えてくるような気がしてなりません。

来週は、GPSのスケートカナダ。アイスダンス界の至宝、テッサ・ヴァーチュ&スコット・モイア組が帰ってきます。

本日のBGM: 恋の5000マイル(綿内克幸)

Struggling on the shoulders of ...

忘れていたわけではありませんが、全英連の前に2学期の中間試験があります。
只今、絶賛作問祭り開催中。
いつもは3学年6種類を作っているのですが、今回の中間は5種類。ようやく3つ作り終えました。

授業はiPadでの写真や動画など、記録を小まめにとっているので、その確認もしつつ、出題には万全を期しています。

高3の聴解・読解では、『浦島本』をこんな風に使っています。
聴き取りによるタイトル選びの概要把握から始まり、キーワード書き取り。T/Fの文は、Fの情報の修正を経て、空所のディクテーション。その後、全文(天地を逆に印刷して、ひっくり返さないと照合できないようにしてあります)の読解と音読。
ワークシートは両面印刷で折りたたみ、紙ホチキスを活用し、情報を制限したうえで、ひっくり返したり、開いたりして次の活動へと移行するなかで、概要把握から細部の表現形式の理解の確認まで行きつ戻りつすることで完結するもの。ICTに頼らずともできることをしています。




どんなことを授業中に重視し、共有したか、板書も適宜記録しています。
高2は恒例の副詞節シリーズ。学級文庫の辞書を横断的に調べて白板に「あるある」例文をまとめる作業。先輩の残してくれた「マッチングによる対面リピート用紙タワー型」を見ての例文補充もしています。先輩に感謝です。




高1は「意味順」で、二つ目の「だれ・なに」スロット(←ナカグロが肝ですね)の柔軟性を高める月間。
「モノとコトの境界線は曖昧」を実感してもらっています。あとは、とじかっこ(時制と助動詞を自在に操れる)の有用性、利便性の実感。この二枚の写真は雄弁・饒舌ですね。


作問祭りの隙間を縫うように、自分自身の「学び」も続けています。
今読んでいるのは、こちら。

  • 竹鼻圭子 『しなやかな組織としてのことば』(英宝社、2009年)


刊行時にタイムリーで読めなかったのは残念ですが、今こうして読めているので結果オーライです。
巷の『英語本』では、とかく「前置詞のイメージ」で好き勝手がまかり通るという印象なので、内外の文献を精査している本書で少し頭の整理を。参考文献にはベネットもあればダマシオもありで、研究者って凄いな、というのが偽らざる感想です。

全英連では田地野彰先生に指導助言をお願いしていますが、学習英文法の「ゆるやかな」体系としての『意味順』については自分なりに考えを深め、実践を続けてきました。その「網目」に「しなやかな組織としてのことば」というタイトルが、キーワード検索のように引っかかってきたことによって、今回のあらたな「学び」につながっています。

もう一冊読んでいるのは、随分と古い本。

  • 安井稔 『新しい聞き手の文法』(研究社、1978年)

書き手、話し手の頭に浮かぶ「意味」を形にしていくOSが「意味順」だとすれば、それを受ける「読み手、聞き手の側はどのように頭を働かせて、その形から「意味」を紡ぎ出しているのか、という自分の学び、実践の足跡を確認する作業でもあります。

「はしがき」のこのことばとの再会に襟を正しています。

本書における思考の、いわば、原点をなしているのは、上でも触れるところがあったように、外国語としての英語学習という初心の追求であるといってよいのではないかと思う。こういう問題を、変形文法を中心とする現代の言語学知識を背景に追求していくと、どんな景色のものになるか、どういう部分は、どのように耕されているのかということを、自分の足で少し確かめてみたいという趣のものである。

自分の足跡が既に、巨人の広い肩の上にあることに気づく、祭りの中休み。

本日のBGM: 20世紀鋼鉄の男 (Moonriders)

「調子に乗っていた時期もあると思います」

全英連・山口大会も日一日と迫ってきました。

授業は上手くいかない日もあれば、順調に進まない日もありですが、「それぞれ・それなり」です。ただ、発表の日時は決まっていますから、「そのうち」ではなく、「ここまでうち」とでもいうものをお見せすることになると思います。

11月11日(金)、12日(土)に山口市で開催される、全英連・山口大会。
11日は中嶋洋一先生の記念講演と、山口県の小中高の授業発表が山口市民会館で行われます。
懇親会は11日の18:30よりセントコア山口にて行われます。

私、松井は12日の第19分科会を担当します。

  • 書くことによる英語の運動性能の養成 〜「語」や「句」のかたまりと、「文」と「文」のつながり、そして談話としての「まとまり」の観点から 〜

会場は山口学芸大学。
分科会の参加は事前登録が必要です。
参加希望・検討されている方はwebの申込みページで概要をご確認の上お申し込み下さい。
https://conv.toptour.co.jp/2016/yamaguchienglish2016/bunka.html

私の分科会は、諸般の事情で、「体育館」での開催となる模様です。実行委員会事務局によればイス席のみで、机やテーブルがないとのことですので、会場移動も含めて、参加される皆さんにはご不便をお掛けするやもしれませんが、発表形態・資料様式を検討し、できるだけ実りのあるものにしたいと思います。


さて、
私自身の全英連への参加は、私がまだ東京で働いていた頃の、2006年、工藤洋路先生の分科会発表の記録者としてサポートをしていた東京大会が最後でした。この時の指導助言者は根岸雅史先生。

私自身の発表となると、その更に前、2003年東京大会で分科会を担当しました。この時の指導助言者(モデレータ)は大井恭子先生、記録者は長沼君主先生でした。
既に13年前のことです。

今回の山口大会で私が発表する、というのも奇妙な巡り合わせですが、私の発表では、この13年前の発表で示したようなことは殆ど喋らないだろうと思います。この延長線上にあるような内容を期待されていた方には申し訳ありませんが、干支も一回り前、小学校に入学した児童が高校を卒業してしまう位の時間が過ぎていますから。

その間に、いろいろなことがありました。

今回の私の発表は、言ってみれば、
『学習英文法を見直したい』

学習英文法を見直したい

学習英文法を見直したい

  • 作者: 大津由紀雄,亘理陽一,安井稔,江利川春雄,斎藤兆史,松井孝志,鳥飼玖美子,日向清人,久保野雅史,末岡敏明,岡田伸夫,柳瀬陽介,田地野彰,山岡大基,高見健一,真野泰,福地肇,馬場彰,大名力
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2012/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 2人 クリック: 17回
  • この商品を含むブログ (10件) を見る


拙稿、第7章での自らの問いに対する回答で、『意味順』というOSをどのように取り入れ、そのプラットフォームからどのように乗り降りして来たか、というようなものになろうかと思います。
『学習英文法を見直したい』で、私は次のように問いかけていました。

私の考える「新しい学習英文法」に求められる条件をあらためて考えます。
「一文主義からの脱却」で、「抜け出してどこへ?」という出口は2つあると思います。


・語・句など文を構成する際に「要素」とみなされているものを「主体」と捉えて考え直し、ヨコ糸 (= 個々の表現形式) 紡ぎのために適切に扱うこと。


・一文に過度の情報を詰め込まずに、文と文の繋がり、文と文のまとまりといった「談話レベル」の視点を押さえ、タテ糸 (= 談話・論理) 紡ぎの必要性を感じさせるよう配慮すること。


「コンテクスト」とか「文脈」とは言い古された言葉ですが、「文」が処理できない者には、文脈の把握は難しく、その前後の文の意味や状況設定、人物設定、その文の連なりでの発話の意図などを「日本語」や「理解の極めて容易な英語」で与えられることでかろうじて「脈」を採ることが可能になります。その意味で、初学者から言語運用を求めることによって、否応なく「談話」の「文脈」の中に身を置き、「文」を作るための「ヨコ糸」である形式にフォーカスを当てるという取り組みは、可能性を感じさせてくれますが、指導に当たっては周到な配慮が必要となるでしょう。
次の「局地戦」へと進む場合も、「森という完成された体系」を俯瞰する「鳥の目」からではなく、森の中の木々を一つひとつ学ぶ中で、より見通しの利く「虫の目」を育てていくことで森の中での行動範囲が広がり、自分の足場が均され、安心感や自信が増す、というのが学校現場での指導での落としどころではないかと感じています。

私ならでは、私の生徒たちならではの「落としどころ」と言ってもいいかもしれません。

今回のタイトルは、

書くことによる英語の運動性能の養成
〜「語」や「句」のかたまりと、「文」と「文」のつながり、そして談話としての「まとまり」の観点から〜

というものです。敢えて、「パラグラフライティング」ということばは使っていません。

いまだに、「和文英訳とパラグラフライティンの二者択一で悩む」とか「大学入試対策としての英作文指導ではパラグラフ・ライティングは必要ない」とか口にする人は、殆どいないとは思うのですが、そう言う人たちは、13年前に時を遡って、当時の発表資料を読んでから、拙著でもある『パラグラフ・ライティング指導入門』(大修館書店、2008年)をお読みになることをオススメします。でも、この『…入門』でさえ、既に刊行から7年以上が経っていますから。

今回、2003年当時の資料の公開に当たって、フォントを改めた他、最後の連絡先を新しいものと差し替えましたが、それ以外は全て2003年当時のままです。当然のことながら、参考文献などはその当時入手できるものしか書いていませんので、期せずして(?)絶版ということもあろうかと思いますが、ご了承願います。

2003年 全英連東京大会発表資料
Evaluating Teaching Writing (2003)
2003年 全英連東京大会 第15分科会資料(松井).pdf 直

無料でダウンロードできますし、パスワードもかけませんので、ご自由にお読み下さい。

「グローバル化」の急速に進む日本の英語教育現場において、この13年前の実践知はもう、過去のものとなっているのだろうと思います。

ただ、引用の場合には、「アレンジした」とか「カスタマイズした」とか言わずにきちんと「出典」を示して下さい。また、二次使用に際しては、商用の如何を問わず節度あるメールでご相談いただければと思います。


それでは、山口でお会いしましょう。

本日のBGM: 道 (宇多田ヒカル)

「パブリックコメント」提出!

「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめへの意見」を提出しました。
以下、提出内容です。

「小学校」に関わることと、「外国語」に関わることで、2件提出しました。

個人情報は割愛。

氏名: 松井孝志 
職業: 高等学校英語科教諭


分類番号 3 小学校

要旨
1. 小学校で英語を2020年度に教科化するという拙速な計画は止め、全教科科目の中での授業時数の調整、教員養成も含めた十分な議論を引き続き行うこと。

2. 小学校3年生からの外国語活動導入に伴い、小学校5年から「書く」ことの指導を行う場合には、一斉実施(完全実施)ではなく、「学年進行」で、小学校3年から外国語活動を実施してきた学年が5年生になった時に初めて行うよう、計画を変更すること。


小学校英語活動の教科化に関連して

• 小学校英語を教科化できる下準備が整っていることを示す具体的な材料には何があるのか?
• 全国に約2万校ある小学校全てで教えられる教員は確保できているのか?養成は間に合うのか?
• 小学生にモジュールで教えて身につくのなら、中学校の英語もモジュールでいいのでは?
• 教員がいないからといって「DVD」で大丈夫なのか?もし大丈夫なのであれば、中学校の英語もDVDでいいのではないのか?
• 授業は細切れの「モジュール」をつなぎ合わせて何とかなるかも知れないが、評価はいつ、どのように行うのか?
• 45分連続の一回の授業と、モジュールで短時間の帯で実施する授業では活動が異なるはずだけれども、その到達度の指標となるCan-doは別物として作るのか?もしその二つの物差しが別物だとすると、身についた「英語力」も異なることになるのか?
• 教科化が取り沙汰されてから、民間の教育産業が地方自治体と提携して、「教材」を一括採用するケースが続出しているが、教科書検定制度の守備範囲外の小学校の英語に関して、教材の質や採択に当たっての公平性、客観性は担保されているのか?
• 文字指導に関連して、現在の外国語活動の指導では「音韻意識」の育成にも中途半端で、「手書き文字」の指導の体系が全く示されていない状態で、高学年で「書くこと」を取り入れることは、あまりに拙速で混乱や被害が大きくなることが懸念される。英国の National Handwriting Association で提唱している一連の指導手順、体系、左利きの児童やディスレクシアの児童への配慮など、発達段階を考慮した「文字」の扱いと、視認性が高く、手書き文字とのギャップの少ないフォントの採用や四線の間隔で、baselineとx-heightの間隔が、他の間隔よりも広くなった書式で練習するなど、英語が母語の国の初等教育で効果をあげている指導方法を積極的に取り入れるべきである。
• 仮に、小学校5年で「文字指導」を行うとしても、それ以前の学年、例えば小学校3年から現行の「外国語活動」のような指導を行い、その指導を踏まえた上で、児童が学年進行で、小学校5年生に進級してきてから行うこと。


分類番号 19 外国語

要旨

1. 「これまでの審議のまとめ」で述べられた有識者の意見の中で、「高3英語力フィージビリティ調査」の結果に基づいているものが多々見られたが、それらの意見の前提となる「フィージビリティ調査」には問題点が多く、調査そのもののフィージビリティが担保されていない。

2. 高等学校の科目再編で、とりわけ「書くこと」に関連した「論理・表現」の指導内容・目標の設計で、「高3英語力フィージビリティ調査」の結果に基づいた考察がなされているとすれば、それを一旦白紙に戻して、書くこと、話すことの「専門家」である大学の研究者の知見を取り入れると共に、高校現場での実践者たる優秀な教員の助言のもとに、「書くこと」に関するきちんとしたテストを設計・実施し、再検討すべきである。

3. 2020年に新指導要領を実施するという「改訂時期ありき」の議論ではなく、教育内容と方法の「改善」のための議論を進めることを求める。


高等学校の科目再編に関して

・ 現行の「コミュニケーション英語」と新課程の「英語コミュニケーション」の対応に大きなギャップがある。現行の「コミュニケーション英語基礎」では、習熟度の低い生徒が「学び直し」で履修する科目として設けられたにも関わらず、検定教科書が複数存在しないために、授業シラバスなどが絵に描いた餅で終わった学校があったように聞いている。今回、そのような習熟度の低い生徒を想定した「学び直し」の科目を設定しないのは、「英語コミュニケーション I」の中で吸収せよということなのか?その場合、「英語コミュニケーション I」を、学び直し想定で履修しする生徒用に、難易度や達成度を低く設定した教科書が検定を通る、という認識でいいか?さらには、その生徒たちが上級学年で履修できる「英語コミュニケーション II」の教科書も同様に検定を通る、という理解でいいか?
・ 現行の「英語表現」の「 I 」の教科書が、ことごとく「文法シラバス」の教科書となったのは、指導要領の趣旨を教科書検定で反映させられなかった、検定での失策・失政だと思われるのだが、その反省や改善なしに、「論理・表現」といったお題目だけを掲げて「発信力強化」を謳っても、絵に描いた餅に終わるのではないか?
・ 26年度、27年度と数万人規模で「高3英語力フィージビリティ調査」を行っていたが、一民間企業に丸投げしたと思しき設問で、とりわけ「書くこと」においては、テスト問題そのものに問題が多い。
・ 26年度は第1問「聞き取り要約」、第2問「課題作文」。
・ 27年度は第1問「課題作文」、第2問「聞き取り要約」。
・ 受験者の心理的、認知的な取り組みやすさを考えると、27年度の順番に解答した方が、力を発揮できるのではないかと思われるが、この2つのテストの結果を「同じ物差し」で評価分析してもいいのだろうか?
・ 26年度当初の計画では、テストの対象はCEFRで、A2-B2の英語運用力を測定すると明示していながら、ライティングで0点が大半を占めたテストの結果が速報で出てから、正式な報告書が出されるまでの間に、A1-B2へと何の断りもなしに下方修正されていた。この経緯を見るに、そもそもテストの対象の設定、問題の設計、テストデザインに大きな欠陥があったと思わざるを得ない。その部分の反省が、27年度のライティングのテストで設問の順序が変わっている部分に活かされたのだろうか?だとしたら、同じ試験として評価・分析するのに無理があるだろう。
・ そして、その二年分の「フィージビリティ調査」の結果に基づいて、新課程の科目再編の叩き台が作られているとしたら、少なくとも、「書くこと」においては、現行指導要領下での教育成果の評価分析が適切になされていないわけであるから、その不適切な根底・前提に基づいた全ての議論は、新課程の立案に活かされるべきではない。
・ 以上の観点から、現在の「叩き台」で示されている、2020年という合理的整合性のないタイムリミットに基づく計画は一旦白紙に戻して、書くこと、話すことの「専門家」である大学の研究者の知見を取り入れると共に、高校現場での実践者たる優秀な教員の助言のもとに、「書くこと」に関するきちんとしたテストを設計・実施し、再検討すべきである。

以上です。

パブリックコメントの受付は今月7日まで。お急ぎ下さい。

「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」に関するパブリックコメント(意見公募手続)の実施について

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000847&Mode=0

「意見提出フォーム」を開くと、ブラウザによっては「証明書が信頼できません」といってエラーメッセージが出る場合があります。私の場合、火狐ではエラー、クロームではOKでした。

フォームでの入力の際は、「機種依存文字」がエラー扱いになります。分類番号は丸数字で示されていますが、丸数字ははねられてしまうので、お気をつけ下さい。

ことばの器、ひとの器

tmrowing2016-09-26

またまた久々の更新となりました。
この間のエポックといえば、何といっても、全英連で指導助言をお願いしている京都大学の田地野彰先生に授業を見ていただいたことでしょう。
これまでにも、あれこれ行ってきた「活動」をDVDで見ていただいてはいましたが、実際に教室でどのような「学び」が生じているのか、あるいは生じていないのかを見てもらうことの意味は大きいですね。
今回は、意味順のプロジェクトを田地野先生と一緒に進めている、豊橋技術科学大学の笹尾洋介先生も遥々山口まで来ていただきました。
文化祭の準備など、時間割の都合で、高1と高3の授業と土曜日課外を見ていただき、高1の(再)入門期にあたる、単文での「意味順」導入直後から、高校の出口に近づいたとはいえ、まだまだ中級の壁の厚い、高3での「つながりとまとまり」のある英文産出での、「あんなこと」「こんなこと」「そんなこと」まで。

今回の全英連で扱うメインは、高3の「つながりとまとまり」ということですが、そこに至る様々なアプローチ、ベースとなるものが高1の授業の中で種として撒かれていたり、畑の土として耕され続けたりしていますので、高1も見ていただいて本当に良かったと思っています。

詳しいことは、11月に山口に来ていただくとして、高1の授業日誌から。
「キング牧師」の話を読んだり、「チャンク切り出し可変」での対面リピートをしたりした後で、「意味順」のテキストと連動して、既習事項との対比を主として、所謂「不定詞」による名詞句の限定表現と、動詞want, tell, askの用法を整理している時に出た、生徒の疑問から二つ。

ひとつは、「こっちでは be なのに、どうしてここでは become なのか?」
もう一つは、「同じ『何か』なのに、こっちではsomething で、どうしてここではanythingなのか?」

どんな文(文章)での疑問か、分かりますか?
教師であれば、また教師でなくとも、既に一定の英語力を身につけた人には、「なぜそんな疑問を?」と思うような質問ですが、本人、当人はいたって真面目です。

何を見て、何に意識が注力され、何を見ていないか、何を見逃しているか。

野球での見逃し三振とは違って、学びにおける「見逃し」は、自分ではなかなか気づかないものです。

  • いや、だって、ここに気づきさえすれば簡単じゃない!

と言っても、そういったポイントをことごとく見逃し続けて、気づき損なって来て、今に至るわけですから。

見えていなかったその「何か」に気づかせる、可視化する仕組み、として「意味順」は可能性を秘めていると思いますよ。


一つ目の疑問に対して私が答えたのは、

be動詞は「です」以外にも、「ある・いる」という存在や、「なる」という変化を表わすこともできる。この変化での「なる」の仲間には、become, get, turn などがある。
I want to のあととか My dream is to のあとに続ける動詞(の原形)には、個人的には、becomeよりも beを使っている。

こんなグラフを見せなくても、まあ、分かってもらえたと思います。


be vs. become.png 直

補足したのは、次の例文。これは次回以降への伏線を張る目論み、欲目です。

Don’t forget to be here at 8:30 tomorrow. という文は、「いまここ」にいる人に向かっての指示。一旦解散し、帰宅してから、明日「再び」ここへ集合する、ということだから、ここでのbeは単なる「存在」ではなく、「移動」とか「到着」という意味を表わしている。

二つ目の疑問に対しては、まず、「助動詞の番付表」で「平幕」と読んでいる助動詞の do の働きを説明。そこから、

some は「思惑」で「枠」を設定するのに対して、anyは「ゼロでなければ何でもアリ」。この文の場合、not がanyを否定するから、「ゼロ以外は何でもアリ」を否定したら、「ゼロ以外は何もなし」つまり「ゼロ」ということ。

という展開。折角、生徒から疑問が出たのに、クラスに投げ返して皆で考えたりしないで、教師の一方的な解説です。全然、「アクティブラーニング」的なことはやりませんでした。だって、ここはメインのターゲットじゃないですから。「何に気づき損なっていたのか」に気づくために「何を見えるようにしてやるのか」ということです。

クラスに投げ返すのはそこから、

砂漠で遭難したことがある人?

お小遣いの値上げ額が1円で喜べる?

という質問を浴びせて、異なる場面で、自分の理解を試す機会を設けました。それでも、骨折り損のくたびれ儲け、で終わる生徒がいない保証はありません。そういうものですよ、授業って。

『意味順テキスト』のトレーニング問題の音読を経て、小学校での「英語」に関するアンケートをとって、次回への伏線を張り終了。


高3は、シラバス上はa descriptive paragraph [passage] ということで、定番の「福袋」課題と、そのためのアイデアジェネレーションの手法である、cubingへの習熟、が狙いです。
この前には DCT (discourse completion task) もいろいろやっていますが、今回は、グループ課題、ペア課題で和文英訳。

参考資料として、所謂「アニメオタク」が世界から買いに来る福袋のニュースとか、オンラインストアでの福袋の説明など、英文の記事を与え、そこから、使えそうな表現を拾い集めることを求めています。
とはいえ、直ぐにまとまった英文が完成するほど習熟度は高くありませんから、辞書の用例などをまとめてプリントアウトしています。

アプリ辞書で「物書堂」の辞書は、用例検索で、英文と和文のキーワードを同時に入れて絞り込めるので、ヒットした用例をスクリーンショットに撮ってプリントアウト。良い時代です。

当然の如く、私が授業を立案する際に想定した「英文」はあるわけですが、その想定のナナメ上に行く生徒(ペア)も出てきますから、頑張り甲斐はありますよね。

今回は、

  • Consumers choose and buy fukubukuro before they know what is in it.
  • They can tell their fortune for the year when they open it.

なんていう英文も出てきました。主語や人称代名詞は、前後のつながりとまとまりを眺めて修正していく必要がありますが、それもまた「意味順スロット」に入れることで「見えて」来ますから、四角化が身についていると、意味順が更に活きますよね。

田地野先生、笹尾先生と楽しく「反省会」も開いて、緊張と充実の授業参観の週末も終了。
今まで知らなかったあれやこれやの話もお聞きしましたが、何を聞いたかは「ナイショなのさ」。

田地野先生、笹尾先生、本当にありがとうございました。

今回、久しぶりに自分の授業を「生」で見てもらって、「良い授業」「良い実作」を積み重ねていくしかないな、という思いを強くしました。

生徒が自分の英語を創り育てる場が授業であり、そういう授業が成立するには、教師の「言語観」が重要な意味を持つと思います。「意味順」を授業に活かすには、まず教師の頭と心を柔軟にすることから。

笹尾先生には語彙研究の専門家の立場から、生徒にも学習上のアドバイスを頂いただけではなく、私の質問にも答えて頂けて本当に感謝しています。

田地野先生の「笹尾先生は覚え方の専門家、私は忘れ方の専門家」というジョークに皆笑っていましたが、「でも、人間の脳は、覚えた以上に忘れることはできない。うまくできてますよね。」という言葉には、癒しというか、赦しがあるなあ、と実感しました。

田地野先生は学問の探求には厳しいが、生徒の学びを見る目は優しい人なのだな、という思いもあらたに。人としての器に余裕があるからこそ、とも。

全英連まで、残りひと月半。私が一番楽しみにしていますかね。
縁がありましたら、山口でお会いしましょう。

本日のBGM: Can't Give You Anything (But My Love) / ムジカ・ピッコリーノ『Mr. グレープフルーツのブートラジオ』より

別冊と別格

tmrowing2016-09-17

9月に入って、学校行事と台風でなかなか授業は進まないと悩んでいたら、更なる台風が迫ってきているというので、ムリせず安全運転を心掛けています。
来週は田地野先生も授業視察に来られるので、全英連に向けて、成果(らしきもの)と課題を少し明確にできればと思っています。

高3は、ここまで受験対策の演習らしいことをしてこなかったのですが、今週は「語法」を取り上げています。

もともとは高2の、所謂「準動詞」の指導で作っていた資料に、今春の卒業生が最後まで克服できなかった項目を加味して、高3用に作り直したものをベースに授業しています。

『グラセン和英』の巻末にある「基本文型表」を、丁寧に切り離して、持ち運びできるようにする作業から。
「別冊」付録にしてしまうわけですね。
紙が上質になったためか、薄くなり、以前よりも多くのページ数を束で綴じられるようになったのでしょうか。旧版と、切り取れる頁がちょっと変わったように思います。現行の第3版では、「ろ」の最初から切り離しになりますね。

「基本文型表」から動詞を中心とした項目を取り上げて、意味と例文の確認。異なる形合わせとその背景を解説。
並行して、綿貫陽『英語語法の征服(改訂版)』(旺文社、1996年)から、該当する項目を抜きだし、例文と解説を照らし合わせています。

suggest
admit
insist (on)
recommend

などがテストで問われる際には、<主節の動詞が過去形で、従節の主語が三人称単数形>というお膳立てが多く見られます。そして、従節の述部・動詞句にあたる選択肢に should原形 や直説法で現在時制の動詞句がなく、原形のみが正解となるように作られていたりします。泣きたくなりますよね。

あなたが insist する時、「主張する」ならどんな場面で誰に何を言う時で、「強要」するとしたら、どんな場面で誰に何を言う時?

というようなリアリティを感じる余裕もなく、上述の情報を処理して瞬殺で正答を得る生徒が「偏差値の高い」生徒と見做される英語教室は、そろそろ無くなって欲しいものです。

私のiPadのアプリ辞書には「物書堂」のものが入っているので、用例検索。

主張 insist

を入れると、6例ヒットします。そのうち1つは、insistence なので、除外して5例の日本語訳を。

私たちはメリーが指導者に選ばれるべきだと主張した。
その権威者はこれはある王の墓であると熱っぽく主張した。
ジョンは自分の無罪を主張している。
自己の権利を主張する
彼は無実を主張した。

5例しかヒットせず、そのうち2つはほぼ同じ。insistで「主張する」って、あんまり活躍できそうにないことばなのでしょうか?
もう一方の「強要する」「強く要求する」はどうでしょうか?
「強要」とinsistで検索しても、一例もヒットしません。「強」だけで検索すると、

insistence
insistent
insistently

の例が5例のみ。

insist のみの検索で現れる例を丁寧に篩にかけていくと、

そのレンタルビデオ屋は彼に紛失したビデオを弁償するよう要求した。
彼女は私にもう少し長くいてとせがんだ。
そこへ行くことにアンはこだわった。
私はメリーが一人でそこに行くべきではないと言い張った。
彼は私と一緒に行くと言ってきかなかった。
彼はもう1割まけてと頑張った。

という現実味が少し増したような例が見つかります。困ったことに、例文の訳語が全部異なります。これらを全て統合して insist の語義を掴み、語法を整理するには結構センスがいるのではないかと思います。

「物書堂」には『コウビルド英英和』の米語版もあります。そちらで「主張する」とinsistの二語で検索してみました。

なんと、28例のヒット。「主張」の内容も様々です。これだけ多いと、そのことばの「生息域」も感じられるかも知れません。いくつかかいつまんで見てみます。

停戦の条件がそろわない限り、その紛争は止まないと彼は主張した。
政府は景気回復には信頼感が前提条件であると主張した。
労働者たちは新しい制度には柔軟性がなさ過ぎると主張した。
大統領は、彼は同情の念から行動しているのであって、政治的なご都合主義からではないと主張した。
彼はこれらの写真は芸術ではなくわいせつ物だと主張しました。
私たちは最終的に彼は精神科の助けを求めるべきだと主張した。
ショーン・コネリーは新作映画のスタントを危険をかけて自分で演じると主張した。

「主張」という訳語がつく例文であれば、『グラセン和英』で「強く要求する」に該当する例も、この検索で一緒に出てき(てしまい)ます。
実際の英文で「語法」を分けても、「日本語訳」をつけてしまうと同じになるのでは、使い分けは難しいですよね。
コウビルドの定義だと、
「強く要求する」が先で、

If you insist that something should be done, you say so very firmly and refuse to give in about it. If you insist on something, you say firmly that it must be done or provided.

とあり、「主張する」には、

If you insist that something is the case, you say so very firmly and refuse to say otherwise, even though other people do not believe you.

という定義があります。

「○○はありますぅっ!」という場合は、きっと、この後者の定義に当て嵌まるでしょうね。



今回の「語法」の吟味は、問題を解くのではなく、例文の比較で意味を実感することが狙いです。

昨日は、さらに、基本語の「イメージ」「フィーリング」という切り口で、『エースクラウン』(三省堂)のフォーカス頁にある図解を確認しました。

所謂「基本動詞」や、前置詞・不変化詞は『エースクラウン』のフォーカス頁はかなり良くできていると思うのですが、

avoid
escape
escape from

などでは、図解はありません。
では、どう実感するか?

学級文庫にある『政村本』の図解と比較をしてみました。
いや、これらの語句にも図解や解説があるのですよ、『政村本』には。
生徒も、改めて『政村本』の凄さを感じたことと思います。
「別格」ですね。
語義を実感するための、他の語句と識別・区別するための、現時点での補助輪・補助線としても機能するし、これからの英語学習に役立つ、転ばぬ先の杖にもなるかもしれません。

そんな『政村本』ですが、出版社の事情で、現在絶版です。

図解 英語基本語義辞典

図解 英語基本語義辞典

なるべくしてなる絶版も確かにありますが、今目の前にある、流通している良書をちゃんと見つけて、見極めることのできる人が少ないうちは、トンデモ本を掴まされ、躍らされ、英語力は頭打ち、という物語りがいろんなところで展開されているのではないかと思います。残念なことです。

先日、「呟き」の方で、アンケートをとってみました。
全て私が持っていて、高く評価している絶版本です。(1冊、オンデマンドで製本依頼が可能なものを含みます)

英文解釈・英文読解

[file:tmrowing:解釈読解復刊希望.jpg]

英文法

[file:tmrowing:英文法復刊希望.jpg]

英作文

[file:tmrowing:英作文復刊希望.jpg]

それぞれでの絶版書で復刊を希望するもの、の投票結果です。
懐古に耽るためにアンケートをとったわけではありません。
英語本、英語教材を見る「目利き」に求められる資質を、絶版本の評価で伺い知ろうと言う目論みです。

この「呟き」のアンケートでは、「高3英語力調査」に関連したものもほぼ同じ時期に行っています。
そちらの結果は、また日を改めて。

本日はこの辺りで。

本日のBGM: Open Book (Stephen Duffy and Lilac Time)

晩成者

以前にも、嬉しい便りが舞い込み、紹介したことがありました(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20110615)が、先日、こんな便りが届いたので、ご本人の了解を得てご紹介。個人情報に深く関わる部分は非明示的に、あるいは部分的に修正しています。

松井先生

こんばんは。突然のご連絡失礼いたします。

ある日、FBで偶然、松井先生がKECの投稿にlikeされていたのを目にして、もしかしたら、あの松井先生では?と思い、えみさんにご連絡をしてみたら、本当に松井先生ご本人だった、ということでその後、松井先生ブログを拝見しております◯◯高校◯期生、元軽音部のXXXと申します。

NYの神谷えみさんとは、以前私がフリーランスの△△△をしておりました20XX年に、□□□をご依頼いただいたことがきっかけでお世話になっております。

私は英語が好きで学びたいと思い、◯◯高を志願したのですが入学早々に英語に躓いてしまいまして、松井先生がご担当されていらした上級向け、かつ、とても充実した英語クラスを受講できるまでのレベルに至らず、当時軽音部の顧問だった英語科のK先生を訪ねた際に、英語だけでなく、音楽とドリカム (母校が一緒、でしたよね?) と紺野美沙子さんLOVEな松井先生のまた違った一面を拝見して、毎回ほっこりした気持ちになりつつ、職員室を後にしたのを今でも覚えております。

ちなみに高校卒業後、とあるバンドに影響を受けて私自身8年ほど音楽活動をしておりましたが、そのバンド、benzoの平泉光司さんが松井先生と繋がりがあられることをひょんなことから知りまして、これまた人の繋がりや出会いってすごいなぁなんて勝手に感動しておりました。

話が脱線しすぎてすみません…。

n 歳になった私は、結局思うように英語が伸びなかったのですが、それでもまた、英語を改めて学びたいと思い、高校の頃に使っていたテキストなどを引っ張り出しつつ、松井先生がブログに掲載されているオリジナル教材を使わせていただきながら、コツコツと英語に向き合っております。

先生がご異動された後も、先生の授業を受けてみたかったと思っていたのですが、実際の授業とはいかなくとも、こうして松井先生の教材に触れて学べたり、先生の英語に対する思いが拝見出来るブログに出会えたこと、とても嬉しく感じております。

いま、台湾で仕事をしておりまして、英語も中国語も中途半端な私ですが、もっと自由に母国語以外の言語というツールを使って、よりスムーズにコミュニケーションが取れ、様々な情報を得て視野を広く持てるような人間になれたらと思っています。

いつも充実した内容を発信してくださってありがとうございます。
これからも先生のブログ、楽しみにしております。

長文失礼いたしました。

XXX

ありがたいことばです。
私は彼女のクラスは受け持っていなかったと思うのですが、その後のメールのやりとりで、担当はしていなかったことを確認。ただ、一度だけ、教科担当者の出張か何かで、彼女のクラスに「代講」に行ったことがあり、授業をしたことがあったとのこと。しかも、その時の授業の様子を覚えていてくれたこともまた嬉しかったことのひとつですね。

私から彼女へのメールには、こんなことを書いていました。

語学は、ある程度人生経験を積んでから取り組んでみると、意外にスッとハードルをクリアできたりもするので、ネット上に良質の素材が転がっている今の時代は、学校に縛られない学び、運用の可能性が開けていると思います。

以前から感じていたことではありますが、最近は結構本気でこう思っています。
とかく「テスト依存」で、せっかく目の前に学ぶべき「師」、同じ時空を共有している「学び手」としての同輩がいるのに、その環境を活かせないのというのは、中高生の年代ではもうしかたないことなのかもしれません。

でも、「おとな」になってからも、テストに縛られる必要は全くないと思うのです。
ただ、やり直し、仕切り直し、学び直しをしようという時に、「何が英語ということばの肝なのか?」「英語ということばの生態、運動性能、生息域とは?」で、やはり悩むことが多々あろうと思うのです。生徒には「悩み処では悩み、躓き所では躓いておきなさい」とは言っていますが、そんな時に、悩みからの一歩、立ち上がってからの一歩を踏み出す拠り所として、私のブログで紹介している「教材・学習材」や、授業での取り組み、解説などが役に立つことがあるのなら、本当に幸せます。
今後ともよろしくお願いいたします。

そうそう、
benzoにインスパイアされたというのも素晴らしいです。
因に、私が世界で2番目に好きなベーシストが伊賀航さんです。


さて、
台風の影響と体育祭の準備で、授業のコマ数が減った今週ですが、「いまここ」の実作も紹介して本日は終了。

毎年高2あたりで整理している項目だけれど、今年は高2の2学期早々の授業で扱いました。

準動詞の肝2016.pdf 直

同じものを「呟き」の方でも紹介していて、結構な反応があり驚いています。まあ、私の授業では「書き換え」とかやりませんからね。所謂「分詞構文」の扱いも、書き換えばかりやっていたら、ことばのセンスがどんどん劣化していくと思いますよ。


高3の「クリエイティブ英語」は、descriptive passage の概論。
Discourse Completion Tasks と「イカソーメン&シャトルラン」を経て(というか、シャトルランよろしく、行ったり来たりして)、ライティングと向き合う時間です。

descriptive passage とcubing.pdf 直

そういえば、私のライティングのシラバスが、今のような「テクストタイプ別の指導&テクストタイプに応じたそれぞれのアイデアジェネレーションからプロセスアプローチ」という形におちついたのが、XXXさんの高校で教えていた頃でした。

さりとて回顧に耽らず、暖かいとろろ蕎麦を食べて、いつものように就寝。
明日はリハーサルだけど、天気が心配。

本日のBGM: 雨は手のひらにいっぱい(2015 Remix) / Sugar Babe

”because you turned me upside down”

リオ五輪も終了。夏期課外講座も、夏期休業中の担当分は終了。
五輪については、競技スポーツのコーチとしてイロイロと感じることがありますので、また日を改めて書こうと思います。

今日は、生業の課外の振り返り。

高2の学級文庫活用がどの程度だったかは二学期の授業での生徒諸君の取り組みが教えてくれることでしょう。

私の場合は「名詞句の限定表現」から「助動詞と時制・相・態」に進みつつ、「意味順」を文法指導の中心に据えてシラバスを組んでいるわけですが、意味順のそれぞれの「スロット」に、どの語(句)を入れるのか、での悩み処というのは当然出て来るわけです。

高1の時の「虫の目」で、「そういうものなのかなぁ…」と渋々扱ってきた言語材料も、高2になって、同じ虫でも森の高台に立って見晴らしを得た段階や、鳥までは行かずとも、羽を持ち少し高く飛べるようになった虫なら「見える」ものがいろいろ出て来ます。

例えば、

慣用表現で覚えていて使いこなしているであろう、

  • Where are you from?

という表現も、「文」の構造として、意味順のスロットに入れる時に、ちょっと「ムムっ」となります。「どどいつ」の「どこ」にあたる <前置詞+名詞>のうちの、名詞だけが疑問詞として文頭の「玉手箱」へと移動するわけですから。
意味も分かっていて、使えるけれども、「しくみ」を問われると、ちょっとドマドマする例でしょう。
一方、「しくみ」としては、いたって簡単な次の例はどうでしょうか?

  • Where are you?
  • Where are we?

「どどいつ」としての<副詞>の扱いですから、あまり悩まずにスロットに投入可能でしょう。でも、このそれぞれの文の生息域は実感できているでしょうか?誰が、誰に対して、どこで、いつ、どんな風に、どうして言っている文なのか?

答えになるかどうかわかりませんが、私の授業での定番教材は『オズの魔法使い』なんですよ、とだけ言っておきます。


単純な「しくみ」としては、「受け身」「受動態」の文での、前置詞の扱いも「悩み処」でしょう。

  • People all over the world were surprised at the news.

で、述部の「する・です」の動詞句のスロットに何を入れるか?です。
生徒には、

a. were surprised at を「する・です」スロットに入れて、その次の「だれ・なに」スロットに the news を入れる。
b. 「する・です」スロットには were surprisedだけを入れて、その次の「だれ・なに」スロットはとばして「どどいつ」のスロットに at the newsを入れる。

という二つの「案」を示して考えさせています。
私の授業では「どどいつ」と読んでいる「副詞(句・節)」の中には、「どうして?」に相当する語句も入りますので、

  • I’m so glad to meet you.

という英文での、 to meet you は「うれしい」のは「どうして?」の合いの手を入れて、「どどいつ」のスロットに入れていますから、ある程度英語の姿が見えてきた高2(あくまでも私が今教えているクラスの話ですよ)だと、上述の受け身も、プランbの方が「頷くことの多い」考え方となります。
当然、when やbecause などの接続詞に導かれる「副詞節」も、この延長線上で扱うことになります。

接続詞で文が長くなると、「意味順」では、「二階建て」や「三階建て」にするわけですが、住宅建築とは違って、下に階を重ねていくことになります。これは、私も慣れるのにちょっと苦労しました。副詞節の場合は、並び順で最後のスロットである「どどいつ」のスロットに接続詞だけが入り、その下の階に、SVが並ぶことになるので、建て増し増し…していくことになります。ここが悩み処です。

  • On July 20, 1969, as the whole world was watching, Neil Armstrong left his spaceship and walked on the moon.

文としては、頭にある「イントロ」や「スポットライト」の「どどいつ」を扱う際、一番右のスロットに入れるのに抵抗があったりします。「玉手箱」としてのスロットを使う場合に、副詞節を導く接続詞を入れるか入れないか、も悩みます。
この文の場合に

  • on July 20m 1969 と as SV は同じ「どどいつ」のスロットに入れるのか?
  • 等位接続詞のand を玉手箱に入れるとしたら、 as SV も 玉手箱でいいのではないか?

ということを考えた上で、 最小限の建て増しで済むように、as SVのas は玉手箱を使っています。

その場合に、as と and の機能の差を、どのスロットに入るかのみで識別することが困難になるので、私の授業では、接続詞は○で囲む、という補助的な記号付けをすることと、並列やペアはナンバリングをすることで対処しています。

文頭の接続詞が if やbecause の場合には、「どどいつ」での「どうして」や「どのように」「どんなふうに」「どれくらい」という日本語の「意味」がうまくあてはまらないので、「玉手箱」を用意して、スムーズに文をスタートしておくことの方が大事かな、というのが現状認識です。

こんな手順で進んでいくと、ある程度進んで、振り返り、見渡し、見晴らして「それまでのルール」を修正していくことを余儀無くされるのですが、多くの学習者にとって、(さらには、少なからぬ指導者にとっても)これはなかなか「キツイ」のだろうな、とは思っています。ただ、言葉の学び、ってそうやって、アップデートしていくものなのでね。「デジタルネイティブ世代」で、アプリが頻繁に更新されるのに慣れている生徒には理解可能な比喩かな、とも思います。


今年度の高3は、DCTを一度経験してから、「イカソーメン」と「副詞節シリーズ、マッチングでの対面リピート」をやっています。

イカソーメンは、「つなぎ語」が多用されていなくても、「この順番で並べないとダメだよね」ということが分かる「素材文」を用意することが大事です。
今回イカソーメン導入に使ったのは、こちら。

Title: The enemy, man
0. Man is an enemy to many animals.
1. Baby seals are caught and killed for their skins.
2. Crocodiles are also caught and their skins are used for handbags and shoes.
3. Elephants are destroyed for their ivory that is used for jewelry.
4. Whales are hunted for their oil.
5. Whole species are being endangered for fashion or human desire.
(Ruth Wajnryb (1990). Grammar Dictationより一部改編)

0を提示して、1から5までを整序させるか、0から6までを整序させるかは、グループの人数にあわせて微調整します。

Generalな情報提供 からspecificな具体例での「列挙」の部分の処理をした上で、「まとまり」を作る最後の文へと繋げることができるか、を見ています。
このパラグラフだと、動物の例は、大きさを基準として、小から大へ、という順序となっています。

次の例では、締めくくりへと向かう最後の3文の並べ方が大事です。
(Ruth Wajnryb (1990). Grammar Dictation より一部改編)

Title: Yuri Gagarin

0. It is nearly fifty-five years since man’s first flight into space.

1. This was performed by the Russian, Yuri Gagarin, a farmer’s son and father of two.

2. Gagarin became a hero not only to the Russians but also all over the world.

3. His life was cut short in a tragic plane crash in 1968.

4. However, his name is kept alive in the many streets and parks.

5. They were named to show great respect for him.

オリジナルでは、最後の2文は関係代名詞を使った簡潔な一文で示されていましたので、整序完成したあとで比較検討です。howeverでの対比での焦点を考えると、関係代名詞を使うことで、メインの動詞の時制が遡らずに締めくくることの出来るオリジナルの方が優れていると思います。

  • However, his name is kept alive in the many streets and parks that were named in his honor.

とまあ、こんな具合に「つながりとまとまり」を行きつ戻りつですね。

副詞節のマッチングに関しては、過去ログの、

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20151028

や、有嶋宏一先生のブログなどをご覧下さい。

http://arishima.hatenadiary.jp/entry/2015/01/18/072726

本日はこの辺で。

本日のBGM: Yesterday, when I was drunk (Gangway)

「素晴らしき世界」のために

リオデジャネイロ五輪も佳境。

日本代表のメダルの数に一喜一憂するのはメディアにまかせて、スポーツ人たる者、どの国の選手であれ、良いパフォーマンスに拍手を送り、勝利を祝い、健闘を讃えたいものです。
ネットでの記録動画配信やアプリで放送と同時に配信というこれまでの五輪では経験できなかった「見方」ができた大会でもありました。国に拘らず、全競技全試合オンデマンド視聴とかができる日も近いでしょうか。巨額の放映権料を考えれば、CMの広告収入に頼るより確実ではないかとも思います。
私の本業でもあるボート競技は、男女とも軽量級ダブルスカルという種目に出漕。女子が12位、男子が15位という結果に終わっています。日本で最も速いクルーが五輪に臨んでの結果ですから、真摯に受け止めつつ、選手、コーチングスタッフ、バックヤードのスタッフにお疲れさまでした、と言いたい気持ちです。
今大会で個人的に一番注目していたのは陸上の男子100mに出場した山縣亮太選手でした。前回のロンドン五輪から4年越しで自己ベスト更新。決勝進出はなりませんでしたが、インタビューでの受け答えも、自己分析・自己評価が的確で爽やか。「大人だな」という印象で、人間としての成長がパフォーマンスの安定を生む好例だと思いました。東京五輪(がもし予定通り開催されればの話ですが)まで続けてくれると嬉しいですね。


さて、
英語教育関連分野で、「小学校英語教育」とでもいうカテゴリーがあります。「児童英語」とか「早期英語」ではなく、「小学校英語」。そうです、公教育の中に正式に位置づけられた「英語教育」に関する一連の理論、実践と議論です。
このブログで私が主として発言しているのは、「小学校英語教育」の中でも「文字指導」、とりわけ「手書き文字の指導」に関してでしたが、最近のメディアを賑わす文科省、教育界の動きを見ていると、危惧が募ります。

絵に描いた餅はそれなりに美味しそうに見えるかも知れません。

小学校部会におけるこれまでの議論のとりまとめ(案)(2016年3月)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/074/siryo/attach/1368818.htm

2016年5月27日 教育課程部会小学校部会参考資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/074/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/06/13/1371955_14_3_1.pdf

小学校5年、6年の2学年分は「教科」化を目論んでいます(「教科化」は、ワーキンググループの叩き台がまとまって、ユーシキシャ会議からの提言、モンカ大臣に諮問とか答申するとかの途中であって、まだ何も正式には決まっていないというのが私の認識なんですけれど…)。しかも、それぞれ、週2時間に増やして年間70時間にする、というのです。当然、新たに35時間分を確保する必要があります。教えることは増えたのに、入れ物の容量を増やさなければ「中身は入らない」のが道理でしょう。
「外国語活動」を前倒しで入れることを目論んでいる3年生、4年生では、週1時間、年間35時間相当を新たに確保することになります。
ところが、「週28時間」という時間割の中に、増えた分が収まらないのです。
公教育での英語教育に関わって、英語力フィージビリティ調査、高大接続での外部試験など、大きなマーケットを見越している(というか現時点でかなり大きなマーケットとなっている)B社のサイトにこんな記事が載っていました。2016年4月13日にアップされています。(リンク切れの際はご容赦を)

2020年度からの小学校英語 増加分は朝や土曜日、夏・冬休みに!?
http://benesse.jp/kyouiku/201604/20160413-1.html

入れ物の容量は増えないので、すき間に入れられるように「モジュール化」を図るのだそうです。それって図るじゃなくて「諮る」じゃないの?と思いますよ。
その後、中学年での「読み聞かせ」教材案が文科省サイトで公開されるタイミングで、昨年の段階で既に出ていた高学年での「文字指導」教材も、新たに公開されたかのように揃ってアップされていました。

中学年
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1370103.htm
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/02/1370109_1_1.pdf

高学年
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1355637.htm

このような「センモンカ」による、度重なる審議のまとめが、8月1日にリリースされました。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/1375316.htm

そのまとめの発表を受け手、文科省の担当責任者はこんなことを言っています。(8月12日付、『教育新聞』電子版より)

次期学習指導要領審議まとめ案 合田教育課程課長に聞く(2)
https://www.kyobun.co.jp/news/20160812_01/

そういった背景を踏まえ、「小学校英語の教科化」「新指導要領での時間割」に関連して、私の呟いたこのツイートが2日間で、200RT、150いいね、を超えました。

これまで小学校の先生が教科として教えてきたことで、新たになくなるものってどれ位あるの?下世話な話ですが、もし減らないのなら、英語を増やした分、給料が上がって当然だと思うんですよね。 人と予算と時間を考慮していない「教育課程」の改革や「指導要領」の改訂は、いつも現場にしわ寄せです。
https://twitter.com/tmrowing/status/764742781038305280

普段の英語教育関連の情報発信では届かないところへのリーチがあったということでしょう。
朝や帰りのHR前後、昼休みの前後とかのすき間、ニッチに「モジュール」を入れようにも、にっちもさっちもいかない現場が多いことを伺わせる反応・反響です。
新聞、TVなどの大(手)メディアでは、「平日5日間、1限から6限まで、といった物理的な時間を無視した暴論」という論調には全くなっていません。

  • 人・金・時間

の工面・調達は現場に丸投げでは上手くいくわけがありません。

物的・金銭的支援や人的加配のある研究指定校や地域の拠点校、特区にてとっくに専科教員対応をしているような学校ではない、一般の現場の声をもっと広く知らしめることが大事でしょう。
先日も、私の地元で「国際交流」というキーワードのつく催し物があったとローカルニュースが報じていたのですが、キーワードが「国際交流」なのに、中国の教育事情を視察してきた人の報告で「中国は小学校の1年生から英語を…」などということばが出て、それをフロアで聞いていた人がインタビューで、「やっぱり日本も小学校から英語を…」などと答えているところだけが切り取られているのを見るにつけ、「国際交流」が上手くいかない責任を「英語教育」に転嫁するなよ、「国際交流そのもの」を語れよ、と思います。
いったい、いつまで、「中国がががが…」、「韓国がががが…」、「フィンランドがががが…」、「ロシアがががが…」と国内の事情や実態を踏まえない、先進諸国のレポートをし続けるつもりなんだろうか、と思います。
中国に限って考えるとしても、彼の国の人口を日本の10倍と仮定してみましょう。学齢期の児童1学年であの広い国土の中に約1000万人いるわけです。仮に日本と同様に小学校が1年から6年まであるとすれば、小学生の総数は6000万人です。その6000万人に対して、どのように教科書や辞書を遍く行きわたらせているのか?教科書検定は?印刷製本はどうしているのか?ましてやICTや反転授業で使うタブレットなどはどのように調達・配布しているのか?教師養成は?全国的な英語力テストは?
私がぱっと思いつくだけでも、たくさんの「?」をクリアーしなければ、日本の土壌に移植などできません。
英語教育の文脈に引き寄せるにしても、東アジアでの比較とか「競争」をキレイさっぱりと忘れて、

・10年前はTOEFLのスコアでそれほど差のなかったイタリアと、この10年でなぜ、差がついたのか?
・中東のイランや、南米のチリなど、ELTやTESOLさらにはSLAの研究成果が、どのように国内の教育政策に活かされているのか?

みたいな目の付け所で調査した方が、現状を改善するヒントが得られるような気がしています。

「にっちもさっちも…」の話に戻ると、大阪では、モジュール用に作られたフォニクスのDVD教材を1年〜6年まで使う計画らしいですが、教えられる先生がいないので代わりにDVDを流せば解決する問題ではないでしょう。
開発に着手、というニュースリリースは2014年でした。

mpi松香フォニックス/大阪府と共同で英語学習パッケージの共同開発
http://ict-enews.net/2014/09/18mpi-j/

大阪府の公表が2016年4月。

大阪府公立小学校英語学習6カ年プログラム(Dream)
http://www.pref.osaka.lg.jp/shochugakko/dream/

この教材の開発にあたったMPIは教材として同じものを市販するそうです。大阪で上手くいけば、他の自治体でも採用を検討するだろうという「皮算用」ですね。このニュースは6月です。

内田洋行、小学校英語の「短時間学習」に対応したコンテンツ「小学校英語 SWITCH ON!」を提供開始〜教育のICT化に対応して教育用コンテンツ配信サービス「EduMall」で提供〜
http://www.uchida.co.jp/company/news/press/160617.html

いやー、この「内田洋行」っていうのが気になります。
学校買い取りのパッケージ版の単価が、1学年分で6万円。現在計画中の「教科化」で、3年生から使い始めるとしても、4学年分で1校当たり24万円。全国に公立の小学校は約2万校ありますから、その5%のシェアを取れば1000校。2億4千万の売り上げになる商品ですよ。そりゃ、盛り上がりますよね。将来、小学校1年生からになったら?シェアが増えたら?公教育で何か新しいことをやる時の「特需」があるのは分かるんですけどね。

直山木綿子 英語教育改革を語る。 〜3年間の外国語活動、その成果と課題を踏まえた改革です。
https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,20218,12,html

直山木綿子さんって、文科省で「小学校英語教育」の中心にいる人ですから。その人の思いを熱く語っている、このサイト、どこがやっていると思いますか?
名前こそ、「学びの場.com」ですけれど、母体は「内田洋行 教育総合研究所」ですから。
ホントにこういうことで進めて、大丈夫なんですかね?

その一方で、「にっちもさっちも…」な現場は困惑し、対応に追われ、教員が疲弊していく、というマイナスのシナリオは誰も言わないんですよ。

英語教育に携わっているわけでもなく、小学校教育に携わっている訳でもない方のTwitterでの反応で、「(そんなに大変なら)とりあえず、まずは教員の抱えている事務仕事の負担を減らしては?」というようなものがありましたが、それは「教科化」とは独立並行して解決すべき問題で、おそらく具体的な施策が最後まで出てこないところではないかと思います。問題は中高でも同じですから。

そう言う部分で、教員の負担を軽減しようとは思わないのが日本の教育に関する世論なのでしょう。本当に学校教育に成果をあげて欲しいと思っているのだろうか、という気さえします。

まずは、きちんとした、正確な情報(一次資料の出典も含めて)を市民に届ける必要があります。知ってもらわないと始まりません。しかし、主要なメディアには、それが殆ど期待できない状況です。文科省筋から出てきた情報を垂れ流すだけですから。大手新聞の報道記者や論説委員などが、SNSで「今度の『記事・社説・コラム』は教育問題の核心に踏み込みました、皆さん考えて下さい」、というようなことをいうことがありますが、これも「ニュースになる」ネタしか扱いませんから。「高3英語力調査」とその結果の独り歩きに関して、何回新聞社にメールしたことか。

今回の私のツイートへの反応を見て、このような個人ブログでも、情報を出し続けることに意味があるとの思いを強くしました。

  • 小学校英語を教科化できる下準備は整っているのか?
  • 教えられる教員は確保できているのか?
  • 小学生にモジュールで教えて身につくのなら、中学校の英語もモジュールでいいのでは?
  • 教員がいないからといって「DVD」で大丈夫なのか?もし大丈夫なのであれば、中学校の英語もDVDでいいのではないのか?
  • 授業は細切れの「モジュール」をつなぎ合わせて何とかなるかも知れないが、評価はいつ、どのように行うのか?
  • 45分連続の一回の授業と、モジュールで短時間の帯で実施する授業では活動が異なるはずだけれども、その到達度の指標となるCan-doは別物として作るのか?もしその二つの物差しが別物だとすると、身についた「英語力」も異なることになるのか?

などなど、考えておくべきことは山ほどあります。しかも、もう何年も山のままです。

英語に限っての対応を考えても、専科で教える教員の資格で、英語という教科に関する「公的」と思えるものは「中学・高校の教員免許(英語)」しかないわけです。その他、民間でも何やら資格を作っていたりしますし、海外でのTEFL/TESOL系の学位が認められる自治体があるかもしれません。でも、上述のように、全国で公立小は約2万校あるんですよ。中高の英語の免許を持つ教員が専科で教える、となっても先生が足りないのは自明でしょう。

で、こういう状況や背景を、一般市民は本当に分かっていますかね?
例えば、

  • 中学校の先生は小学生を教えられるのか?しかも上手に?
  • もし専科で採用するとして、「専任」で採用できるだけの財源は各自治体にあるのか?

本当に、まずは知ること、知らしめることが大切です。

今年になって、こんなニュースを目にしました。

小学校教員のための中学校英語免許取得講習(京都外国語大学)
http://www.kufs.ac.jp/faculties/license/license2.html

小学校英語教科化に向けた専門性向上のための講習の開発・実施事業(大阪教育大学)
http://osaka-kyoiku.ac.jp/foreducator/renkei/menkyo_english28.html

事業に関する詳しいpdfはこちら。
http://osaka-kyoiku.ac.jp/_file/renkei/chiiki/menkyohou/eigo/leaf_eigo.pdf

その事業へのtrailerともいえるワークショップが近々行われます。

http://osaka-kyoiku.ac.jp/kaikakukyouka/psews.html
特別ワークショップの告知リーフレットpdfはこちら。
「教科化を前に こうして教える 小学校英語」
http://osaka-kyoiku.ac.jp/_file/kaikakukyouka/koudoka_center/psews.pdf

この大阪教育大学の告知では、次の文言が気になります。

2020(平成32)年より、小学校高学年において「外国語活動」が教科となります。大阪教育大学では、教科化を前に、「会話表現」「文字指導」「デジタル教材活用」などをテーマとした、指導に役立つテクニックを紹介するワークショップを開催します。
 「外国語活動」の指導に意欲のある方、不安のある方、また、小学校教員、中学校教員等の校種は問いません。さらに、大学生、大学院生の方もどなたでも参加可能です。

「『外国語活動』が教科となります」という部分、誰も突っ込まないんですかね?


「付け焼き刃」?
「腹に代える背」?
という印象です。なぜ、今、こんなことに躍起になっているのか?
現在の教員免許で「小学校」の「英語」というカテゴリーそのものが存在しないからです。小学校で、「総合的な学習の時間」をつかって、「英語」が取り扱われ始めたのが、2002年ですから、その頃から免許に関わる「法的制度」の整備の必要性は言われていました。必修として「外国語活動」が始まったのが2011年。そこから既に5年経っています。免許制度を改め「小学校」「英語」の教員を作ることは、英語の「教科化」と表裏一体ですから、なかなか上手くいかないことは分かっています。

そして、「小学生に英語を教えられる免許」に関わる教員免許制度の整備も新聞やTVでは、全く情報として出てこないわけですが、その一方で、過日の「フィージビリ ティテスト」の結果だけを見て、「高校3年生の英語力が『中3レベルも怪しい』のは、日本の英語教師が旧態然とした指導法や既得権に安住してダメダメだか ら」といった批判・非難も多数出て来ているわけです。「中学校の英語の教員免許をもった先生が3年間で中学生に英語力を身につけさせられず、そのまま上がった高校で、高校の英語の教員免許を持った先生が3年間さらに教えても、中学卒業段階の英語力を身につけさせられていない」のが本当だとすれば、「免許制度」そのものの見直し、ということに早晩なるでしょう。

でもそうなった時に「じゃあ、私は小中高で英語教師になろう」と思う人が(若者に限らず)どのくらいいるのか、とっても気掛かりです。

本日のBGM: What A Wonderful World (LIVE 1970, Reelin' In The Years Archives) / Louis Armstrong