ことばのちから

某社企画のゲラが上がってきて著者校。フォントの差など、少々、細かい文字が読みづらくなってきたなぁ。年明けには店頭に並ぶのだっただろうか?詳細が分かり次第告知します。もう一つの原稿は遅々として進まず。
移動に疲れて池袋のジュンク堂で一息。中央公論社の『世界の名著』シリーズを立ち読み。松本重治責任編集の『ジェファーソン』などがまだ版を重ねていることに驚く。巻頭論文も松本。ELECの設立も昔話となってしまった日本の英語教育界では松本重治と聞いてもぴんと来ない人が多いだろうか。その後、小宮山書店で散財。面白かったのは、以下の2冊。
西脇順三郎・山本健吉『詩のこころ 心の対話』(日本ソノ、1969年)
木下順二『ドラマの世界』(中央公論社、1959年)
『詩のこころ』は巨匠二人の対談。噛み合っているのか、いないのか、読んでいて、なかなかお互いの呼吸がつかめなかった。解説は鍵谷幸信。

  • この対談は昭和四十四年、五月二、三日の二日間にわたり、約七時間を費やして行われたものである。山本氏が強靱な論理と綿密な考証を踏まえて語られ、西脇氏は軽妙洒脱に受けて立ち、同席した私もお二人の座談の内実の豊かさに終始興奮し、かつ感動した。ここではもう四十年前の師と学生との関係は「詩」の前で微塵もなく、詩人と批評家が詩をめぐってその核心に迫ろうとする真摯な追求と探索の姿があった。山本氏が求心的に思考を凝縮していくと、西脇氏がウィットとユーモアにみちた表現で思い切り飛躍させる。

山本氏はよくこの7時間に耐えたものだ。アウトプットすることが、生き延びるただ一つの方法、という感じ。まさに、「強靱」である。西脇氏が対談の最後「過渡期の詩語」とされるパートで述べたことが一番面白かった。西脇が徹底的に上田敏式の言葉遣いを排して詩作に臨んだという下りで、

  • 西脇:それから“です”を使わないんです、ぼくは。会話が出てくるときにはしかたがないけど、会話じゃない場合は、会話のことばではいいんですけれども。本文の文章の中に“です”が入ると…“です”を見ると、萩原さんも“です”が少し入っていますね。それはごく一部分ですけど、“です”がありますよ。“です”を使い出したのはだれかな。高村光太郎かな。
  • 山本:光太郎か朔太郎か。
  • 西脇:いや、朔太郎は光太郎のまねですから。

この調子で7時間は疲れますよ。でも、読んでいる方はスリリングです。
『ドラマの世界』の方は、初版の単行本で、装幀が神野八左衛門。木下の世界演劇視察旅行を踏まえての演劇論であるから、タイトルは『世界のドラマ』となっても良いようなものだが、読んでみると、やはりこのタイトルが相応しいことがわかる。加藤周一が寄せている書評が的を射ている。

  • (前略)しかし、「夕鶴」と「山脈」と「蛙昇天」の作者にとって、演劇とはつまるところ人間とその社会のすべてを意味し、およそ文化が含み得るすべての問題を含む。たとえば「舞台語」と方言、現代の社会的要請と古典的伝統、また知識人と大衆との理論的および実践的関係。そういう問題がこの本のなかでは、アラン島の背景とゲール語とシングの舞台を通じて、シェイクスピアとモスクワ芸術座と京劇、またインドの民話劇や中国の話劇を通じて、観察され、分析され、木下自身の劇作家としての経験と関係づけられて追求されている。(後略)

教員研修などで、国際的に活躍しているビジネスマンから英語使用の実態を学ぶ、とか、予備校講師から授業の技術を学ぶ、などということに予算をかけている自治体があるのだけれど、教師の「ことば」の力に課題があるのであれば、詩人とか演劇人を呼んで話を聞いてはどうなのかと思う。
1月のFTCの内容に関して、主催者のU先生から寄せられたリクエスト。
・英語教師としてのルーツを探る
・高校3年生でここまでやりましたという実践の集大成
・和訳を問う!
・英語教師へのオススメ本講座
・最新の大学入試とWriting指導に関して
・各種音読練習を含むListening指導に関して
・授業でこんな曲をこう使いたい
などなど。今回はあまり指導技術的なことではなく、英語教師としての心意気のような部分を伝えられたら、と思っております。
年末くらいまでには決めたいと思います。このブログをお読みの方は、散々聞き飽きたという内容でしょうが、これ以外でもリクエストがあればコメントかメールをお願いします。
本日のBGM: Bitter Sweet Symphony (Richard Ashcroft)