「韻文を取り扱へる教授案」

先日買った『詩人たち ユリイカ抄』にこんな一節がある。

  • 先日、若いスエーデンの詩人ボオ・セッタリング氏が来日して、日本の詩人たちと会合した。場所は虎ノ門のある喫茶店だった。彼はスエーデン大使館の書記官を同伴した。日本側からは福田陸太郎、安藤一郎、黒田三郎、谷川俊太郎、大岡信、清岡卓行、岩田宏、それから内山登美子、堀内幸枝の両女史が出席した。ぼくがそこに顔を出したときはすでにみんな集まっていた。福田陸太郎氏が英語で通訳した。(「ある国際的会合」、p.121)

ここにあげられている日本人の名前のうち、どのくらいの人が英語教師には知られているのだろうか?
今月4日に福田陸太郎(ふくだりくたろう)氏がお亡くなりになったことを、先週になってから、語学教育研究所のニューズレターで知ったのだった。普段、新聞を読まないのでこういう時に情報に疎くなるのだなぁ、などと思いながら先日も同僚のK先生と「『巨星墜つ』という感じなんでしょうかね」などと話をしたことを今思い出している。新聞社系のウェブサイトには訃報が出ているが、朝日、毎日など、本当に福田氏のことが分かっている人に確かめて書いたのか?と思うような内容。『英語教育』(大修館書店)、『英語青年』(研究社)ではどう扱われることになるのだろうか?(北陸中日新聞のサイトに、優しいお顔の拝見できる生前の記事がありました。→http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/furusatoyo/28.shtml
私も教員生活20年を終えようとしていて、現役教師では中堅くらいの位置に来たのかなと思うのだが、昔のことを余りにも知らないことを恥ずかしく思うようになってきた。先日も、日本英学史学会の中国・四国支部のニューズレター(No.43; 2005年8月5日号)を偶然ネット上で見つけ、永原敏夫氏の略歴を目にし、そこで紹介される実践に驚いた。(今日の記事のタイトルがそれである)

  • 中学校3年を対象に1つの詩を2hかけて朗読(本を閉じたまま2回・開いて1回・2行ずつ朗読)、2行ずつ散文で口頭発表(英語によるparaphrase)、口頭で言わせて筆記、絵の得意な生徒に、詩のイメージを黒板に書いてもらう。

昭和13年の授業実践であり、授業は全て英語で行われたとのことである。FTCでの自分の実践で「英詩のある授業」などといっているのが恥ずかしくなる。SLAだTBLTだなどと誰も口にしていない時代に、これだけの実践が成立していたのである。「今を生きる」英語教師もここから学ぶべきことは多いと思えないだろうか?

さて、AP伝のスポーツニュースで、荒川選手の演技を評した言葉をみつけたので紹介。Barry Wilner氏の書いた記事である。

  • She landed five triple jumps, three in combination, but it was her beauty, elegance and unparalleled musicality that set her apart. She didn't show much emotion on her face, but she spoke it with every other part of her body, from her toes to the tips of her fingers.
  • Skating to Puccini's "Violin Fantasy of Turandot," her gracefulness was edged with power. Her spirals were breathtaking. And when she did an Ina Bauer, a variation of a spread-eagle that puts her in a full backbend while her toes point in opposite directions, the crowd gasped in delight.