昨日は『相棒』を見終えて熟睡。
発音・アクセントの調べものから、語形成や形態論に入ってきたので、頭が相当に疲れていた模様。
今日は節分。
引き続き読んでいたのは、
- 増田貢 『英語形態論』 (篠崎書林、1978年)
本編で160頁程度の薄い本だが、概論にしろ各論にしろ、ここで示されている考察が、自分の頭の働かせ方に非常に近いので充実感というか充足感が得られるのが良い。自分の考えに酔ってばかりはいられないけど。
大津先生のエッセイに触発され、小学校・小学生の英語教育の振り返りをしたのはいいが、結局は自分の今現在の疑問点・問題点の掘り下げとなり、進んでいった所でこんな記事に出くわした。
- 格差の激しい教科として、英語と数学があげられる。が、数学は9年間だが、英語はたった3年間でつけられた格差だ。(中略) ある工業高校で英語の基礎学力テストを行ったK先生は、昨春まで都内の区立中で英語を教えていた。だから、中学側がどんな生徒を高校に送り出しているか十分知っているつもりだ。<君ら、goの過去形が本当にわかんないの?中学校で何度も練習したじゃないか>というと、<先生、そんなのわかるぐらいなら、こんな学校にこないよ>。あとは休み時間も授業も区別のつかない、とめどないおしゃべりが続く。生徒がきいていようがいまいが、一方的に教科書を読む授業に追い込まれた。/ K先生は、中学1年の1学期の授業を思い出した。どんな子も、初めて接する外国語に目を輝かせていた。それから3年。英語教育は彼らに何をもたらしたのか。スタートラインに立つどころか、はるか後方で、後ろを向いてしゃがみ込んでしまった彼ら…。 (p. 70)
これは、ある書籍で取り上げられていた新聞記事である。
昭和51年12月12日の『朝日新聞』、とあるので、1976年のリポートとなる。今から34年も昔の話。しかしながら、私の学校も含め、今でも多くの高校で、教師だけでなく、生徒も、このような状況を生き抜いているはずである。
- 『現代の英語科教育法---今までの英語教育、これからの英語教育---』 (南雲堂、1978年)
執筆者は、
- 安藤昭一、黒田健二郎、成田義光、大沢茂
大学などでの使用を想定した教科教育法のテキスト。副題にあるように、概説書としての役割も持つのだが、地に足のついた、人の顔の見えるテキストである。資料編の解説のことばにも血が通っている。「ことばの獲得」にしろ「心理学」にしろ、この当時の英語教育が拠り所とする研究や実践が古いというのは簡単。では、新たな、科学的な研究の成果で現場はこの当時よりも豊かで幸せになっているだろうか?「最新の知見」の輸入、受け売り、引き写しではなく、このあたりからもう一度今現在の足場まで自分で辿り直すために読む価値のある一冊だと思う。
普通科の高2再入門講座は、文と語順。
- My mother really likes reading.
- My father goes to his office by car every day.
- Ms S teaches us English two days a week.
- Mr. M gave him an English dictionary on his birthday.
- This song made M. M. famous.
- Big fans of him call him Mackie.
などの例文を含む8つの英文を並べ替え完成。いわゆる第5文型の典型例まで一通り含まれているので、私の範読に続いて、斉唱で Read & look up。Backward buildingも交えて、チャンク毎にリズムを作る。この時点で読みの怪しい者は、カナを振っても良いので、自力で読めるようにしておいてから、個人で1分間、苦手なところを集中練習。ここまでやってから、対面リピートへ。口慣らし、耳慣らしができるからこそのリテンションの練習。じゃんけんで勝った者が好きな3文を選んで読み上げ、負けた方は耳で聞いてリピート。3つリピートしたら、そのペアの仕事は終わりで新たなペアを探す旅に出るのがルール。自分がスラスラ読めても、相手が繰り返せないと終われないので、大きく、はっきりと、丁寧に読んであげることが大切。上手く繰り返せない部分は、チャンク毎にリピート。必ず一文通してまとめなさいと指示。制限時間内に、全ての例文がカバーできるかと挑発。8文なので、早い者は3ペア目には課題終了となる。終わったものは着席。今の私の授業では、代表ペアでのデモなどはまずやりません。
- 名詞は四角化で視覚化
- 動詞の前ではとじカッコ
- 「そうなのか、そうじゃないのか」を表すことばはとじカッコの前へ
という原理原則を確認して、ここから、更なる練習問題のワークシートを配布。並べ替え完成と、指定語の適所補充。
日本語を与えず、自分で部分から全体の意味を構築するというのは、このクラスでは初となる課題。例題で頭の働かせ方のお手本を見せてから、各自でチャレンジ。次回も継続です。
進学クラス高2は、提出させた個人課題の返却。
前時までに、ワークシートを自作し、座席を移って、他の者が作ったワークシートでトレーニングをしてあります。
一つのパートで3ラウンド、1ラウンド目は約10分かけて満遍なく。そこでの「気づき」をコメントし、明らかなミス、誤りを修正し、次の席へと移動。2ラウンド目は6分。その後、同様に「気づきと修正」して、移動。3ラウンド目は4分。当然、音読もスラスラとリズムよく行わないと時間は短縮できないのだが、意味の処理や文構造の処理が確実に自分のものになっていないと、保持ができないことになるので、なかなか時間が縮まらないという仕掛け。
最後は自分の席に戻って、コメントや修正の評価をして、採択か却下を判断。他の人のワークシートを使ってトレーニングしている間に気づいたことや自分の修正箇所があればそれを正してから提出。
となっていた。
知覚動詞のいわゆる第5文型で、目的格補語が現在分詞 (-ing形) になる文がこのパートに2つ出てくるのだが、その文構造と、現在分詞の後置修飾との区別が曖昧な者がまだいたので、『やれでき』と『フォレスト』の該当頁を開かせて、自分で修正。まず、何が問われているのか、ターゲットとなる文法項目や重要表現が何か、というのは教科書の課末の頁を見れば自明なのだが、お膳立てされなければ自分からは全くやらないのが難点。
この第5文型で、目的語となる名詞を一番前に出した形となる、<名詞+名詞+動詞+足跡+補語>という名詞句の限定表現の理解も不十分な者がいたので「喝」。音読が呪文にならないように、自分の頭と心を働かせましょう。
放課後は卒業判定会議と職員会議。
明日は合格発表です。
自分の英語トレーニングはお休み。
- マサオ・ミヨシX吉本光宏 『抵抗の場へ あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る』 (洛北出版、2007年)
を読む。ずっと気になっていて、読まず終いだったもの。伊藤和夫との交流が描かれているあたりで睡魔に降参。
本日のBGM: I love the way you talk (Clare Bowditch & The Feedindg Set)