Pleasure is very seldom found where it is sought.

今日は授業のない日ではあったが、出校し、期末考査の提出とAcrostic 発表用の印刷を全て終えて帰ってきた。Y先生から、新聞の朝刊に田尻先生が出ている記事の切り抜きを見せてもらう。
実家までの航空便の確認をしていたのだが、いつのまにかANAが撤退していたのだった。直通はJALのみ。千歳でJRに接続するか。北海道の景気は厳しいのだろうなぁ…。
往復の電車内で、小島信夫・森敦『対談 文学と人生』(講談社文芸文庫)再読、というか、もう読み始めてから1年くらいになるのだが、いつも読んでいる途中でわからなくなって、あちこち行ったり来たりで、読み終えた気がしない。森の云う「倍率一倍」へのこだわりが気になるといえば気になる。
先日、立ち読みをした雑誌(『文春』でしょうね)の芥川賞発表に便乗した特集で、石原慎太郎、村上龍、綿谷りさの座談 (?) が載っていた。某氏が調子に乗って「大器早成」みたいなことを口にしていたようだが、上述の森敦などは旧制高校中退後すぐに、新聞に連載を持っていたわけだから若くして傑出した才能の典型とも言えるだろう。
宮城県が、仙台市を除く地域の11校を進学指導拠点校に指定した。県内の南北問題解消策のつもりか?発想が貧困すぎる。単年度予算で800万円。1校あたり約73万円で何をするのか。

  • 県民の学力向上への期待は高い。どの地域の生徒でも希望する進路を達成できるだけの学力を付けられるようにしたい。

などという矛盾だらけのことばを吐く県教委の意識改革はどうなっているのか?「難関大学に進学できるだけの学力を持つ生徒がどの地域にもいる」ということと「どの生徒も難関大学に進学できるだけの学力を持つ」ということは全くイコールではないだろう。こういう取り組みを「改革」とか「再生」と思っているのだろうか?

  • 教育再生は、本来国を挙げて教員を魅力ある職業にすることが大事なのに、このままでは、逆に質のいい教員が確保できない。

といったのは愛知教育大の松田正久副学長。「質のいい」という定義は気になるが、こういうことを、みんなでもっと声を大にして言ったらどうだろう。「教員が自分の仕事に魅力を感じられないから、教育がうまくいかないのだ」ということを今は教員以外の人間が言わない時代なのだ。
公立高で専任をしていた時代に、管外出張といって、その地方自治体以外の地域・都道府県に出張をする制度があった。当時は学校改革の一環で、先進的な実践をしている学校を視察に行くわけだが、これが大変。報告書類も、研修の内容を文書にまとめるのは楽なのだが、復命所の書式が切符など日付を証明するもの、自分が写っている写真などを添付しなければならないところで極めて煩雑。5年間で行った先は、埼玉、大阪、兵庫、福井など(福井に行ったときは、自費で金沢まで足を伸ばして当時始まったばかりの小学校の「総合的な学習の時間」の発表も見てきました)。
学校改革を進めている高校に勤務していて、自分がその改革の中枢にいるような場合は、先進校の実践といえども、ただ有り難がったり、羨んだりするのではなく、自分の目、頭で消化吸収することができ、それなりに有益だと思うのだが、自分の勤務校の実態に満足できず(往々にして「この学校は私のいるべきところではない」などと考えているものだ)他にもっと学校らしい学校があるはず、などといって視察に行こうものなら、どんなに良い学校を視察したとしても、帰ってきてから新たな知見を導入し改革を実現するのは難しいだろう。学校を変えることと自分を変えることとの狭間で悩むことを避け、「私はこんなにがんばっているのに」とか「誰も私の悩みを共有してくれない」などと思うのは簡単だ。しかしそれでは「自分探しの旅」を教員になってからも続けているようなものだ。先月のFTCでも話したことだが、私も最初の2年間は本当に教員が嫌で嫌でしょうがなかった。転機は3年目に訪れた。その時から、自分で精一杯やって、ダメなら綺麗サッパリ辞めよう、と云うスタンスは変わらない。そう自分に言えるだけの実践をしよう、ただそれだけ。今いるその場所でベストを尽くせない者に、今の手持ちのカードでなんとかやりくりできない者に、次のチャンスが簡単に与えられると思わない方がよい。まして「キャリア・アップ」などということばに幻想を抱かないことだ。座って半畳、寝て一畳。いつでも裸一貫で出直せる用意・準備をした方がいい。教育は所詮、人なのだ。ぼやく前に、自分の「人」を磨こう。切磋琢磨という比喩を使うのなら、光るためには摩擦が必要だし、当然自分の身もすり減る覚悟が要る。目減りが嫌なら自分を大きくすることだ。決して自分が大きく見える場所に移ることではない。
内田樹のブログの2月18日の記事は面白かった。残念だが、今、本物の教育は、芸術、武術やスポーツでしか感じ取ることができないのかも知れない。本業を持っていて本当に良かったと思う。
英語教育に明日はあるのか?
本日のBGM: 『預言者の夢』(井上 鑑)