一難明後日また一難(?)

研究大会も終わり、一段落。
と思ったら、高3ライティングの「高等教育」原稿のチェックに6時間かかった。Persuasive/Argumentativeの初回なので、私にしては相当丁寧に朱を入れた。論理展開の不備で1例、論理構造に矛盾や破綻はないが、とにかく弱いもので1例、論理展開は整っているが、肉付けの淡泊な例1例、形式・量とも充分なのに、ボディでsomeや助動詞のmightを使って墓穴を掘っているもの1例の合計4例を打ち込んで、さらに典型的なミスを補足し、B4で1枚の両面に印刷したハンドアウトを作った。作品それぞれに下線部を施し、修正の方向性や代案を示すとこまでやってたら、ほとんど寝られなかった。全国の非常勤の皆さん、お体を大切に!!
高3のライティングに絡めて、内田樹のコラムを紹介。「矛盾」と書けない大学生のエピソードから始まり、「活字を読まないから」「日本語ができないから」と言った理由で片づけられる程度を遙かに超えてしまった事例とその考察が行われるもの。私の教師歴の中でも「壮絶」を「想像を絶する」の略だと間違えていて『想絶』と書いていた生徒がいたが、そういうレベルではないのだということがわかった。日頃、高3生には、「意味を読むのではなく、言葉を読め」といっていたのだが、私が間違っていました。意味さえも読んでいないのですね。むーん。片方のクラスで内田樹の作品を読んだことがあるか、名前を聞いたことがあるか、と尋ねたが、皆無。さらに、むーん。
高2は視聴覚室を確保したので、Fairytale in New Yorkの男女パート歌合わせ。まだまだ声が出ていないので、木曜日も継続!!残りの時間で、Visas and Virtueを観る。今回は、映画そのもののお膳立てワークシートは一切無しにしてみた。生徒の集中力を持続させ、教育的効果を高めるための「このポイントに注意して観てみましょう」とかの小細工は無しということ。寝るヤツは寝ろ、である。この映画が本物だと思える感性がある者は、最後までちゃんと観て何かを感じるはず、という自分自身の感性が信じられなくなったらお終いだ、と開き直ってみた。私はもう6回以上観たが、やはり面白い作りをしているのだなあ。
ただ、これで終わりではないのが、火曜日。
夜から昭和女子大OCである。
今日は、みなさん忙しいのか人が集まらなかった。少人数になってしまったので、音読による発音の個別診断を行った。以下、指摘項目。
・ 無声子音に対して有声子音の聞こえ度が弱い人。息の量を確保し、有声音を自分の身体に響かせるつもりで、安易に息だけの音に移らない。 Businessで、 /b/, /z/での有声音をつくるエネルギーを活かして/n/の音が鼻音でしっかり響いていることを身体で感じる。formsで/m/の唇を閉じている時の前段階の、予備共鳴とでもいうべき音をしっかり感じること、などを強調した。実感するための便法として、counterpartsなどの語に含まれる無声子音を、すべて有声子音に転換してgounderbards(そんな語は存在しないのだが)と交互に発音練習。あくまでも便法ですよ。
・ bar, partyなどの母音が持つ、明るい、あごの開きの大きな音を、 learn, turn, early, girl, workなどの音と明確に区別する。earlyでできているのに、turnで急にあごの開きが大きくなってしまう人などは、出来ている単語の発音を繰り返させてその後に1回、目標の単語を練習。例えば、 early, early, early, turnなどとやるわけである。
・ 舌先の強さ、唇の形、あごの開きはいつもの通り。音の連続による変化などが市販の教材でぞんざいな扱われ方をしていることに原因があるのか、弾音などが「身」についていればいいのだが、ものすごく中途半端に「舌」についている。
音読練習を重ね速く読めるようになってくると、調音のくせがあらわれたり、変な癖がついたりするので、音声指導に(も)教師は必要不可欠だ。必ずしもnative speakerである必要はないだろうと思うのだが、世間はそうは思ってくれないようだ。世間の二重構造は以前このブログでも指摘したが、英語教育の世間でも似たような事情のようである。今年の全英連岐阜大会と同時開催される「全国高校生英語ディベート大会」では、「日本の高等学校における英語の授業は、英語を母国語とする教師のみで教えられるべきである。」というpropositionなのである。(詳細はこちら、http://gakuen.gifu-net.ed.jp/eigoken/debate.pdf) そんなことやってたら墓穴を掘るぞ!!私は、そういう論題を生徒に与えて、ゲームとして楽しむことはできない。そこで出た結果、その結果に結びつく考察において、生徒と教師が授業で直接影響を受けるわけです。身近な話題を扱えばいいってものではないでしょう。