Renaissance Woman

昨日はFTC「英詩のある授業」発表。
参加者は15人くらいでしょうか。大学で英語を教えている方、ベテランの高校の先生、若手で何回か発表もこなす俊英たちとそれなりにバラエティーに富む陣容でした。今、英語教育関連の発表で2時間も潤沢に時間をいただけるのはFTCくらいでしょう。感謝することしきり。いつもお世話になっているS先生も今回のテーマが英詩、ということで開始前に駆けつけて下さった。感謝のし切り直し。
DVDプレーヤーが今ひとつという話だったので、その場で何でも対応できるように、Power Book、iPod、トランスミッター、映像出力用mini-DVIの変換コードと音声出力用のモンスターケーブル、Handycamと映像音声出力ケーブルを書画カメラ代わりに準備。これで大丈夫だろう!と会場でセッティングしていて、三脚を忘れたことに気が付く。しかたなく手でもって色紙などの映像を見せることに。動画に関してはPower Book様々。2時間のプレゼンで、「英詩と過ごす夏2005」と「Let's go acrostic!」のグループ第1ラウンドの映像を見せながら、持論(詩論?)を展開。実際に詩を朗読してもらったり、作ってもらったりしようかとも考えていたのだが、授業のねらいや生徒の取り組み状況の方に重点を置いた形で締めくくった。「何故、かつては詩や文学を授業で扱い得たのか?一つには、『和訳』『日本語による解説』の存在があるだろう。今、和訳を排除し、英語の授業は英語で、という方法論が主流となっているが、これから先、フィクションを語るに足りるだけの言葉を英語でも成熟させていくことができなければ、授業で扱うことは難しくなるのではないか」という問いかけをしておいた。若い先生の心のどこかに引っかかってくれることを願う。
英米の古典をただあがめるのではなく、ゆくゆくは、英語の詩で日本の高校生向けのPoetry 180を作りたいものだ。賛同者(社?)よろしくお願いします。アジアの詩人も英語で作品を発表している。例えば、Suji Kwock Kimの詩はいつか授業できちんと扱いたいと思う。
懇親会には9名参加。英語教育を熱く語るいつもの顔ぶれに加えて、今回はオフ会のような出会いの方が1名。思っていた以上に、生きる力に溢れた人でした。その方が私のプレゼンを聴いて「思っていたよりソフトな感じでした」というのを小耳にはさんだ責任者のU先生が、「XX(=私のこと)さんはなんか得するしゃべり方ですよね。同じ内容を○○先生が言ったとしたら、物議を醸しそうなのに、XXさんの話は聴いていて、なるほど、ふんふん、と思っちゃうから。」とのこと。そんなものなのかなぁ?とも思ったが、話し方などが変化してきたのはここ2,3年だろう。一つ自覚しているのは、これまでに身につけてきた「Effectiveなプレゼンの技術」とでもいうような小技を忘れようとしたところから確実に変化は生じている、ということ。いきあたりばったり、出たとこ勝負の、五里霧中、暗中模索、明日は明日の風が吹く的なところにだって、答えがあるかもしれない。演出家・戯曲家の平田オリザはいつだか「私は、誰かに伝えたいと思って言葉にしているのではないのです。自分が表現したいことを言葉にしているのです。」という趣旨のことを言っていたが、その気持ちはよく分かるのだ。
帰宅は日付が変わるあたり。生徒の提出した原稿をワークシートに起こす準備だけ整えて、1時から3時間位しばしお休み。その後、TVでトリノ五輪の女子フィギュアスケートを映しながら仕事。途中で画面に引き込まれそうになりながらも、なんとか荒川静香選手の演技までには全ての準備を終え観戦に集中した。「初出場の長野五輪の不振をバネに8年越しのリベンジ」とか、「2004年頂点を極めてから一度は引退を決意するものの、周囲の期待との板挟みでスケートの楽しさを見失っていた彼女が、諦めず続けていて本当によかった」というような「感動するでしょう?」的過剰な演出など不要な見事な演技でした。本物を見ればわかるはずなのです。スポーツを主とするアナウンサーや、いわゆるスポーツキャスター(各競技の元スター選手)の言語能力、プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力が槍玉に上げられることが多々あるが、これは演技そのものを語るのではなく、それに「まつわる」話を仕込み、感動を殊更に演出することに問題があるのではないのか。我々のスポーツを語る文化そのものが未成熟で貧しい段階に留まっているのかもしれない、という部分をこそ問い直すべきだ。今回は解説が元世界チャンピオンの佐藤有香さん。イナ・バウアーに関して「(会場の)空気をしなやかにしました」という気の利いたコメントも、演技が終わった後に出てきた一言。佐藤由香自身が、このあたりの1分以上、無言のまま荒川の演技に見とれていたことは間違いないのだ。強く豊かな表現は伝わるものなのではなく、惹きつけるものなのかもしれない。知性溢れる教養豊かな身体がそこにはあった。
荒川選手おめでとう!!