中間試験終了。
祭りの後は悲喜交交。
O. Henryならずとも、悲の割合の高い人もいれば、喜の割合の高い人もいるのが世の常。自分の学びに自分で責任を持つこと。必要な「もの=学習材」、「こと=頭の働かせ方」は全て授業の中にありますから。問題は「人」。あなたの心がそこにあるか、いるか、ということでしょう。
高1と高2は、土曜日課外講座の時に試験返却。
1年生は高校生活で最初の大きな行事である、体育祭、文化祭を経ての定期試験。行事前にも、後にも「重大さ」を告知し、釘を刺していましたが、皮膚の厚い、痛覚の鈍い人、または釘抜きの扱いに長けた人もいるようで苦労します。
「呟き」でもオープンにしていましたが、高1に伝えたのは、「身につけること」の大切さ。
総合の得点(素点)は成績に直結するけれど、本当に確認しなければならないのは、何ができていて何ができていないか。正答となったものも、本当に分かっていてできたものか、ということ。
設問は大別して二種。「理解の診断」と「スキルの診断」。前者では、例えば、問1ができるなら問3が、問2ができるなら問4ができる…、というように配置。もし問2で間違えていても問4に正答が得られるなら、その瞬間に問2の拙さに気づく。そのように設問は作ってある。
だから、ただ得点だけ見て一喜一憂してもダメだし、答え合わせだけをしてもダメ。頭の中の間違った地図、またはバグのある地図アプリを修正しないと。ただ、もともと、テストの時に、自分の頭の働かせ方の間違いに気づくように、授業では様々な種を蒔いている。
注意するのは授業中に直ぐに答えを知りたがる人、自分の選択ミスにも、いつも「そっちか!」と悔しがったり、「そっちだと思ってたんだ」と、自分の頭の働かせ方の修正をしない人。あとは、「自分が慣れ親しんだ味」のする、美味しそうな所だけをつまみ食いするような人。
高2は、直前の授業までやっていた、ホワイトボードでの「副詞節」シリーズ。通称「白板のモノ」、で得点を稼いでいた者多し。
授業の根幹である「名詞は四角化で視覚化」の得手不得手がハッキリしてくるのが、次のような英文。
- I know the girl dancing on the stage before a large audience.
- I saw her standing there.
- I have a bike made in Italy.
- I have to have my watch repaired.
これらを「意味順スロット」に配置していく際の、二つ目の「だれ・なに」スロットの役割を「自分のもの」にしないとダメ。並べ方が「意味順」でわかっているなら、次は「形合わせ」に、自分のリソースを注げるようにしないと、いつまでも初歩や入門期を脱せませんよ。
高3は、昨年度、自分が高3の担任をしている時にも感じたのですが、推薦入試やAO入試など、受験を意識して「学び」が本末転倒になる者が出てくると、集団としてのパフォーマンスが急激に低下してしまいます。高1から今までに扱ってきた「教材=学習材」が身についているか、先ほど「高1」に言ったことがそのままここに跳ね返ってきます。本当は、上級生が下級生に伝えられないとマズイのですけどね。中学生の頃の自分の英語力と、高3の今の自分の英語力を比べて、それほど「英語力」としては伸びがなかった人でも、「学力=学ぶ力」を身につけて卒業してくれれば、後は自分で学べますから。
高3で、一番出来が悪かったのは、「空所なし適語補充」。靜哲人先生の開発された手法を使っています。初見で完全に正答を得るのは流石に難しいですが、初見でも出来ないことはないように作っています。
素材文は、「易しめ」の入試問題を集めた問題集から。
私が教材研究で90年代からずっとやっている、手書きのノートの写しがこちら。
時間がかかりますが、「手書き」をしているのは、まず丁寧に読むことと、著者になったつもりで表現や論理、つながりを考えてみることも狙いにしているから。
一番大事なのは、「語義」の適切・正確な理解です。辞書は英英辞典が基本。生徒が恐らく想定しているであろう「訳語」で抜け落ちてしまうところ、「迷い道くねくね」になりそうなところ、または「分かっていないけどごまかしてしまう」であろうところを、虫の目と鳥の目で見ていきます。
自宅のMBP には、World Book Dictionary とShorter Oxford Dictionary がインストールしてあるので、高3レベルでは、適宜活用。あらためて良い辞書だと思います。
廃番となった先々代の「ペリカーノ」と「オキナ」の方眼ノートのおかげでスラスラ書けるのでしょう。以前、センター試験の第6問の講評(ダメ出し)をした時にも、同様の手書きノートの画像を貼っていますので、ご笑覧あれ。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140206)
さて、
リオ五輪も終わり、本格的なフィギュアスケートのシーズンが始まっています。
ジュニアのGPシリーズは既に終了し、ファイナルを待つ段階。予想通り、日本とロシアの争いとなっています。昨シーズン、怪我で世界ジュニアを棄権した、ロシアのツルスカヤ選手を筆頭に、ザギトワ選手、グバノワ選手と、新世代の台頭著しいロシアに対する日本勢は、トリプルアクセルを跳ぶ紀平選手、「バンクーバー五輪のキム・ヨナか、ソチ五輪のソトニコワか」というくらい高さと幅のあるジャンプを跳ぶ坂本選手という希代のジャンパーに加え、土壇場でファイナル代表を勝ち取った、昨季の世界ジュニアチャンピオンとして注目の集まる本田選手。
シニアのGPS開幕戦である、スケートアメリカでは、日本選手も大活躍。男子シングルで優勝した宇野選手、女子シングルで3位に入った三原選手だけではありません。ショートとフリーで同じ曲を使うという注目のプログラムを演じた浅田選手。3Aを回避して、ステップなどで持ち味を発揮しましたが、会場の歓声とは裏腹に、ジャッジにはまだ高い評価では迎えてもらっていないようです。
男子シングルの優勝は日本の宇野選手でしたが、アメリカのブラウン選手、リッポン選手、ロシアのヴォロノフ選手、コフトゥン選手など、「4回転新時代」と煽らなくても、フリーでは充分に見ごたえのあるクオリティでした。
日本の地上波では殆ど放送されないアイスダンスでも、昨季の全米覇者、世界選手権銀メダリストのシブタニ兄妹、復帰戦となるロシアのボブロワ・ソロビヨフ組など、ハイレベルでダンスの競演が繰り広げられる中、結成2シーズン目となる日本の村元哉中(むらもとかな)&クリス・リード組もSDのミスを払拭するかのように、FDで素晴らしい演技を見せてくれました。
放送権を日本のTV局が買っているため、ISUのストリーミングなど、日本では地域のブロックがかかって、見られません。では、「民放のTV中継は?」といえば、録画にも関わらず、過去の想い出映像とか、舞台裏の人間ドラマを映すことに躍起になり、肝心の試合、競技では映らない選手が出てきます。「地上波」は最早、スポーツ中継ではなく、特定の日本人選手を特集したバラエティ番組ですね。
私は、このところIcenetworkという有料のストリーミング配信で見ているので、メジャーな国際試合では、それほどのフラストレーションはありませんが、 ロシア選手権の(ほぼ)全選手の滑りが日本で見られるのに、全日本選手権で、若いグループの選手たちの滑りを全く見られない、という近年のTV地上波放送のあり方には、不満を持っています。
東京五輪を4年後に控え「アスリート・ファースト」などという用語がメディアを賑わすようになりました。選手へのリスペクトや愛は勿論ですが、競技そのもの、試合そのものへのリスペクトが欠けてしまってはこのスポーツの未来には陰りが見えてくるような気がしてなりません。
来週は、GPSのスケートカナダ。アイスダンス界の至宝、テッサ・ヴァーチュ&スコット・モイア組が帰ってきます。
本日のBGM: 恋の5000マイル(綿内克幸)