Will that thrill soon fade?

昨日のエントリーでは小学校での外国語活動に関して少し思うところも書いた。私は小学校での外国語活動 (実質は英語授業) に関して、一貫して「英語より国語が大切」「英語の前にまず国語」というスタンスからの批判をしないように心がけてきた。二者択一の問題ではないから。しかしながら制度面や指導法の不備を指摘すると、「では、どこまで整備したら充分で、スタートを切ることができるのか?」という反論を呼び、突き抜けないままになるのも必至。八方塞がりの出口は何処に?

大津先生のエッセイが新しいものに差し替えられているので、最新のものをお読みになりたい方は、

からダウンロードを。

関係代名詞としてのwhomの調べものから、昔の指導要領やその解説を読み返していて、自分が二冊持っている事に気づいたのが、

  • 和田稔 『日本における英語教育の研究 学習指導要領の理論と実践』 (桐原書店、1997年)

これは、ただ単に指導要領を解説しましたというものではなく、1982年から92年まで「教科調査官」であった和田氏によるカリキュラム・シラバス論の枠組みからの考察があり、中教審の答申に対してのコメントなども綺麗事に映らなくもないが、正論というか、良識があるというか、とにかく良心的なものであることは確か。とりわけ、第4章で、「言語活動」と「学習活動」の整理をしたうえで、「コミュニケーション能力」の解説に入っているところ (pp. 85-116) が、今流行の「コミュニケーション」の定義を考える上でも重要な気がする。今回の指導要領改訂に際して、文英堂の『ユニコンジャーナル』で和田氏が述べているもの (過去ログ参照: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20091203) と併せ読むと面白い。

Critical Periodに関しては、過去ログ (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061221) でもとりあげた、

  • Keith Sharpe and Patricia Driscoll. 2000. At what age should foreign language learning begin?

あたりが私の考えの基になっているのだが、それにしがみついてばかりもいられないので、

  • Silvina A. Montrul. 2008. Incomplete acquisition in bilingualism: re-examining the age factor, John Benjamins

などを読みながら地道に学んでいるところ。
最近のVan Patten & Benatiの “Key Terms in Second Language Acquisition” では、pp. 22-26で最近の知見をコンパクトにまとめて著者のコメントも加えてくれていたので大変勉強になった。

さてさて、自分の実作。
昨日の授業の振り返りを書くのを忘れていた。
1限は、進学クラス高1の「オーラルコミュニケーション」。
授業の開始は英語によるスモールトークから。
午前中はグラウンドにはまだ雪が積もっていたので、前回までに学習済みの「降っている」「降り出した」「止む」 (過去ログ参照: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20101216) に加えて、「雪」に必要な表現を引き出す。

  • 雪が積もる。
  • 雪が融ける (解ける)。

これらの「動詞」だけを語彙項目として『グラセン和英』で引き、対応する英語を確認するだけでは使いこなすまでにはまだ距離がある。

  • The playground is covered with snow.
  • The snow is [lies] two centimeters deep on the playground.
  • The snow is starting to melt.
  • The snow has melt away.

などをイメージさせつつ理解を図るしかない。辞書にある情報を引き出すだけでなく、辞書を自分で使い続けながらカスタマイズしていけるように生徒を育てることが大切。

  • 基本動詞の用法に始まり、コロケーションなど日常の表現の使いこなしまで念頭に置いて語彙を確実に自分のものにすることです。

と説く。
高1でも秋山先生の「生徒諸君の検討を祈る」言葉を読み上げて、学習の心構えを再度見直す。明治生まれの骨太な教えを引き継ぐには覚悟が必要。以下引用。

  • 人の世にはキレイな事などは一つもありはしない。みなドロ臭い事ばかりだ。芸術と言い文学と言っても例外ではあるまい。頭の中だけでいかにも整然と配列してみたものには所詮いのちはない。言葉を肌で感じ、感覚のピントを鋭くしなくては、外国語も文学もない。言葉をそのように捉えるには手間暇がかかるかもしれぬ。そう捉えてから文学を読むという手はむろんない。何処に到達するかわからないが、止めようにも止められぬ推進力だけが何事かを為すだろう。日は暮れ易く道は遠いかもしれぬ。しかし他人の歩んだ道はついに自分の道ではない。苦しくとも自分は自分の道を開拓するよりほかはない。万能薬を求めたり、受け売りや引き写しをしたり、見てくれの装飾や体裁をつけたりは、だれしも一応やりたくなるものらしいが、何の益もあるものではない。(pp.17-18、『秋山敏---その人と言葉』)

そろそろ高1も「はずれくじ10枚理論」導入の時期かな。
残り時間で『國弘・藤本本』からニュース記事の重ね読み、精聴、音読を繰り返して終了。まとまった文章での聞き取りと音読の訓練はこのニュース教材でまかなえそうなので、2月は、『レベルアップ英文法』を参考に、必須表現を盛り込んだスキット作りを取り入れていければと思う。『エースクラウン英和』の活躍するところでもある。
6限の高2の進学クラスは、個人課題作成の続き。
まず文章が読み込めているか、そして理解した「ことば」そのものを自分にきちんと取り込むにはどうすればいいか、しばらくじたばた足掻いてもらいましょう。

高3の授業が、自宅学習に切り替わったので、こんな風に1限と6限の間に空き時間ができたりして、本を読むことができるのが救い。基本的に再読、再々読という感じ。

  • 斎藤美津子 『話しことばの科学』 (サイマル出版会、1972年普及版)

では、「コミュニケーション」ということばが日本に定着していく過程に思いを馳せながら読み返した。斎藤の言う「共同作業と通じ合い」というコミュニケーションの定義を自分でもう少し深めてみたい。

  • 菊谷彰 『日本語のすすめ 心を伝える話し方』 (三修社、1984年)

は、センター試験の出題で「強勢」が気になったので、ついでに日本語のアクセントも再確認しておこうという欲目。

  • 安井泉 『音声学』 (開拓社、1992年)

ここまで行くと、思考が整理されると言うよりは厖大な情報で迷宮の様相。

  • 竹中治郎 『英語発音自己診断 発音矯正30章』 (竹村出版、1969年)

はとにかく豊富な練習量。読み始めは調子が良かったのだが、途中で語彙レベルが高いものが散見で発音に集中できず中断。もう少し英語力をつけてからまた出直します。

  • クック、ゲッチン、ミッチェル 『生きた英語の上達法---文法・語法の重点チェック---』 (研究社、1974年)
  • 織田稔・樋口忠彦編著 『中学英語の進め方 “使える英語” の指導をめざして』 (杏文堂、1987年)
  • 織田稔 『ことばの研究と英語教育---教科としての確立を求めて---』 (関西大学出版部、2000年)

は関係詞の調べものであちこちを行ったり来たり。三冊目にあげた織田氏の単著では、「4.6. 薬のききすぎ---強すぎる威力の罪」 (pp.189-190) で、関係代名詞の制限/非制限用法の区別を (,) コンマの有無のみに帰する日本の教室での行き過ぎた指導に警鐘を鳴らしている。高等学校でこのような指導がいまだになされていないか、卒業生を送り出す側の中学校教師も心配になることだろう。織田はイェスペルセンから、

  • There were very few passengers that escaped without serious injury.
  • There were very few passengers, who escaped without serious injury.

という対比を引き、Michael Swan (マイケル・スワン)からは、

  • Where’s the money that I lent you?
  • He lent me a thousand pounds, which was exactly the amount I needed to solve my problem.

という例を引いて、次のようにコメントしている。

  • あの一連の、コンマの有無の例文は、音声のもつ意味表現力を不当に軽視したわが国の英語教育の欠陥を象徴するような、まことに罪つくりな用例であった。強すぎる薬は副作用も強いと言うが、例文もまたしかりである。その強大な威力に、まず先生のほうが酔ってしまい、その魔力に取り憑かれてしまったのであろうか。いつまでも耳に響く例文こそ、常に心掛けたいものである。

今では古くて誰も見向きもしないのではないかと思われる、クックの『生きた英語の上達法』 (p. 24) でも、

  • At the meeting there were boxers, footballers, skaters, swimmers and many other athletes, some of whom [many of whom / most of whom / several of whom / all of whom] were world famous. (その会合にはボクサーやフットボール、スケート、水泳の各選手、その他多くの運動選手がいた。そのうちの (何人かは / 多くは / ほとんどは / 数人は / 全員は) 世界的に有名な人であった)
  • There were a number of actors at the party, few of whom I had ever heard of. (パーティには何人かの俳優がいたが、そのほとんどは私が名前も聞いたことがない人たちだった)

というような、この流れでは現代英語でもこういうしかないのでは、という用例が示されていて重宝するものである。ちなみに、訳者は升川潔・小林祐子のお二人。素晴らしい。

新しいものにも目を通してはいます。

  • 卯城祐司 編著 『英語で英語を読む授業』 (研究社、2011年)

は現場の指導経験豊富な執筆者の起用が上手くいったように思う。ところどころナイーブすぎはしまいか、という記述もあるが、即断は避け、もう少し読み込みたい。とはいえ、AAOに対する私の基本姿勢 (「複合技能としての読み」 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060531 、その後加筆修正して『英語青年』2006年10月号(研究社出版)の拙稿「英英の弱り目、和訳の効き目」として発表) は変わりません。

オーラルの授業でのスキット作りの参考に、次の一冊を、

  • 日向清人・狩野みき 『知られざる英会話のスキル20』 (DHC, 2010)

フレーズ数は少なくても「スキル17」として「プレ・クロージングで終了を予告する」という部分があることが秀逸。国内の類書とは一線を画している。20代の終わりだから、もう17,8年前になるが「オーラル・コミュニケーション」の教科書著者をしていた時に、自分で書いたダイアローグが英語ネイティブに直されるのはいつもこのあたりで、歯がゆい思いをしたものでした。この信号がうまく発せないと、「急転直下型」でクロージングに入ることになり、かなり不自然な対話となることがあるので、習熟しておくことはとても大切。
自分の英語力の向上には、それよりももっと高いハードルとして、

  • 日向清人・Dave Davies 『ビジネス英語力 強化プログラム 上級編』 (日本経済新聞出版社、2010年)

を読んでいます。扱われている英語のレベルに比して、確認問題として用意されている Check の2の選択肢で錯乱肢 (= distractors) が簡単すぎるような気がした。まあ、ここは「これくらいは覚えていますね」という部分なので、肝心な「交渉」や「プレゼン」、「ビジネスライティング」の課題に注力できればと思う。
この二冊とも、ブログ「ビジネス英語雑記帳」でお馴染みの著者。この方の物言いは個人的には余り得意ではないのだが、個人的感情とものの善し悪しは、またというか全く別物。日向氏の英語学習や英語教育に関しての発言は至極真っ当なものであり、英語教師にとって耳の痛い批判にしても、その背景にある研究資料や文献を踏まえた精緻な考察は英語教師の一人としてきちんと受け止める必要があるだろう。要求水準に応えるのはなかなかに難しいけれどね。
このところはM. WestのGSLを踏まえた教材作成や語彙学習・指導をアピールしていたり、辞書でもMEDを高く評価していたりなど、思わぬところで自分との接点ができたように感じた。
これを機に、次を読み直し。

  • 英語タウン・ドット・コム監修 『ビジネスリーダーの英語』 (マクミランランゲージハウス、2008年)

以前は日経ウイークリーのポッドキャストで聞いていた (過去ログはこちら: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070902) のだが、一冊にまとまったということで消化吸収の率も上がったように思う。

今日の実作は2限の高2進学クラス1コマのみ。課題を継続。
後は職場に届いた本を読んだり、英語を聞いたり、食事をしたり。またまた職場に届いた本を読んだり、英語を書いたり。
放課後は明日のエルゴ測定の指示をして自主練。手綱の緩め時を学習するのもコーチ修業の一つ。
日が暮れる前に、いつものマッサージへ。
自分では背中のハリと左膝の裏、ふくらはぎの上のしこりが気になっていたのだが、施術してもらうと実際は足の親指とか意外なところにコリがあることが判明。目の疲れ、頭の疲れの方が大きいそうです。最後はすっかり寝てしまいましたが、おかげで生き返りました。

夕飯は、自家製ロースハムと水菜のサラダ、ボラのムニエルトマトソースがけ、ジェノベーゼのパスタ、根菜のスープ。コーナーストーンのパンで美味しくいただきました。いただきものの地酒を合わせて、明日への活力ももらいました。深く感謝。

本日の晩酌: 初亀・大吟醸・極・東条町特A地区産山田錦・35%精米 (静岡県)
本日のBGM: Jack of all parade (Elvis Costello)