気がつけば、前回更新から早2ヶ月が経とうとしています。
今年度は、また「公教育」現場に復帰し、高校生も教えています。COVID-19の感染拡大とその対策の影響で、オンラインですぐに授業ができたところもあれば、課題指示だけとか、ようやく対面授業でとか、と今までに経験したことのない「指導」のあり方に翻弄されそうな日々でした。
自分では決して選ぶことはないであろう教材を横並びで教えるというのも、久しぶりの経験で、受け入れられることと、我慢できないこととがより鮮明になったようにも思います。
そんな2、3ヶ月でしたが、私の視座は変わらず、「ことばありき」「テクストの復権」ですので、丁寧にことばを扱うだけです。
夜9時に寝て、朝3時頃に起きる、という自分の慣れ親しんだバイオリズムに戻ってこれたことも喜ばしいことの一つです。いや、生きるリズムって、人間の根源ですから。
WFRで通勤時間が浮いた分、というわけではないですが、ツイッターのアカウントに登録してある100ちょっとの英語メディアの「ニュース」などをざーっと眺めて、その中で「これは学習や指導を考えると有益かな」というものを20本ほど、1時間半くらいかけて読み、引用解説でRTする、というのを朝の日課のように続けています。
大学入試や資格試験対策、というよりは「ことばありき」ですので、私が英語を学び、教え、使ってきた過程で悩んだところを思い起こしつつ、書き手の視点も含めて、
- 「その語の使い方って、気になりませんでしたか?」
- 「そこは素通りですか?」
と、かつて、恩師K先生に言われたレベルに近づくべく、呟いております。
ツイッターでは他にも折りに触れ、「文法」や「語法」に関わるオンラインコーパスでの「目安」なども呟いておりましたので、こちらでも一部紹介しようと思います。
助動詞/動名詞との絡みで「慣用表現」として、日本の英語教材で必ずと言っていいほど取り扱われている表現(項目)。
私が高校生に教える際には頻度と生息域の目安を示しています。
気になるのは、could not help butと助動詞が過去形になった途端に躍進した原形のbe。どんな語が続くのか?とその後を辿ってみると、圧倒的に「感情表現の過去分詞由来の形容詞」。
「目安」にしかならないけど、重要な情報だと思いますよ。特に、「教科書」とか「入試」さらには「模試」作成者には。
これは以前も呟きましたが「今から過去を振り返っての可能性に言及する」場合の助動詞+完了形。
まずは、肯定の can=あり得る、否定のcannot=あり得ない、でコントラストを明確にしてから「…のはずがない」という日本語との対応を考えた方がいいと思います。
日本の教科書も、入試問題も、模試も、受験を念頭に置いた教材も、cannot have+過去分詞で「…したはずがない」という訳語を当てているのですが、実例を丁寧に観察するまでもなく、桁が違うのですよ。
そろそろ、業界あげて扱いを見直した方がいいと思いますよ。
次の項目も、「意識高い系」の塾などで使われている問題集だと、いまだに in が入っていて整序作文などで英文完成を求められる設問を見たりしますが、もし自分が生まれ育った英語が in ナシ文化圏の英語だったら「苦労」しますよね。
こちらも「覚えさえすれば良い」なんて言ってる場合じゃないですよ。私の世代でも、onlyは前って感じだったんですから。
それよりもなによりも、この「不必要」界隈。とかく「助動詞でneedを使うのはイギリス英語」なんて言われがちですけど、どうしてどうして、手強いです。
私の授業では、強勢が置かれる、置かれない、とか文化圏とか未整理のまま情報だけ提示するのは止めにして、丁寧に扱っています。
さらに悩ましいのはこれかな。「現在とのギャップ」を示したい表現です。疑問・否定の文脈では didを使う、までは分かっているんですよ。問題はその後の形、ですから。
教科書などの教材作成者も入試出題者も、入試過去問で学参や問題集を作る人も、模試作成者も、頑張りましょうね。
本日はこの辺で。
本日のBGM: YES AND NO (Dreams Come True)