人は石垣?人は堀?それとも鯱?

土曜日は早朝にリギングの指示を出して、新幹線で名古屋へ。T氏の披露宴。約3時間の一人旅。”My Father’s Suitcase” から表現の抜き出し。ノートに書き出す。新大阪で降りた隣の席の人が残していった雑誌に目を通す。映画監督の大林宣彦氏のインタビューが興味深かった。アイドルといわれる年齢の少女をいかに「映画の」女優として育てるか。「映画では、TVと違ってその子を初めから好きになってもらう必要はない」っていう発言はとてつもない自信の現れだと思った。こっちをメモればよかった。
駅改札を出たところでC電チーム関係者のお出迎え。有り難いことです。来賓が揃ったところで専用バスで会場へ。名古屋城のお堀に面した高級感溢れるホテル。現任省庁の外務省でカタールの要人をもてなした宴会場とのこと。臨席のボート関係者は錚々たる顔ぶれが。F氏、S氏、I氏など過去の日本代表チームを支えた方から、現日ボ理事長、現代表コーチS氏、K電男女コーチなどなど。
Wedding cake入刀はなく、日本酒の菰樽で鏡開きからという趣向。来賓スピーチに続いて、余興。C電男子チームは案の定「小島よしお」で来ました。写真をご覧になりたい方はY氏のブログへ。来賓へのインタビューで出た「究極のCox vs. 至高のCox」というフレーズは懐かしかったなぁ。後半のスピーチでは、G大GMのY氏の部分で、G大関係者全てステージ脇に結集し、遠漕歌、続いて新婦・新郎ならびチームC電へのエール。クライマックスの映像で綴る二人の足跡でしみじみ。新郎新婦両家ご両親に挨拶をして退場。退場時にY氏から祝い酒を引き出物として受け取る。めでたきかな、めでたきかな。
6時からの2次会までG大関係者で一席をということで場所を移して鶏料理店。名古屋泊の面々とは違って私はこの席までで失礼するつもりでいたのだが、話が盛り上がり、気がつくと6時半になろうかという時間。急いで駅までタクシーを拾うものの、タッチの差で予約した便に間に合わず。新大阪で自由席を乗り継いで23時過ぎに新山口到着。妻に迎えに来てもらう。
2次会はカラオケなど新郎新婦も盛り上がりを見せたようです。独身貴族O氏も夜から合流、祝福に駆けつけてくれたとのこと。
明けて、日曜日は7時出発。予定どおりレース会場に到着。8時からリギングのチェック。ストサイのピンが内傾になっていたので、バスカードを折って挟み込み応急処置。後傾の分はL版のスライド部分で修正。9時からの開会式の前に一度乗艇させてチェック。まずまずの出来。開会式、諸注意に続いて、各選手三々五々出艇。アップを終え、スタート位置で待機しているころから、風が強くなり、ところどころ白波が目立ってきた。1000mのコースを3往復で、6000mのトライアルなのだが、地形によってコンディションに差があり浸水の酷いクルー(当然、私のチームの選手です)の状況をみて、残念ながらレースは中止という判断となった。帰艇する選手たちはみな下半身ずぶ濡れになっていたので、賢明な判断だったと言える。
今季最終レースだっただけに、習熟度の高い選手には不満もあっただろうが、安全第一ということで納得してもらいたい。
来週は強化合宿。コンディションはどうなるか心配だが、まずは操艇のスキルを向上させることが先決だというのが今回の教訓。

移動の車の中で聞いていたラジオで、人生相談。

  • 大学を卒業して志望のアパレルメーカーに就職。自分がトレンドを作る一翼を担えると思っていたが、配属先は営業。自分は営業に向いていない。この先、デザインなど先端の部署に異動できるのは一握りの人。自分には自信がない。こんな私に何かアドバイスを。

というような内容だった。呆れた。こういう人のお便りに懇切丁寧に対応する番組も番組。
こういう輩には、内田樹先生のこの言葉を贈りたい。

  • 人生はミスマッチである。私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでもけっこう幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることのできる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。チェーホフが看破したとおり、私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。それでいいじゃないか。「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。(http://blog.tatsuru.com/2007/11/06_1021.php

このところ慌ただしく過ごしていてニュースなどあまり注意していなかったのだが、安倍首相退陣後も「教育再生会議」ってまだ生きてたんだな。死に体の「再生会議」を再生させたのは誰?
教員のFA制度を推進するとか?「なんですと?!」(濱田マリ風に)
公立の学校、とりわけ義務教育である小中学校にこの制度を導入するのは日本の教育の死を意味する愚考・愚行・愚策である。

  • 有能な教員が、その能力を遺憾なく発揮できる学校への異動を実現する

ことが教員の労働意欲をかき立てると思っているとしたら、その人には教育の何たるかがまるで分かっていない。内田樹氏のブログでも読んでみることを薦めたい。
自分の現在の居場所では全力を尽くせない、と嘆くのは簡単だ。では、その有能な教員が、「キャリアアップ」を図って、新天地に出たあと、その学校の教育は誰が引き受けるのか?ダメな学校はダメな教員で賄えとでも言うつもりなのか?不遜傲慢も大概にしろといいたい。本当に有能なら、どこでも務まるだろう。そもそも「学校を変わる」という時になぜ、みな上へ上へと動きたがるのか? Whatever goes up comes down. それが世の常である。
私の限られた経験から。
ある平和な公立校が一転、荒廃の危機に直面したことで、教員が叡智を結集し、システムを変え、一人一人の生徒を育てることに繋がっていった。奇跡的な復興を経て、その屋台骨を支えた人たちが異動でいなくなれば、当然教育力の地盤沈下がここそこで見られる。残った教員、新たに異動してきた教員の中での温度差が生まれてくる。その温度差のある教育環境で生きていけるように、教員の能力を発揮し、資質を磨くことを行政はサポートするべきだろう。私の場合、次の異動先は新設校であった。地域からも険しい顔をされてしまう普通科の最低辺校を廃校にして、衣替えどころかスクラップ&ビルドを図る行政の片棒を担いだわけである。開設1年目は廃校が決まった母体校の最上級生が在校生として、新生1期生と共生していた。DNAを受け継ぐことのない全く異なる二つの学校の共生。二重螺旋どころか、そのねじれた環境から学ぶことの意味は大きかったと思う。「痛み」とか「罪」といってもよいかもしれない。自分が新しい学校を作ろうと懸命になることが、長い歴史を持つ一つの学校の存在に終止符を打つことになるわけだから。そんな学校で、痛みの中で築いたライティングのシラバスが、GWTの母体となっている。大学入試対策とは最も遠いところから、ライティングを学び、英語で書くことの歓び、自分の言葉が豊かになる快楽を目指した結果、成果といえる。市販教材との最も大きな違いはそういうところに現れているのではないかと思う。
何をもって教育の成功とするのか、近視眼的な発想と貧弱な物差しでは、大学への進学実績や部活動での入賞実績以外に「成功ビジネスモデル」を提示できないだろう。まして、小学校・中学校段階をや。


本日の晩酌:勲碧・祝い酒(温燗)
本日のBGM: 自分らしさなんて(TOMOVSKY)