Sustainable Language-teaching Administration

慶應大学の大津由紀雄先生から私宛に以下のメールが送られてきたので、下書きの段階で添付ファイルを公開すべく取り急ぎアップをしていましたが、その後、大津研究室のブログで最新版に差し替えられていますのでご注意を。添付ファイルは削除しますが、ことの経緯が分かるように私へのメールの引用はそのまま残しておきます。

第7回全国小学校英語活動実践研究大会に参加して
この14、15日に京都市で開催された第7回全国小学校英語活動実践研究大会への参会記を書きましたので、添付させていただきました。わたくしの研究室のブログにも掲載しました。
http://oyukio.blogspot.com/2011/01/7.html
よろしければ、ご一読ください。
「本格実施」直前ということでまたメディアがにぎやかになってきました。添付のエッセイはできるだけことの本質が浮かび上がるように書いたつもりです。

近年の著作や、昨年10月の第3回山口県英語教育フォーラム、そして11月の全英連神奈川大会など、大津先生の発言を知る人にとっては、「批判の矛先をしっかりと踏まえた上で、個人へのリスペクトを忘れない書き方だなあ。」と感じられるのではないかと思いました。

私個人は、「小学校での英語教育」とか「小学校での英語授業」という言い方がメディアで飛び交うのを見聞きするにつけ、やはりきちんとした世論の形成に失敗したのではないか、そして英語教育の世界に住む者の一人として、その責任の一端はあるのではないかと感じています。「何を今さら」ではなく、いつであっても、言語教育に携わる者として、言い続けていかなければならないことはあるように思うのです。

早期英語教育のなかでも学校教育の中で中学校以前に位置づけるとすれば「小学校」ということにはなるのだろうけれども、教員養成、採用雇用の形態、研修の保証、学級担任教師への負担といった制度面での不十分さ、そして「指導法」そのものの不明確さ、不十分さを鑑みるに、現状では行政が思い描いたような成果は難しいように思う。
過去ログでも取り上げた (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071202)、

  • 『小学生の英語教育』 (国土社、1969年)

などの実践とその検証の報告を読めば、小学校での英語教育は私学では長い伝統を持ち続けてきたことが分かる。成城という一つの学校だけの取り組みや成果を持ち上げるのではなく、小学生に英語を教えるということと正面から向き合っていたことが、1964年に「東京都私立初等教育研究会外国語部」が立ち上がったことを見ると分かる。pp.18-24では、22校の週あたりの授業時数 (日本人教師と外人教師での内訳) 、教材・教具など一覧が取り上げられている。
1965年のこの部会において、小川芳男氏 (当時東京外国語大学学長) は次のように講演している。

  • 戦後の特徴として、米国、ソ連などの大国において外国語の早期教育が重視されている。技術としての語学習得は早いほどよいわけであるが、学校教育としての始期についてはいろいろと問題がある。/ 教育の一貫性という点で、小学校から大学まで各校でその分野を守ることが大切である。すなわち、小学校では音声中心のmimicry、中学校では音声中心の文字、高校では文字中心の音声、大学では内容である。 (pp.26-27、「Communicationとしての英語」に収録)

これをうけて、この部会では、

  • 外国語教育の目標は「国際的視野をもつ人格の育成」にある。この目標に到達するにはCommunicationとしての生きた外国語を教えなければならない。したがって従来のような読解中心的なものではなく、音声を主体とした教授法が重要となってくる。(p. 29、1969年「日本私立小学校連合会」での研究発表から)

という目標が語られている。
カリキュラムだけでなく、pp. 89-165 では「英語学習の記録と分析研究」として、成城小学校での、一回の単発ではなく、同じクラスでの連続した授業が詳細に記録され、その分析とともに残されている。教師の英語・日本語による指示、生徒の英語・日本語による応答、私語などの反応も観察されているところに感心する。
中心となって進めているのは野上三枝子氏と並木登美子氏。

それから40年以上経つ2011年の今、小学校での外国語教育の目標はどのように語られているか、そして教授法は深まり広がったと言えるか。「言うだけではなく、自分の足を運んで小学校の授業を見よ」という声も、実際に小学校で教えている方から届いてくる。一教師として、小川先生の言うように「高校の分野を守って」いるだけでは済まない状況を肌で感じている。

週末の宿題の回答を持って同僚の数学の先生に、

  • 『新英語教育講座 第三巻』(研究社、1948年)

をお見せした時、

  • この戦後間もない時代に、こんな内容を!

という反応があった。しっかりした指導手順が示されていても、教員養成や現職研修は必ずしも機能していかなかったと言わざるを得ない。
人的支援、教授法・教材の確立といった面で不十分不統一なまま、全国的実施になれば、第二次大戦後の中等教育の普及に伴う英語教授力の低下と同じことが、小学校段階で起きてしまうのではないか、という不安が拭えない。

本日はこれにて。
本日のBGM: Challenger (American Music Club)