”But you can’t see it and don’t feel it.”

週明けの正業、実作はテスト返却。
丸つけだけ終えた答案のコピーを一人一人に返却し、正解へと辿り着く過程を産出してもらう。テストが終わってからの数日間をどう過ごしていたか一目瞭然。「自律学習」などという格好良いラベルの前に、自学自習とか勉強というレベルの自分の取り組みを徹底させることが肝要。

臨時の職員会議を終えてから湖へ。正味40分の乗艇。
これが良かった。6時にはもう陽が落ちてしまうのだけれど、隙間なく、淀みなく、高い精度で艇を運ぶことができました。幸運にも今日で、金土日月と4日連続で乗艇が可能だったのですが、やはり連続で行うことでこそ見えてくる感覚があるものです。まだ見ぬ感覚を求めて明日も乗艇です。

帰宅後、夕飯をとりながら、妻と『水戸黄門』の新シリーズ。初回を見逃したので、今日から新たな「御一行」と対面。話しが面白くない要因はキャストか脚本か、はたまた受け手の心身の問題か。

一人の時間で本を開く。

  • ことばの使い方というのもたいせつですけれども、ことばの使い方以上に、話されていることばの響きの中に、その人のほんとうの心というものは響いています。ですから、人の心の響き、ことばの響きに気をつけない人っていうのは、まあ、簡単に言いますと、ほんとうのお友だちをもつことは、できないかもしれません。言われていたことばの意味、その意味だけによって人と交わっていますと、どうしても人の心の奥に触れることができなくなってきますから、深い心に触れられなければ、どうしてもいいお友だちは得られないと思います。/ 皆さんはことばの勉強をしたり、いろんな勉強をしてますけれども、結局、しあわせなよい一生を送るためにやっていることなんです。ですから、この聞くということも、話しの要点を聞く、言われていることを聞く、そういうことも大事で、それは先生がたからいつもお聞きしていると思います、国語の大事な勉強ですけれども、もう一つそれに加えて、人のことばの響きの中に、心を悟るということ、そういうことを心がけていますと、ことばの響きの中に深い心を悟れるようになるのです。そういう人が、人との深い交わりを築いていけるんだと思います。これが聞く力ではいちばん大事なことではないか、気をつけて聞き分けていかなければならない、と思うんです。

このブログを普段読んでいる方は、このことば遣いというかそれこそ、文字に乗った「ことばの響き」で、誰の発言かは見当が付くのではないかと思うが、これは

  • 大村はま 『国語教室 おりおりの話し』 (共文社、1978年)

からの一節 (pp. 11- 12, 「『聞くこと』の学習---ことばの響き---」) である。普段から、「…というのはどういうことか」と「こと」を突き詰めていく、「意味」を求める質の私にとっては、最近、いちばん響く、はま先生のことばであった。折に触れ再読しているのだが、その時の自分の身体と心の状態で、共鳴の仕方も異なるのだろうと思う。この『…おりおりの話し』は中学生に向けて話した講演・講話をおこしたものなので、普段の国語教育論では聞こえなかった音が聞こえてくるかも知れない。大村はまの熱心な読者も、食傷気味の人も未読であれば手にとって欲しいと思います。
これを読み返そうと思ったのは、昨日のエントリーで触れた、Oliver Sackの再読、ウィトゲンシュタインの引用、

  • The aspects of things that are most important for us are hidden because of their simplicity and familiarity. (0ne is unable to notice something because it is always before one’s eyes.) The real foundations of his enquiry do not strike a man at all.

から始まる “The Disembodied Lady” の一節を読んだことからでした。
これと同じような話しはDuffyの歌で何度となく聞いていたというのに…。
今日は他人の褌ばかりですが、身体に嘘を付くとことばが空疎になるので、Oliver Sacksの引用でお休みなさい。

  • What Wittgenstein writes here, of epistemology, might apply to aspects of one’s physiology and psychology---especially in regard to what Sherrington once called ‘our secret sense, our sixth sense’---that continuous but unconscious sensory flow from the movable parts of our body (muscles, tendons, joints), by which their position and tone and motion are continually monitored and adjusted, but in a way which is hidden from us because it is automatic and unconscious. / Our other senses---the five senses---are open and obvious; but this---our hidden sense---had to be discovered, as it was, by Sherrington, in the 1890s. He named it ‘proprioception’, to distinguish it from ‘exteroception’ and ‘interoception’, and additionally, because of its indispensability for our sense of ourselves; for it is only by courtesy of proprioception, so to speak, that we feel our bodies as proper to us, as our ‘property’, as our own. (Sherrington 1906, 1940.) / What is more important for us, at an elementary level, than the control, the owning and operation, of our own physical selves? And yet it is so automatic, so familiar, we never give it a thought. (The man who mistook his wife for a hat and other clinical tales, Touchstone版、1998年、p. 43 より抜粋)


本日のBGM: The beauty in your body (The Lilac Time) (※歌詞はこちらから入って曲名で検索、http://www.duffypedia.com/lyrics.html もしくは、こちらの歌詞サイトから http://bit.ly/c8o7Ne)