whatever you want to call it

先日、ツイッター (今はX) で川端康成の『美しい日本の私』の話題が流れてきたので、書棚から引っ張り出してきた二冊。

大江健三郎の、『あいまいな日本の私』(岩波新書)のタイトルで、「あいまい」なのは、私なのか日本なのか?まさにあいまいですよね?

私が、英語の文法や語法に関して、「過度の一般化」に警鐘を鳴らすと、「過度と適度の境界は?」と突っ込まれますが、やっぱり、断言の難しいことには慎重な姿勢が求められると思うんですよ。

  • 考えるヒント

程度にとどめておくのが吉。


TwitterのTLに

  • 「私は…人です」

での表現の選択の話が流れてきたのだが、これは文化差・年代差・個人差が現れるところ。
私は自分の授業では次のような扱い。(noteで公開している診断テストでは2番の項目になります。)

このあと、コーパスの検索結果を出していたのですが、せっかくですので、この機会に比較の対象を少し広げたものを示しておきます。

表が細かいので拡大してご覧下さい。

  • 日本人と中国人
  • カナダ人とアメリカ人

を比較。

まずは映画コーパス。脚色ありとはいえ、話し言葉を多少なりとも反映しているでしょうから。


Japaneseと同じ語尾で終わるChineseはヒット数こそ少ないものの、形容詞用法(不定冠詞無し)の方が多い印象。CanadianとAmericanは同じ語尾で終わるはずですが、Americanだけ、やけに不定冠詞の名詞用法が多くないですか?
まあ、均衡コーパスではないので、単純に比較は出来ませんね。

ということで、均衡コーパスのCOCAで。


COCAはSpokenのジャンルも立てています。インフォーマルな話し言葉の反映具合は一次資料を精査する必要がありますけれど、数字だけでみれば、こちらでも、映画コーパスと似て、American (アメリカ人) だけ不定冠詞の名詞用法が優勢に見えます。

次に、書き言葉だけにはなりますが、GoogleBooksのNgram Viewerで。
まずは、全体概況を1960-2019年で。


米語法。


英語法。

もう、明らかに、アメリカ人の名詞用法(不定冠詞)が突出していることが分かりますね。
でも、これだけで「アメリカ人は、『ウチとソト』を区別してモノを言う」とは思わないでしょ?

アメリカ人を除いて残りで比べて、グラフを見やすくしてみましょう。

全体

Japanese とa Japaneseとの入れ替わりは1980年代半ば。
Canadianの動向は気になりますよね?2005年くらいで肩を並べるくらいになっていますが、それまでは、不定冠詞の名詞用法が圧倒的に優位に見えます。

こちらでも、Canadianの形容詞用法は比較的近年の、20世紀の終わり頃から増え始めている印象です。

英だけで見ると、 2010年以降は、形容使用法が優勢に見えますが、20世紀は乱高下の様相ですね。


因に、主語が複数の時って、どうしているか考えていましたか?
COCAの検索結果。Blog とSpokenの辺りを中心に見てみて下さい。
まずは「カナダ人」。


「アメリカ人」


アメリカ人だけ、4倍から5倍くらい、名詞用法(無冠詞複数形)が多いですね。

  • アメリカ人は「集団でも『ウチとソト』を分けたい人たち」ですか?

流石に、それはないでしょ?
過度の一般化は慎重に、というのはそういうことです。
ついでに、複数主語への対応でも、Ngram Viewerを見ておきますか。

米人とカナダ人。全体概況。

明らかに Ameircans > American ですが、 Canadians とCanadianは近年になって差が縮まった感じ。

米語法。

下はドングリのなんとやらでよく分かりませんね。
「カナダ人」だけ、取り出してみました。

全体


これを見る限りでは、「アメリカ人」では名詞用法が圧倒的、「カナダ人」では形容詞用法が優勢、という印象です。

今日のエントリーの冒頭で、

断言の難しいことには慎重な姿勢が求められると思うんですよ。

  • 考えるヒント

程度にとどめておくのが吉。

と書いた「こころ」を分っていただけたでしょうか?

当然、このように断定が難しいものを扱っていながら、答えをひとつに決めたテストを課して英語力の有る無しを測る、などという指導者はいないと信じています。

本日はこの辺で。

本日のBGM:
American (Lana Del Rey)
Americans (John Elliott)

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