dictionaries to grow wise with

過去3回に亘って、『コウビルド』ネタを提供してきました。

tmrowing.hatenablog.com

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noteの無料公開記事でも「アプリ辞書の活用法」を書いています。

note.com

物書堂さんのセールも残すところ1週間を切りましたので、この週末にでも再読して購入をご検討ください。
個人的にも、1987年の初版から『コウビルド』を愛用してきましたが、万人に勧める辞書ではありませんし、最初の英英辞典として勧める辞書でもありません。

それでも、

  • この実感は『コウビルド』でなくっちゃ!
  • そうそう、こういうところが『コウビルド』らしさだよね。

とでもいうものが確実にあるので、手放せません。

私自身の英英辞書遍歴は、高1の終わりから。

詳しくは、こちらの過去ログをどうぞ。
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ラジオの「百万人の英語」の懸賞で

  • 『コンサイス英英』(三省堂)

が当たり、使い始めたものの、「隔靴掻痒」は否めず、悪戦苦闘していたところに、LDOCEの初版が出てきました。高2、高3とLDOCEと研究社の『大英和』を使い、学習用辞典の担うような「より身近な訳語や用例」「語法解説」などは、『新選英和』(小学館)を使って補っていました。

大学はG大でしたので、授業で求められるレベルもそれなりに上がりますが、苦学生でしたので、辞書を買いそろえるまではなかなか。それでも、図書館に行けばほぼなんでも見つかりますし、何より怪物のように英語ができる人が目の前に、周りにいるわけですから、良い環境に助けられていました。

辞書を買いだしたのは、卒業後、教壇に立つようになって、安定した収入が得られるようになってからですね。
80年代の終わりにCOBUILDが出て、『ジーニアス』が出て、『ロイヤル』のお手伝いをちょっとだけして、というころに、三省堂の教科書のTMを書く仕事をしていて、職場で隣の席にいらしたY先生のWBD (World Book Dictionary) とコリンズから出たばかりのBBCを主に使って、「ならでは」な定義や用例を示していました。編集部には、一般の先生方のシェアしやすいもの、ということでOALDのものに結構差し替えられていたのを覚えています。

2000年代に一番使ったのは、MED。マクミランの英語辞典でした。マイケル・ランデルですね。
今では、完全にオンラインに切り替わり、紙の辞書は廃していますが、良い辞書だったと今でも思います。

ということで、コウビルドの話に戻りますが、コウビルドに代表される定義文の if/when など、定義を書く側の意図と使う側の処理・理解とのギャップに関しては、マイケル・ランデルがずいぶん前に指摘しています。

michaelrundell.com

Rundell, M. 2006. ‘More than one way to skin a cat: why full-sentence definitions have not been universally adopted’. In Corino E., Marello C., Onesti C. (eds.), Proceedings of 12th EURALEX International Congress. Alessandria: Edizioni Dell’Orso.
https://www.euralex.org/elx_proceedings/Euralex2006/040_2006_V1_Michael%20RUNDELL_More%20than%20one%20Way%20to%20Skin%20a%20Cat_Why%20Full_Sentence%20Definitions%20Have%20not%20been.pdf

この論文は引用本数も多く「辞書学」が専門ではない私でも知っているくらいなのですが、若い方はまだお読みではないかもしれないので、この個所に注目して欲しいと思います。(p.332)

• the If/when distinction: most verb definitions begin with 'If, but a substantial minority begin with 'When'. For example:
When a horse gallops, it runs...
If you gallop, you ride a horse that is galloping

The distinction is motivated rather than arbitrary: it is intended to say something to the user (Hanks 1987.126). In most cases I can understand why one is used rather than another (though the entry for break has defeated me). I am more or less certain that the average learner (assuming s/he even notices this variation) will not pick up the difference the lexicographer intends.

この学問領域がエキスパートの方には、ここでランデルが指摘したことの掘り下げをして欲しいんですよね。
彼に

「私はわかるからいいけどさ、(でも、breakの項には私も参ったけど)、大体の平均的学習者には定義書いた人の意図を汲んで区別するなんてできなくない?」

って言われて終われなくなくなくない?
いや、多くの研究者(そんなに多くもない?)がsingle-clause when-definitions(名詞にぶら下がるような、対応する主節のないwhen単独節)に関して利点も問題点も指摘してくれるのはありがたいですよ。
例えば、こちら。

https://www.euralex.org/elx_proceedings/Euralex2012/pp997-1002%20Lew%20and%20Dziemianko.pdf

流石はエキスパートだと思います。

  • でも、英語がL2の日本の学習者、教師には、シングルじゃないヤツが実は厄介なのではなくて?

ということです。

・when=whenever の解釈ができるときは if と交換可能
・副詞節を導くwhenはifよりも確実に起こるという話者の想定
というような概説を繰り返してもらったところで、コウビルドの文定義の実情・実態・隔靴掻痒に納得できるか?

  • では、whenしか使えないのはどんな定義?

っていうところですよ。
ランデルも参ったというbreakを含め、whenの生息域を確かめられる好例を載せておきますので、味わってください。

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break1

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break2

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born

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die

3回のシリーズで「コウビルド読みのコウビルド知らず」にならないように、という願いというか、挑発というか、私の本心を投げかけておきましたけれど、自分へのブーメランとなるような語というか用法に、初心を取り戻させてもらえた気がするので、こちらにツイッターから出だしの投稿だけ引いておきます。

ここからの一連のツイートは、単なる「いいこと聞いた」レベルの情報価値だけではなく、ことばにかかわる「頭の働かせ方」という面でも、読んでおく価値の高いところではないかな、と思っています。効率よくテストのスコアを上げたいとかいった、消費財としての辞書ネタ、語彙・語法ネタを求める人や、そういうネタが好きな人にはお勧めしませんので悪しからず。

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Sinclair & Rundell

TwitterのTLでは、その後、『P単』の思い出話の方が、この『コウビルド』ネタよりも反響があったような印象ですが、そこで読み返して欲しいのは私のこのツイートですね。

この機会に、過去ログの辞書活用法とnoteの有料記事も併せてお読みください。

辞書を使いこなすには
tmrowing.hatenablog.com

以下は note の有料記事へのリンクです。

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本日はこの辺で。


本日のBGM:Curiosity Killed the Cat (Emile Gassin)